カクヨムコン5の反省をすると思ったか?

 夜中に目が冷めて台所に行って、トマトジュースを飲んで電気をけしたら梅の匂いが強くなって、視覚によって失われているさまざまな知覚について少し考えたけれど、暗いとあらゆる気配がこわいので、適宜だよな、適宜、というようなところに帰結した。


 何かを書こうと思ってエッセイを開いたのだけれど、それを忘れてしまった。すっかり拡散されてしまってもう二度と戻らないような気がしている。


 今日は土を触って朝顔をポットから鉢に植え替えて、雨が降ってきたので雨に濡れて、長袖の袖の所を手袋で触ったので土が付いていて、蚊取り線香の横で作業をしていたから鼻の頭に蚊取り線香の匂いがついた。


 朝から足が痛くて、本当は昨日の昼から足が痛くて、昨日の昼に飲んだアスピリンが昨日の夜に切れて、だから本当は昨日の夜にはもう足が痛くて、でもなんとか眠って朝起きたらまだ足が痛くて、だから朝一番でまたアスピリンを飲んだのだけれど今度は効かなかった。


 ひとつには昨日、お仕事でたくさんの重いものを短い時間で工場のように選別してまとめて運んだだめと、そのあとお薬のおかげで足が痛くなくなったので、足の痛かったことを忘れ、また重い物を上下やら左右、また斜め上から斜め横に(斜め横という言葉はないかもしれない)たくさんたくさん移動させたためで、でもなぜそれで足が痛くなるのか私には皆目見当がつかない。人体は一つの皮の袋だからどこかひとつだけを動かすというわけにはいかないのかもしれないし、実際にはそんなことは欠片も関係がなくただ足が痛いのかもしれない。ひとり工場はいつもやっていることだし、昨日は特別具合が悪い日でもなかった。


 朝に飲んだアスピリンは効かなかった。


 足が痛い、ということをどうやったら正確に伝えることができるだろう。足の痛くない人に。

 そういうことを、もうずっと長いあいだ考えているような気がする。


 だいたい、痛いという言葉でいいのかどうかが分からない。ともかく今すぐ足を切り離してしまいたい、あるいは叩いて潰してしまいたい。そういう感じなのだ。切り傷とか打撲とか、頭痛とか、そういう鋭敏な痛みではなく、なにかどろっとした、重たい、はっきりとしない、それでいて微かでない、ともかく嫌な、とても嫌なものなのだ。


 子供のころから、もうずっと足が痛い。


 玄関の外で横になっていたころのことを思い出す。何か悪いことをして、家から締め出されたとき、私はいつもどこへもいけず扉の前の冷たいコンクリートの上にいた。そういう時、よくこんな風に足が痛くなった。


 だとすれば、これは精神的な痛みなのだろうか。

 精神、という言葉はしかし、いつでも疑り深く接するべきだ。肉のない人間などいないのだし。精神には常に肉が付随している。痛むのは肉なのではなく、精神が肉を使って痛いということを体験しているだけなのかもしれない。理由はわからないけれど。


 幻肢痛というのが、一番近い気がする。もうそこに存在しないものを、いつまでも痛がっているようなそういう痛み。


 お尻に当たった冷たいコンクリートを感じながら、どうにかしてもっとひどいことにならないだろうかと玄関先でよく考えていて、この足が潰れて使いものにならなくなれば、きっと理解されるような気がするというような夢をみていたのだった。理解、というよりもっと確かな。うーん。


 土を触ったので少し足の痛みは引いてきて、うんうん唸って文章を書こうと努力をしている。努力、というのは気持ちの悪い言葉だね。気色の悪い、なにか、相容れない感じがする。努力。でもいつもそれをしてしまっているんだよなぁ、などと思ったり。


 そのつもりはなかったけれど、そういえば話していなかったので書くけれど、私の書いたものはカクヨムコン5にもやっぱり箸にも棒にもひっかからなかったわけで、この言い方は面白いと思ってくれて、応援してくれた人に失礼なような気もするのだけれど、全然そんなことはなく、つまり、私たちは面白かったのに、天上の人には認められなかった、という、むしろ連帯の話なのですこれは。


 さあ、どうかわからないけれど。


 このどうか分からないというのは、真実、本当にただ分からないという感慨があるだけの言葉で、ほとんど言っても言わなくてもいいような言葉だけれど(何かが分かるのならば、こうはなっていないはずだ)言わずにはおられないのだ。私たちは。


 何十回も続けているのにどうしていつもそう思えるのか自分でもわからないけれど、でも、本当にいつも、今回はさすがに受かるだろうという気持ちがしていて、受かる、というのも妙は言い方かもしれないけれど、やっぱりコンテストとか賞とかに対しては、受かりたい、という気持ちで臨んでいるきがする。認められたいというより、許可されたいというような、そういう感覚がある。


 このまま永遠に許可されずに、生きていくのかもしれないな、とさすがにこのごろ思う時があって、じゃあどうするか、と考えても許可されるようにしなくちゃ、という非解決しか浮かばないのだ。


 許されないものを許してもらうために、罪や瑕疵が分からないのじゃ、どうしようもない。というより、罪や瑕疵が分からないから許されないのだ。


 抽象的な話を止めて、具体の話をすると、私は今回風俗嬢がボーイを殺して廃校でひと夏を過ごす話、的なものを書いたのだけれど、大賞を取っていない以上、落ちたと言わざるを得ない(なんだその言い方は)。


 落ち度があるから落ちているわけで、でもその落ち度が私には全く分からない。つまりどうしようもない。これ以上でもこれ以下でもない。何がいけないのか全く分からない。いつもそうだ。いつも同じことを言っているし、なんならこの8行前くらいからずっと同じことしか言っていない。


 何が悪いのか分かる人がいたら教えてください。


 でもあれだな、もしかしたらラストがいけないのかな。私は今でもこれ以上ない最高のラストで、私の心の友たちはみな、ラストが本当にああなってよかったみたいなことを言ってくれたけれど、一般的にはもっとなにか、終わらせるべきなのかもしれないよね。


 終わりたくないからお話を書いているのにね。


 その時間を書かないことで、その時間を書くというのが常に私の一番やりたいことで、でも世の中にはその時間が書いてなかったけど? と思う人が多数いるというかほとんどそうだということを最近よく思い知っていて、もうつらいからこの話はやめよう!


 だいたい朝10時から物をかける予定だったのに、今まだ一文字も書けていない。本当につらいんだ私は。いますぐ死んでしまいたいんだ本当はでも死ぬのが怖いし死ぬのが嫌だから死んでいないだけなんだ。


 つまらない日記になってしまったので更新しようかどうか迷います。けれどあなたがこれを読んでいるということは、これが更新されたということですね。そうか。お前はこれを更新したのか。えらいな。恥をかいて生きていこうな。


 なにもかも、天気のせいであるような気がしてきたわ。じゃあまた。

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