応援コメント

文藝で戰うという亊」への応援コメント


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    戦うことの恍惚感ってあるんですよ。
    それに酔ってる人みたことあるでしょう。

    一種の麻薬だと思います。
    一回やって味をしめた人は、いろんなところでそれをやりたがろうとする。「戦う」ことに限らず、「勉強する」とか「人にやさしくする」なんてのも麻薬です。麻薬に酔ってそれがとてもいいことだと刷り込まれた人は、いろんなところで麻薬をやろうとするんです。

    それが麻薬だって気づく人は、そうすることに、いや~な気持ちを感じるってことじゃないですかね。わたしもじぶんの麻薬を、他人に無理強いすることのないようにしたいです。

    あ、このコメントが麻薬かも……。

  • なんて表現したら良いだろうか。迷いながら書くけど、俺は『文芸』や『文学』ってものは、多様性をもつものだと思ってるのね。
    犬怪さんの思う『文芸』と、戦ってる人たちの『文芸』は、同じ名前でありながら異なるものかもしれないしさ。いや、同じものだけど、異なる面を見ているのかもしれないよね。

    ほんと、いろんな『文芸』があるんだと思う。
    ある人にとっては癒やしであったり、ある人にとっては娯楽であったり……自己表現の手段であったり、飯の種であったり……それこそ、人の数だけあるのかもしれない。

    『文芸』ってのを、多様性があるバカでっかい広場だとするならさ……
    みんな文芸広場にそれぞれの居場所を作って、癒やしの場にしてみたり、娯楽の場にしてみたり、自己表現の場にしてみたり……いろんな使い方をしてるわけじゃない?

    だからさ……
    文芸広場の片隅でバトルして楽しんでる人がいるからって、犬怪さんの文芸が汚されたみたいに感じることはないと思うよ。
    そういう楽しみ方をする人もいるんだね。わたしの文芸とは、ちょっとちがうな……程度に、とらえておけばいいと思うよ。

    そして……
    悲しくて死んでしまった何人かの犬怪さんも、華麗によみがえってくればいいと思うよ。

    本当はね……
    多様性があるのは、文芸ではなくて人の方なのかもしれないけどさ。
    ほんと、いろんな人がいるよね。自分とは、まったく違う常識で生きてる人だっているし。
    人の多様性を認めながらも、相容れられない人とは距離をおく……そんな付き合い方が良いんじゃないかって思うよ。

    作者からの返信

    たかなんさん!
    すごく温かいコメントをもらって私はとても嬉しいです。あれ?なんだか翻訳文みたいな言い方になってしまいました。
    急に喚き散らしてしまってすごく恥ずかしいです。何も言うまいと思っていたのに多様性を全然認められていなくて自分がすごく恥ずかしいのですが!赤ちゃんなので!全てに許されたいという気持ちが強いです。

    まだ世界と自分を分離できていないからすぐみんなと一緒になりたがってしまうみたいです。みんな違ってみんな良いのに!
    すごく優しい心のこもったコメントを頂いたのに私の言葉がとても稚拙すぎてがっかりしちゃいます。とても、すごく、ありがたいです。

    戦う人を否定するような論調になってしまってちょっと反省です。戒めにことあるごとにこの日記を読み返そうと思います!

    死んだ私たち、戻ってきてくれるかな〜?って感じですが、戻ってきてくれるように頑張っていきたいと思います!

    コメント本当にありがとうございます!