文藝で戰うという亊

 旧字とか異字体? かっこいいよね。


 たぶん中学の三年生だったと思うけど。そしておそらく最後の市内大会とかだったと思うけど。

 18対3くらいの点差で、11回連続サービスエース中だった。バレーボールのお話ね。6人対6人でボールを落とさずに頑張る競技です。


 私はよく監督や先輩たちに「笑え!」という注意という名の恫喝をされていたが、どのような場合でもコートの中で笑う気にはなれなかったので、ともかく口の端をにちゃりと上に上げなければというブレッシャーと常に戦っていた。

 もともと笑うことが不得意だったということもあるけれど。


 私はすでにその時もう若干怒られ始めていたのだ。超能力が使えるので監督がめちゃくちゃに怒っていることは肌で感じていた。

 できるだけ早くこの時間が終わってほしかったが、終わればリベロと変わってコートから出なければならず私は怒られるのだ。逃げ場がない。


 しかし、11回も連続でサーブで点を取ってしまっていて、笑える人間の神経が私には分からなかった。頼むから取ってくれと柔らかいボールを入れようと思ったが、当時はバレーボールがものすごく下手だったので意図せず際どい場所にボールが飛んでしまって逆効果だった。


 そんなこんなで向こうがタイムを取って、やっぱり私は怒られた。勝ちに行く気がない、というようないつもの私への説教でタイムは使い切られた。こんなに点差が開いていて勝つという気持ちを保てる意味がわからなかったが(どうやったって勝ってしまう)いよいよ、本当に逃げ場がなくなってしまった。


 コートの端に立って向こうを見たら、タイムが終わって相手の子たちはやや元気を取り戻していた。私たちはそのあたりでは強豪だったので、強豪から一点とってやろうという気概が感じられた。


 逃げ場がない。


 ここでサーブを外せば、また怒られるだろう。お前の考えは間違っている、というそれはもう人格否定の域だった。

 勝負に対して失礼なことをしている、というまでは(全然理解できないけど)まぁそういう考えもあるだろうと思うが、お前のようなのを木偶坊というのだとか、この先そんなんで生きていけると思うなとか、だからお前は駄目なんだとか。


 彼女たちの言っていることはいつも二つの言葉に集約されていた。

 「笑え」と「戦え」だ。

 で、それは実は一つのことを示していて、勝っているのだから喜べ、というのであり、つまりは「勝負をしろ」というような教えなのだった。


 と、ここで本題に入るという寸法なのだ。


 ちなみにその時私はサーブを外した。すべての局面で最悪の結末を迎えるのが割と得意なので、引退試合の最後の一本も私のサーブミスで終わった。その時ばかりは監督は怒らなかったし、人格否定もしなかった。

 お前は悔しいとは思わないのだろう、と言って、そのことが私は本当に悲しい、というようなことを本当に残念そうに語っていた。

 それから「もしサーブミスを申し訳ないと思っているのなら高校でもバレーを続けてくれ」と頼み込まれたのだった。

 

 で、絶対に一生やらないと決めていたバレーボールを高校でも続けてしまったわけで、ただ、そこでやっと私は笑うということと、戦うということを消極的ながら理解する(そしてすぐ瓦解する)わけだが、それはまた別のお話。王様のレストランが好きです。


 また前置きが長くなってしまった。もう東京についちゃうよ。今日は東京で観劇だよ♡


 なんの話かというと、私は勝負が理解できない、という話で、それによって大変に傷つきました、という話です。


 ぼかしてもしょうがないけど、怒られたくないのでちょっとぼかして書きますけれど、昨今、文芸で戦うというような企画? イベント? なんかそういうやつをやっているらしく。

 私は字面だけで一瞬で気分を害したので、すぐその字面をミュートしたりして、黙していよう、見なければいいだけ!と思ってたのですが。分別がついていないのでなかなか上手くいかず、いよいよ気が狂いそうだったので、今これを書いているというわけです。

 

 いやでもさすがにこれだけ賛同、というか参戦している人がいるということは多分私が文脈を理解できていないのだろうと思うのですよ。とか口先で言ってみるけどやっぱり許しがたくないですか? え? 文芸で戦うってなに? どういうこと? どういう了見なの? まじて許しがたいんだけど。あたり一面暴力で満たしたくなる。


 というように、結局人間は戦争からは逃れられないんですよね。とくに私のような分別のついていない人間だと、戦うことを拒否するためにニンゲン全員殺す、みたいなことになっちゃうわけで、もうだから、みんなで滅亡していこうね。


 じゃなくて、もうちょっとちゃんと考えてみようと思って書いているのだった。

 

 結構魂レベルでショックだった。文芸に勝敗をつけるということが。いやファイトという言葉がすなわち勝敗かというと必ずしもそうではないのかもしれないけど、いやでもさぁ、トーナメントみたいな? なんかそれに似たようなことをするみたいなんですよ。


 やっぱり暴力しかないのか?

 

 という気持ちに集約してしまう。私にとって文芸というものが誰にも侵されない「逃げ場」だったので、それを踏み荒らされたような気持ちになっているのかもしれない。どこまでも個人的な問題だから、理論的にどうこう考えることは難しいのかもしれない。


 放課後の図書館にウェイ系がわーっと来たときみたいな、ああいうときの気持ちに似ている。書いたもので戦うって。優劣つけるってこと? 違うのかな。もしかしたらでも本当に私には文脈が理解できていなのかもしれない。


 なにかこの催しの背景には大きな文脈があるのかも。


 でもけっこうみなさんスポーツ好きじゃないですか。勝負好きじゃないですか。私はそれがもう理解できないので、やっぱり私自主の欠陥が問題になってくるんだろうなー。やだなぁ。悲しいな。


 勝って嬉しいってどういう気持ちなんだろう。負けている人のことは考えるのかな。考えた上で喜ぶのが様式美なのかな。それとも考えないことが暗黙の了解なのか? そもそも負けてる人いるのに勝って嬉しい? 嬉しいのか。そうかも。勝つということがそもそも嬉しいのかもしれない。分からない。


 スポーツならまだ理解できるけど、問題はそれを文芸に持ち込まれたってことなんですよきっと。そうだそうだ。

 コンテストとか公募のものと同じ構造なのでは、という線で考えてみたけどそれは絶対に違うはずだ。落ちたとしても勝ち負けではない。受賞した人が「勝ち」であるわけない。そんなはずはないでしょう。え? それともそうなの?

 私がそう感じていないだけで、実は世界はずっとそういう文脈で流れていたのか? だとしたらもう。


 だとしたらもう、それは。


 悲しくて今、何人かの私が死んだ。もう二度と蘇らないだろう。今までありがとう。今度は私じゃない人に生まれ変わって幸せに生きて欲しい。


 え? 


 ちょっと記憶喪失になった。ショック性なんちゃらだわ。

 でも思い返せば、誰かがこんどのpixivの百合文芸の募集のやつにつづ井さんのマンガを一緒に貼り付けてて(つづ井さん大好き〜♡)それが、人を思う気持ちに優劣なんかない→関係ない戦って勝ちてぇ! みたいな文脈の漫画で、私はそれにも大変、傷ついたのであった。


 やっぱり無理だな。殺すしかねぇな! もう分かりあえないから殺しあおう。暴力がすべて! 破壊こそ美! 


 愛とか夢とか希望とか、どこからきてどこにいくかも分からんもんは信用ならない! 殺そう!



(この日記はバットエンドです)

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