アメリカの南部には髑髏がいるのだ!
どうやらあれから一年が経ったらしく、私は再び帝国ホテルに向かった。
これではまるで毎年帝国ホテルに行っている側の人間のようだけれど、行ったのは去年が初めてで、私は帝国ホテルへ行く服を持っていなかった。
一年経ったからといって、帝国ホテルに行く用の服を手に入れられるはずはなく、今年もマジで帝国ホテルへ行くのか? みたいな恰好で行った。
バイト先からの要請で行くのだけれど、休日出勤なのに報酬は「しばしご歓談ください」の食べ物だけなので別に明るい日ではない。
だから、そう、今年こそアメリカの南部の小説を持って行くぞと、10日前には思っていたのである。
さて(小説は忘れました)今回は、お分かりのようにリアルタイムでこの文章を書いておらず、私はいま、自宅に戻っている。自分の部屋にいて、明日はバイトだな、と思いながらさっきまでポコニャンのぬいぐるみをじっと眺めたりしていた。
というのも、ここ昨今急に携帯の充電が急速放電しはじめたからで、私にはその原因が特定出来ず、何もしていないのにひとつずつ減っていく充電を確認していたら、マジで充電がなくなってしまったのである。この文章はべつにいらなかったかもしれない。
髪を切らねばならなかった。
髪を切るのは好きだが、美容室に行くのは非常に億劫なのは全人類の性だと勝手に言い切りますが、でももう今日以外に行ける日がなかったので東京に行く前に行った。そしたらなんか、うっかり帝国ホテルに行くみたいなことを言ってしまったばっかりに、髪をくるんくるんにされてしまった。
私はかつて表参道で「今話題の〇〇パーマ!」という最新鋭の髪をくるんくるんさせる施術を3回くらい受けたことがあるが、いずれも1日でパーマが落ちてしまい、次の日美容室に行って「あの落ちちゃったんですけど」と言ったら、すちゃらかな若者に「いやぁ、もう無理すね! 染めない限り!」と言われたことがあり、つまり、多少のコテでなんとかしたくらいじゃ10分でくるんが取れてしまうのである。
ちょっと髪が傷んだ人になって帝国ホテルへ向かった。
乗って5分で電車に酔ったので、幸先はまずまずだった。これぞ東京、という感じである。昼を早くに食べたので、大変に腹が減っており、1時間以上早く現場に着きそうだったので、よさげな喫茶店に入ることにした。
未来予知が働いたので、私は電車で行きたい喫茶店を調べていた(だから酔った)のだ。
昭和感溢れるいい感じの喫茶店に行くことにした。駅について早速グーグル先生を起動。私は地図が読めないので――謙遜でも露悪でもなんでもなく、本当に、ただ、完全に地図が読めないのだ。母はそれは父に似たのだと私が道に迷う度に言うが、私は父のことをそんなに覚えていないのでその度ちょっと、ふわっとした気持ちになる――自分の力を信じずグーグル先生の言う通りに進むようにしている。
グーグル先生は日々進化していて、昔はたぶん「東へ進む」とかいう表記で、東が分かったら地図読めますけど!? みたいな気持ちで使っていましたが、今は交番が見えたらそこを右、とか言ってくれて大変便利だし、もうこれで道に迷うことはない。
道を曲がったら、グーグル先生が「目的地です」と言った。
目の前にはティッシュ配りの女の子がいて、急に止まった私にティッシュを渡そうかどうしようか考えていた。その後、私はその子の前を3回横切ることになる。
全然道端なのだ。左手に商業施設の入り口があるが、中には目的の店はなかった。はて、衛星の何かがあれしたのか? と思い再起動してもう一度グーグル先生を立ち上げたら「西へ進んでください」と言った。私は左へ進んだ。
結局、駅から104メートルのその店につくのに30分かかった。
その店は地下にあって、グーグル先生の言っていることは間違っていなかったのだ。私が地上にいるのが悪い。喫茶店が地下にあるかどうかくらいは調べてからいけ、という教訓がここにはある。が、当然、そんな教訓が活かせるのであれば、この年でバイトなどしていない。
喫茶店はすべてぱっと見60歳以上のおじさまが働いており、全席喫煙可で、昔の電車の天井にあったような扇風機が広大なスペースの端に付いていて、そこかしこに60歳くらいのサラリーマンがいて、ときどき若い女の人をつれて商談をしている最高の昭和の喫茶だった。
30分迷ったので時間がなかった。しかし私は空腹であった。あと一時間半もすればこの空腹はインペリアルホテルのお給仕たちが、裏から運んできて銀器に乗せる沢山の食べ物によって解消される予定だが、私は一分一秒でも空腹には耐えられない。何かを口に入れようと決めた。
ケーキを食べようと思って、ピザトーストを頼んだ。
心変わりをしたのではなく、時間が押していて、どうすればよいか分からなくて混乱して意味の分からないものを頼んでしまったのだ。けれど、妥当かもしれないと思った。私はその時、昔免許合宿で行った島根の喫茶店のピザトーストを思い浮かべていた。そこにはあだち充とバキと週刊大衆が置いてあった。
10枚切りか? と思うような薄いパンに、マヨネーズか? みたいなチーズが乗っていて、こんなに細く切れるものか? という1ミリくらいのピーマンと玉葱と、大量のケチャップのようなものが塗られているピザトーストである。
薄く小さく軽食にぴったりで、私はそのピザトーストが大好きだった。たしかそれが650円くらいだったので、ここのも650円だから、まぁ似たようなものが出てくるのだろうと思ったのだ。
2枚切りの大きなパンが出てきた。
分からん。たぶん2枚切りだと思う。めちゃくちゃ太いし、なんかちゃんと具が乗ってる。しかもサラダが付いている。完全にご飯のパンだ。私は焦った。私は焦った、という端的な表現ですべてを表せられる状態だった。
私は今日、ご飯を食べるためだけに遙か大東京まで遠征しにきたのだ。美味しいご飯が食べられるという希望だけを鞄につめ、アメリカの南部の小説を忘れて来たのだ。
これを食べたら、絶対に美味しいご飯は食べられない。私は胃が小さいのだ。すべての食べ物を半分にしてくれ、ともう人生で50回は願ったので、死ぬまでにあと500回くらい願うかも知れない。
あと30分しかないと思っていた時間は、もう20分しか残っていない。
いつも適切な選択を誤るけれど、適切な選択が出来るのならば、今ごろ私は大きな犬を飼うくらいの財力を持っているはずだ。自分として生きることを受けれるより他はない。
とっさに思いついた選択は3つである。1つは半分くらいで残すこと、2つは全部食べること=美味しいご飯を諦めること、そして3つめは、どうにか折衷案を考え出すこと――。
そうこうしているうちに私の口はサラダを食べ終わっていた。どうやら口の方では、考えが思いつかない限り食べ続ける、という選択を取ったようだった。私は3つめの選択を探した。
ナイスミドルのいる店でご飯を残したくなかったし、帝国ホテルの美味しいご飯を食べたかった。部屋の隅では、脂で汚れきった袋を被ったピーポーくんが、不気味な笑顔でこちらを監視していた。
私はトーストに手を伸ばし、真ん中から食べ始めた。
パンの耳を残す人になろうと思ったのだ。この大東京、この昭和っぽい内装。こんな所にはきっと、パンの耳だけを残す人がいるだろうと推察した。しかし、食べ進めていくうちに自信がなくなってきた。
残っている感が強い。それにものすごく汚なかった。
私はパンの耳を残す人ではないので、パンの耳の残し方が下手だったのだ。けれどもう、これしか手はない。私はパンの耳を少し握り潰した。そうすることで、少しでもこの世にあるパンの耳の体積? 面積? なんて言うんですか専門的なことはわかりませんが、なんかそういう存在感を減らしたかった。しかし、2枚切りの大変つよいパンだったので、残ったパンの耳の存在感は変わらなかった。
とりあえず水を飲み、昔の外犬にやる餌皿みたいになってしまった皿を見ていた。
別に見たからといって、パンの耳の体積は変わらないし、なんなら増えているようにさえ思ったのだけれど、目が完全に止まってしまった。どうしよう。やっぱり食べようか。もう、ローストビーフ一枚だけ食べて今日は帰ろうか。
その時、私の皿に白い手が伸びた。
見上げると、白髪のナイスミドルがこちらを見ている。ミドルは言った。
「こちら、おさげしてよろしいですか」
私はパンの耳を残す人間として認められたのだ。
ああ、とか、うう、とか言っているうちに、ミドルは私の皿を厨房へ持って行った。テーブルには水滴とパン屑だけが残されている。パンの耳はすっかりいなくなってしまった。
約束のぎりぎりになって店を出て、約束の場所までの行き方が分からず迷っていたら、海外の人に声を掛けられ、道を聞かれた。
一緒に迷って、約束の時間にかなり遅れ、それから帝国ホテルに向かった。
結局、帝国ホテルでは忙しくてローストビーフを一枚食べるくらいの時間しかなかった。帰りの電車で、充電がなくなった携帯を何度も確認して、窓を見て、髪の毛が痛んでいる人が映っているなと思い、大人しく家に帰った。
今年もカクヨムコンが始まったね。
おわり。
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