たぬきと天啓 畑に行ってきたよ日記①

 今日は『平成たぬき合戦ぽんぽこ』が放映されるので、そのつもりでタイムスケジュールを組まなければならない。


 そう思ったので、朝から畑を手伝いに行った。


 畑仕事というのは都会の人には馴染みはないだろうが、田舎に住んでいる私にも別段馴染みがあるわけではない。

 土を触って、虫やら鳥やらの生きているのを感じたり、四季折々の葉っぱをありがたく頂戴し、一息ついて山に向かって茶をしばいたり、そんな生活をしたらさぞ気分がよかろうが、コンビニが割とあるそこそこ便利な田舎でそれをするには金が必要なのだ。健康だって必要だ。

 私には金も健康もないので、そんな生活は出来ないのである。


 というわけで、人の畑の手伝いをしに行った。


 そこである天啓を得たのでみなさまにもお話ししようという寸法だ。

 実はこの前段はまったく必要ないのだが(なぜなら私は今から畑に関係することは言わない)それを書いておかないと、三行くらいでこのお話が終わってしまうので、一応書いておいた。


 さて、今日私がした仕事は、地面に縦1.3メートルくらい、横50センチくらい、そして深さが50センチくらいの穴をスコップで掘ること。

 穴の中にお役御免になり引っこ抜かれた元野菜たちを入れること。

 この二つだ。


 さて、この畑仕事で得た天啓が三つ。


 一つ、人を埋めるために穴を掘るにはかなりの体力が必要。

 二つ、穴が掘れた、という達成感のあとで人をそこまで運び、中に上手いこと入れ、なおかつまた土をかぶせるためには、かなりの精神力が必要。

 三つ、深夜に殺した人を明け方までに山の中へ埋めるのは大分困難。相当大変。


 以上である。ほとんど一つの天啓なのに三つに分けたのはその方が、文章として収り良かろうという判断だが、別にそうでもなかった。


 みなさんは地面に穴を掘った経験がおありだろうか? あまりないのではないかと思う。もしかすると「いや、普通みんな掘るでしょ?」という常識があるのかもしれないが、私は一つ所にしか住んでないのでそういう常識は知らない。知見が狭くて申し訳ない。

 少なくとも自らの感覚を信じれば、あまりないと思う。


 今まで漫然と、死体埋めるのって大変っしょ! と思ってきたけれど、実際に穴を掘ってみると、その想像の8倍は大変だった。まずもって体が思ったように動かない。少年、青年期であるのならまだ良いが、大人になってデスクワークをしている人は要注意である。結局は筋肉だ、という説は非常に信憑性が高い。


 あとスコップが重い。けれど軽いスコップはおすすめしない。重さでなんとか掘り進めている所がある。土も重い。勢いだけでやると腰を痛めることになって、その後の逃走に支障を来す恐れがある。だから辛くてもちゃんと足を曲げ、腰を入れて作業をすることだ。消して腕の力だけで掘り進めようと思ってはいけない。


 判断力と要領の良さも必要だろう。どこまで掘る必要があるのか、ある程度の所で諦めるか、もしくは、きっちとここをこれくらいまで、というビジョンを描かなくてはいけない。しかし、穴が思い通りに掘り進められると思ったら大間違いだ。


 すごく固くてどうしてもこれ以上掘り進められない、と思っていたら大きな石だった、ということだってある。除けられる程度の石であれば良いが、取り除くことが不可能なくらい大きな石が入っていることもあるだろう。


 穴を掘るという行為はどうも過去への感慨を抱かせるらしく、私は掘りながら知りもしないロシアの農夫のことや、宮沢賢治のことなどを思い描き自らの生活を内省した。その感慨に殺人後の精神が堪えうるのかどうか、ということを考えずにおられない。


 興奮していて、そういうような神経は麻痺しているのかもしれないが、今の平坦な精神状態の上で考えると、泣き出して出頭してしまうだろうと思う。

 強い精神力が必要だ。それだけは間違いない。



 こういうことは、穴を掘ればみんな考えることなのかもしれず、わざわざそれらしい文章を書いて、良い気分になっていて恥ずかしいが、都会の人は穴を掘る経験がないだろうから、経験者としてちょっと教えたくなってしまったのだ。

 

 私が埋めたのは大量の植物たちだったが、彼らは上の方は乾いていても、六つ子の鍬だか熊手だかでえぐり出すと、中の方はどろっとしていて、樹液と茎と土が渾然一体となり、まさに腐りゆく死体だった。

 それを引き摺り、穴に持って行く作業をしているうちに、本当に私は死体を埋めているのかもしれない、と思い始めたというわけである。白昼夢体質ここに極まれりだ。


 土に還るなどというが、畑仕事なんていうのはまさに死と隣り合わせで、不本意ながら繊細ちゃんでいる私にはなかなかどうして辛い部分もある。


 幼いころは、雑草だからといってどうして抜かなきゃいけないのだ、と涙をこぼしながら、小さな虫をたくさん殺して楽しむという人並みの感性があったが、今ではそれも消えてしまった。

 毎夜「明日死ぬかもしれない」みたいな恐怖と戦っていて、小さな虫を殺す気概があるはずもない。


 野菜を育てるためには、雑草を抜かねばならず、虫も殺さねばならず、時期によって抜いたり埋めたりしなければならず、辛いことこの上なしである。

 しかしだからこそ、美味しく、ちゃんと残さずご飯を食べましょうね、という言説が私は反吐が出るほど嫌いである。

 これはただの主張で、この後には何も論は続かない。ただただそういうことを言う奴らが嫌いなのだ。大っ嫌いだ!


 さて、そんなこんなで三行で終わるはずの文章がもう二千文字にもなっている。一体、私の午後はどこに行ってしまったのだろうか。

 畑に行ってきたよ日記のあとに①とあるのは、なんか字面がその方がぽいかなーと思っただけで、決して②があるわけではないので注意して欲しい。


 私はいつになったら私の好きな中国娘のエッセイを書けるのだろうか。夏前にはそのエッセイが書けるといいな、というようなことを思いつつ、早くバイトの話を書き終わりたい次第である。

 もうすぐ書き終わるので、その暁には何か、美味しいものを食べたいと思う。だから応援して欲しいと思う。よろしくお願いします。


 以上。あとはみんなで『平成狸合戦ぽんぽこ』を見よう。ぽんぽこぽん。

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