散文

 あのころは近所のサイゼリアで「犬はなぜ自殺をしないのか」ということを昼から夜まで延々と話し合っていた。


 犬に意識があるのならば必ず自殺をするだろうというのが私の答えで、彼女はその時ほうれん草を食べながら「それはそうかもしれない」と答えたのだ。


 しかし、意識があればたちまち自殺するというのは変だ、とも言った。


 それはそうかもしれない、と私は同じように繰り返した。

 死なない犬は存在する。死なない人間がいるのと同じように。けれど彼らはなぜ死なないのだろう。なぜ死なずにいられるのか。


 いずれにしても、我々は犬になっても自殺をするだろうというのが、その時の結論だった。


 それから15年経ち、私はまだ死んでしまいたくないと思っているが、時々は死んでしまうような気がする。

 一方彼女は、あの頃より冷静な気持ちで、「生きているべきではない」と思うのだそうだ。


 しかし、我々は未だ自殺をしない犬である。


 観覧車に乗った。


 高いところが怖いのは、原始の記憶のせいだと聞いたことがある。

 先祖が高いところで怖い目にあって、その恐怖が遺伝子に組み込まれているというのだ。


 記憶があるのなら、遺伝子も夢を見るのかもしれない。


 体のどこかに悪夢を見続けている遺伝子がいるような気がする。すべてが恐ろしい方向に進み、どん詰まりになっても逃げられない。


 観覧車は怖かった。


 昔働いていたバイト先で、出会って3日の女の子が私に手紙をくれた。

「大好きです」という文字と、ニコニコしたイラストと、ハートがたくさん書いてあった。


 彼女は虚言癖を持っていて、彼女のお喋りの中ではいつでも家族がなにか重大な事件に巻き込まれていた。彼氏はほとんど警察署に暮らしているようだった。交通事故に喧嘩の巻き込まれに窃盗に。

 最後に聞いたときには入院して意識不明になっていた。


 私は今でも彼女にもらった手紙をときどき読み返している。


 近所の駄菓子屋のおばあさんが死んだのは自殺だったと聞いたのは、成人してからのことで、そのとき連れ合いのおじいさんはすぐ隣の酒屋に駆け込んで「うちで綺麗な人が死んでいる」と言ったそうだ。


 本当かどうかしらない。


 25歳になるまで、自分だけの部屋を持っていなかった。

 だから一人でいるのは耐えられないし、一人でいる時間がないと気が狂ってしまう。


 背中が怖いので、出来るだけリュックを背負って生きていたいと思う。


 外の浅い瓶の中にいるメダカは大雨で流れてしまったようだった。またもらってくると母は言っていた。

 土の上にメダカの死骸はなかった。


 今日は誕生日だったので、とても良い気持ちだった。


 楽しい気持ちのときに、いつも悲しいことを考えてしまう。


 このごろ、悲しさと淋しさがすぐ拡散するようになったように感じる。それはでも、とても良くないことだ。


 とはいえ、こんなふうに淋しい、淋しい、という文ばかり書いてしまってかなり恥ずかしい。


 大声で歌って歩いている人がいる。

 ちょっと怖い。


 ゼリーみたいに全部とけて一緒になれれらいいなと思う。生命のスープ。でも、やっぱりそれもちょっと怖い。それは大きなひとりになるということだ。とても淋しい。


 なにもかもがぴったりとはまった一人なら、淋しくはないのかもしれない。


 楽しくもないだろう。


 今日はケーキを食べたいけれど、ちょっとどこにケーキ屋さんがあるのかわからなかった。明日でもいいからケーキを買おうと思う。


 良い一日だったと思って眠りにつきたい。

 今日は私が産まれた日だから。

 とても特別な日だ。



 散文おわり。

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