わたしの好きな中国娘 リターンズ
リターンズもなにも前の話で中国娘については一言も語っていないわけだが、まぁ良いだろう。
中国娘が好きだ、という話をする。
私は中国の女の子が好きだ。
と言っても、そのことに気がついたのはそれほど前ではない。せいぜい四五年前だろう。中華街の中華料理屋で小皿を頼んだら、従業員の女の子がつかつか皿を取りに行き、つかつか戻ってきて、ガシャーンと大きな音を立て机の上に置いた。その時、はっと思い出したのだ。
私は中国の女の子が好きだ。
その数年前にロシア料理屋の妙年のおねえさんに同じような接客をされて「私はロシアの女の人が好きだ」と言っていたような気がするが、それはそれ、これはこれである。
ともかく、小皿が叩きつけられた音に、思い出すことがあったのだ。そのことを今から書こうと思う。
そもそも、私は中国キャラの女の子が好きだ。春麗とかシャンプーとか。
あるいは単にあのイントネーションが好きだ。お客さんがいても自国の言葉でわーわー喋り続ける感じも(もっともこれは中国に限ったことではないが)好きだ。言葉の下に常にちゃんと感情を携えていそうな感じも。
きゅんきゅんする。
きゅんきゅんという擬音を考えた人は天才だ。
五、六年前の初冬のことである。
脳が水膨張して何も考えられなかった。
水膨張という言葉があるのかどうかは分からない。が、今調べたら水膨張ゴムというのが出てきた。しかしその先を調べる気力はない。
ともかく脳が水で腫れた状態でアルバイトをして、もっと脳が水ぶくれしてしまったのである。なんとかバイトを終わらせた時には、エプロンのうまい脱ぎ方さえ分からなくなっていた。
すったもんだのすえ、ようようエプロンを脱ぎさることは出来たが、しかし、その日はそれで真っ直ぐ帰るわけにはいかなかった。
多くの人類は冠婚葬祭に呪い踊り祈りと、あらゆる儀式を行うわけだが、その都度誰かが何らかの準備をしているわけで、私はそれについて一家言があるというわけではない。
つまるところ、本意不本意という話であって、端的に言えば私は不本意ながら人の祝いの儀式の準備をしなければならなかったのだ。
結婚式の二次会の幹事である。
私はモラトリアムピーターパン妖怪なので、そもそも結婚とかいう明らかな新生活、新機軸的概念は一切好まないが、友人がこれから幸せなるというのであれば、喜んで幹事でも参謀でも客寄せパンダでもやっただろう。
問題は、私がその人を友人とはと思っていなかったということだ。
というより、ぼんやり断り切れずに承諾してからの、不当な扱いに心底嫌になってしまったのだ。最初の打ち合わせで腹踊りをせよ、と命じられ、よく知らぬ配偶者の前で腹踊りをさせられたのだ。
私は腹踊りの名手ではない。
まぁ、それは置いておくとして。
その日はもう一人の幹事と打ち合わせをする予定があった。よく知らぬ恋人たちの馴れ初めやらなんやらを○×クイズにしたてあげるという地獄のような予定だ。
しかし、先にも述べたが私の脳は水膨張しているのである。とても「料理上手な〇〇さん。そのレパートリーの中で〇〇くんが一番好きな料理は何でしょう?」などという世界の誰も興味がないだろう問題を作れる状況ではなかった。
幸い、落ち合うまでに2時間は猶予がある。
ならばマッサージに行くしかあるまい。マッサージかトンカツか、それしか道は残されていない。
言い忘れたが、私はマッサージとトンカツを過信している。
それらを摂取すれば、何もかも治ると思っている。
もっとも、それで何かが治ったのは10年くらい前のことだ。朝5時から夜の12時までという長時間拘束のバイトの10連勤目の夕方、突然少しも体を動かせない気持ちになったときに、イケメンでジャイアンみたいに横暴な先輩が立ち去り際「肉を食え」と言ったので、当時その人の舎弟だった私は反射的にトンカツを食べた。するとたちまち動けるようになったのだ。トンカツが効いたのはその一度だけである。
(まるで「長時間働くワタシ!」的な自慢のように聞こえるかもしれないが、長時間労働で失ったものはあまりに多く、「私はこんなに働いていたんだぜ!」と思い出したように自慢でもしていないと気が狂いそうなのである。ゆるしてぴょん)
それ以来、劇的にトンカツが効いた試しはないが、まぁ、神秘体験など一度で一生分の信仰心はまかなえる。
で、本当ならすぐにでもトンカツを食べたかったのだが、その日は夕食兼打ち合わせだったので、マッサージを選択せざるをえなかった。(本当にただ働いていた自慢をしただけである)
しかし人は頭の悪い日にマッサージに行くことを決めてはいけない。
本当に頭が(もしくは体が)悪くなる前に予約をし、マッサージ店を訪れるべきだ。
気がつくと私は、5階建ての雑居ビルの3階にある薄暗い事務所の中にいた。
はて、と思った。
先程まで、なんとかペッパービューティー的なものでお洒落マッサージ屋さんを探していたはずだった。
それがなぜか、目の前には、膝上20センチくらいまでしか届いていないチャイナ服を着た女性が3人も立っている。
「お客サン、どうする? コース、これ」
とそのうちの一人が言った。
言って、油のようなものでぬめついているメニュー表を指した。
なるほど、私は歓迎されているのだな、と咄嗟に思った。「女性歓迎」という文字が看板に書かれてあったことを思い出したのだ。
しかし今だから言えるが、コンセプトとして女性を歓迎しているようなお店は「女性歓迎」などとわざわざ書いたりしない。
もっと「ハワイアンの流れる極上の癒し空間」とか「いつも頑張っている自分へのご褒美に」とか「お好きなアロマをお選びいただけます」とか。
よくわからないけど、そんなような謳い文句をつけるはずなのだ。
激ミニチャイナ服の女性は、私が何かを選ぶたびに「こっち、もっとオススメ」とランクの高いものを指さした。
私は言われるがままランクを上げた。これは脳の水膨張のせいではなく、少しでも疲労から逃れたかったためである。
いくらでも金を払うからなんか良い感じにくしてくれ!と思った。
で、気がつくとびっくりするほど高いコースになっていた。オッケーというジェスチャーをしてから激ミニチャイナの女の子たちは私のクレジットカードを8回も機械に通した。
モードを「引落」にせねばならないところを「集計」にしているのだから引き落とせるはずもない。
バイト先と同じ機械だったのでやり方を教えてあげて、激ミニチャイナの女の子たちが私の口座から多額の金を引き落とすのを間近で見守った。
いや、スカートが短いな!
と、思ったのである。明らかに短い。それになんだ、このピンサロの待機室然とした室内は。ソファーに穴があいているぜ。あとそのチャイナ服ドンキのコスプレの所に売ってるの見たことあるぜ。
と、にわかに頭の中がうるさくなったけれど、壁に福の字がひっくり返って飾ってあるのを見て、気を取り直した。
これは異国情緒なのだ。
ここは決して怪しいお店などではないのだ。
私はマッサージ用の布を身につけ、担架くらいしか幅のないベッドに横になって、ずいぶん長い間ほったらかしにされた。
たえず中国のヒット曲だか、懐かし名曲だかが流れていて、いよいよ異国情緒を感じた。実際この室内だけでいえば、私だけが違う国の人なのだ。
なかなか良いではないか、と思いだしたころに、最初に話し掛けてきた女の子が入ってきたので、すべてを任せることにした。
ぬるぬるした。
これは頭が悪くてマッサージの概要を理解していなかっただけで、別段驚くべきことではない。オイルマッサージというものである。
微かにラベンダーの匂いがしてとてもよいものだった。
そうは言っても、気が気ではなかった。
今、私をオイルでマッサージしている異国の女の子は、激ミニチャイナを着ているのだ。私は激ミニチャイナの女の子にぬるぬるされているのである。
それに一度トイレに行ったときに入店してきたふくよかな男性が、ものすごく馴れ馴れしく女の子に触っていたことが気になっていた。あの成金然とした男の太い指。
すると、背中をオイルでぬるぬるさせながら女の子が言った。
「――しますカ?」
前半がまったく聞き取れなかった。
でもイエスマンである私の口はすでに答えていた。
「おねがいします」
答えてから焦った。
えっちなサービスだったらどうしよう! と、かなりハッキリと大きな声で頭の中で叫んだ。
日記に書こう。
とすぐに気を取り直した。気を取り直すのは割と得意な方だ。
気がつくと背面からミチミチと音がしてる。それは硬い縄のようなものが引っ張られる音に聞こえた。
縄!? と思った。
「へえっ!」
と喉から声が出て、女の子が笑った。
「ダイジョーブ?」
彼女がやや気安く話し掛けてくれたことが、私は嬉しかった。
「だ、大丈夫です」
そう答えると、痛かったら言ってね、的なことを告げ、女の子はまた私の背中を足の裏で踏みつけはじめた。
そういえば、担架に仰向けになったときに、天井から謎の縄がぶら下がっていたのを見たように思う。
彼女はその縄に捕まって私の上に立ち、ぬるぬるした足や膝頭を使い、ごりごりと凝りをほぐしているのだ。
これは――。
これはえっちなやつか?
私は混乱した。
今思えば混乱するまでもなく明らかにただのマッサージなのだ。女の子に踏みつけられてどう思うかは私の勝手である。なんでもかんでも性癖で世の中を図ってはいけない。
けれど当時はそんな分別がなかったので、一瞬にして私は高揚した。
これが回春マッサージか!
と、天啓を得て、どうやったらこのことを上手く日記に書けるだろうか、とものすごく必死に考えていた。
当時は――と今私は言ったが、今もまだ分別がついていないので、やはりどう考えても激ミニチャイナの女の子に膝頭でお尻をぐりぐりぬるぬるやられるのは回春的マッサージだ――と考えている。口にして言わないだけだ。
ともかく、私は高揚していた。同時に沈殿してもいた。
ぬるぬるして心地よいのと、それまでの心労と、早くも揉み返しが来ているような感じがしたのと、やっぱり脳の水膨脹が止まらないと、一瞬たりとも知っている言語が流れてこないのと(そう思った瞬間になぜか福山雅治が流れたが)で、激しく飛び跳ねたいような、泥の中に沈んだまま少しも動きたくないような、そんな妙な心持ちでいたのである。
「痛いデスカ?」
体をもぞりと動かすと、女の子が後ろで言った。
私は懸命になって、とても心地がよいということを彼女に伝えた。彼女は「よかったー」と、流暢で心のこもった言い方をした。
その時、なんと答えたのかはっきりと覚えていない。
日本語が上手いですねとか、なんかそんなようなことを言ったのかも知れない。あるいは、どこの出身かというようなことを聞いたのかも知れない。
しかし、それに対しての彼女の答えもまた覚えていない。
覚えているのは、もっと彼女に近づきたい(えっちな意味ではない)という憧れに似たような強い感情だけである。
はっと思い出したように私は言った。
「私の父も中国人なんですよ」
言った瞬間に何かとてつもない嘘を吐いたような気持ちになってしまった。本当に父は中国人なのだろうが、生まれも育ちも日本だと聞いた気がする。
それに私は父親の記憶がほとんどない。これではまるで、親戚の友達が有名人なんだよ、と言っているようなものである。ほぼ無関係だ。
「ホント!?」
と、彼女は急に年相応の勢いのよい声を出した。ぐっと距離が近づいたのを感じて、私はとても申し訳なくなった。が、もう遅かった。
「どこの人ですか?」
と彼女は跳ねた言葉で言った。私は、ごく小さな声で「せっこーしょー」と答えた。
浙江省、というような単語をどこかで聞いたことがあるような気がしたのだ。ただ、それ以上の情報は一つも持っていない。割とハゲていたようには思う。
あー、と彼女は発声練習のような声を出した。
「――ワカラナイ」
と、とても悲しそうな声で続けた。
そう聞こえたのではなく、本当に悲しい声で言ったのだ。
日本語では「せっこうしょう」というが、きっと中国語では違う言い方をするのだろう。
彼女が「せっこうしょう」を知らないように、私も浙江省を中国語でなんと言うのか知らなかった。考えて出てくるような問題ではない。
そんな当たり前のことに、とてつもないショックを受けた。
彼女も彼女で、抱こうとした親近感が急激に遠くなったことを残念がっている様子だった。それでも、少し打ち解けて話してくれた。
予想通り、というかそれ以外ないだろうが、彼女は出稼ぎに来ているのだという。
家族がいっぱい向こうにいるから、というようなことを教えてくれた。ここは休みがほとんどなく、毎日働き続けて疲れるし、日本には知り合いがいないからとても淋しいということも言っていた。
「じゃあ、早く帰りたいですね――」
と、私は彼女に心を寄せていった。知り合いのいない異国で毎日休みなく働くなんて、耐え難いことだと思ったのだ。
しかし彼女は首を激しく振った(その時は足つぼマッサージに変わっていた)
「戻りたくないヨー。中国、もっと大変だよ。日本はとてもよいところよ」
よもやそんな答えが帰ってくるとは思わなかったので、私は密かにぎょっとした。カルチャーショックだった。彼女はもう一度はっきり言った。
「一生かえりたくないよー」
そんなに? と思った。
盆暮れ正月(旧正月?)くらいは帰っても良いんじゃないか? もしかしたら帰ったら一生日本に来られないのか? ならばまぁ、帰らなくて良いけど、ともう常連になったような気でいた。
すると、彼女は日本だどれだけ良いところかを力説しはじめた。
「休みの日、みんなで海にいったよ。海、寒かったよ」
もう冬が来るのだからそりゃあそうだろう、と思ったが、彼女は本当に楽しそうだった。
月に一度しかない定休日かなにかに、従業員みんなで江ノ島に行ったのだという。他にも渋谷だかにも言ったとか、そんなことを話していた。
知り合いはいないけれど、みんなと遊ぶのは楽しいから大丈夫なのだそうだ。
大丈夫、という言葉を使ったのが印象的だった。
私は足をごりごりやられながら、冬の海に行く異国の――中国の女の子たちのことを思った。江ノ島の海は正直綺麗ではないけれど、それはそれでなんか良いなと思ったのだ。
別に綺麗ではない冬間近の海を見ながら、身を寄せ合って楽しそうに笑う女の子たち。これはなかなか、というかかなり素敵だ。
「でも、日本の若い女の子はとてもカワイソウだよ!」
と、突然彼女は憤慨した。
他は最高だけれど、それだけが日本の良くない所だ、という口調だった。理由を聞くと、少しだけ怒ったような口調で彼女は言った。
「スカートが短いでしょう? あれでは寒いよ。カワイソウだよ」
それは間違いなく同情の言葉だったが、微かに親近感に近いものも見てとれた。よその国にも大変なことがあるのね、といった口調だった。
私が後年、中華街でお皿をガシャーン!と置かれて思い出したのは、この時のことだ。異国の女の子のためにプンスコ怒っている彼女の顔。それから、冬間近の綺麗じゃない海に屯している私にとっての異国の女の子。
「中国の女の子って良いよね」
ガシャーンと置かれた小皿に油淋鶏を取り分けながら言うと、前に座っている後輩はこちらを見もせずにぼそりと言った。
「ドMなんですね」
そうかもしれない、と私は思った。中国の女の子にお尻を踏まれたときのことを思い出したのだ。それから、ずっと端に置いてあったピータンを二切れ食べた。
こんなものを作るなんて、中国はよく分らない。
それでもやっぱり、私は中国娘が大好きだ。いつか、私も中国に行きたいと思う。
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