胃のない人がケーキを食べた

 数学か、数学でないのか、それだけが問題なのだ。


 世の中のものは全て「数学」と「数学ではない」ものの2つに分かれている。


 全体として「やや数学」や「ほとんど数学ではない」ということは起こりうるけれど、原子的な要素では「数学」か「数学ではない」かの2択しかない。


 これは本当のことだ。


 私は人より長く、深く、数学について考えてきたから知っているのだ。


 もっと「数学ではない」言葉で解き明かしたら、分かりやすいのかもしれない。でもこれはとても簡単な理論なので、ともすると聞き流されてしまう可能性がある。

 けれど、切実かつ切迫した理論なので、出来れば笑わないでゆっくり聞いて欲しい。

 

 つまり――私に分からないものはすべて「数学」であり、私に分かるものはすべて「数学ではない」のだ。


 本当のことだ。


 この世には「数学」と「数学ではない」ものの2つしかなくて、私には「数学ではない」ものしか理解できない。 


 もっと理解を深めてもらうために、具体的な例えをたくさんおいておこうと思う。


 for exampleというやつ。


 たとえば――定規に沿って線を引くのは「数学ではない」が、定規を使って画用紙に綺麗な四角を書くのは「数学」だ。


 368円のお会計に対して500円を出すのは「もちろん数学ではない」し、370円を出すのも「ほとんど数学ではない」が、373円出すのは「数学」で、423円を出すのは「魔術並みの数学」だ(見ると気絶しそうになる)(最後のたとえを考えるのに2駅費やした)


 歌を歌うことは「数学ではない」けれど、旋律自体は「たぶん数学」で、楽譜になると「マジで数学」になる。

 あと、合唱コンクールで真面目にやってよ、と言って仕舞いに教室を飛び出していく子は「昔は数学」だったけれど、今なら「数学ではないのかもしれない」と思う(泣かせてごめんね)


 身近なものだとネットサーフィンは「数学ではない」のだけれど、パソコン自体は「まごうことなき数学」である(0と1で出来ていると聞いた)

 だから、Wordちゃんが勝手に字下げしてくるのをネットを彷徨ってなんとか直すのは「総合的に考えて数学」だし、何度調べてもすぐにその方法を忘れてしまうのは、これはたぶん私のエラーだ。数学とかじゃなかった。


 ちなみに、こんなふうに、沢山のたとえ話をして分かってもらおうとするのは「もの凄く数学ではない」



 で、私は1、2、3という数を覚えるところから、算数を経て、そこから連なるいわゆる算数が、一体どこから「数学」になったのかを考えてみた。


 まず、5までの足し算引き算は「まぁ数学ではない」6や7の足し引きは「やや数学の匂いがする」8と9は「数学の匂いが強い」10は「数学ではない」がそれが2桁以上の足し引きになると全て「数学なのでは?」になる。


 九九は「数学じゃない」(ただし7、9の段を除く)


 問題は割り算だ。

 2のでてくる割り算は「数学とは言えない」が、それ以上だと「数学なのでは?」になる。百歩ゆずって整数の分数までが「ぎりぎり数学ではない」として、分数を整数で割るのは「は? 数学か?」だし、分数を分数で割るということは「数学!」だ。


 というわけで、世の中で一番原子的な「純然たる数学」は、分数を分数で割るということだ。


 実はここからがこのお話の本筋なのだけれど、私はもう20年以上この「分数を分数で割る」という事件について考えている。


 それまではちゃんとりんごとかみかんとか、たけしくんとかみちこちゃんで想像できたけれど、分数の分数は想像できない。


 ホールのケーキを二人で割るのが1÷2なのは分かるし、その時の一人分のケーキを表して1/2なのも分かる。

 けれど、じゃあ1/2割る1/2はケーキで表すとどうなるんだ?


 ホールケーキを二人で割ったときの一人分のケーキをホールケーキを二人で割った時の一人分のケーキで割るのか?


 え?


 ケーキをケーキで割るというのがまずわからない。それは何をしている状態なのだ。

 ぷよぷよみたいに相殺されるわけでもあるまい。相殺されるのなら答えは0だろうけど、この計算の実際の答えは1だ。


 もしかしてこの人には胃が半分しかないのだろうか? 胃が半分しかないから――。


 え?


 胃が半分しかないから何なのだ?

 ホールケーキを二人で分けたときの一人分のケーキを胃が半分しかない人二人で分けると1になる???


 え?


 胃のない人が二人?

 「胃が半分しかない」で「1/2」を表したのになんで二人出てきたんだ?

 胃が半分しかない人でホールケーキを二人で割ったときの一人分のケーキで割る――えっ!



 え??????


 

 という具合である。

 臨場感を出すために意識の流れ風に書いてみた(私は意識の流れを理解していない)


 たぶん、私の理解している「割る」ということとは、別のことが行われているのだろうという所までは分かるのだけれど、習ったときにはそれ以上がわからなかった。

 分かっていないのに公式を使うのが嫌だというタイプの子供だったのだ。

 こちらが躓いても「数学」は少しも待ってくれなかった。


 つまり、私には本当に「数学」が分からないのだ。とても難しいのだ。


 けれど、残念ながら小説を書き上げるにあたってしばしば「数学」にぶちあたるのである。

 私にとって文章を書くことは「純然たる【非】数学」で、だから文章を書くことはものすごく楽しい。寧ろ文章を書く以外のことは全て苦痛だと言っても良い。


 ただ、文章を書くこととと小説を書くことは違う。これは全く別の作業だ。


 という話から、いろいろ論を展開しようと思ったのだけれど、すこし長くなったのでこの話は次の機会にすることにする。小説を書くのが大変だという話は。



 さて、実際私はもう大人だし、たくさんの書籍(貴志祐介さんの『青の炎』にこの答えがのっていた)を読んだり、少し親しくなった人に「あの」と声をかけ「あなたは分数を分数で割るということの本当意味がお分かりですか?」と危なめの宗教家のように声をかけたりして、今ではこの「分数を分数で割る」ということについて、一応の決着がついている。


 この質問について、大抵の人は「なんだこいつ?」という顔をするのだけれど(ひどいよね?)今のバイト先の人々は大変に真摯にこの問題について取り組んでくれた。


 休憩のたびに裏紙を使い、私にこの問題はケーキでは表せないのだと教えてくれた人もいたし、一緒になってなぜケーキじゃ表せないのだ? と悩んでくれた人がたくさんいた。五人ぐらいいた。


 数理?の学部を卒業した人が、伝票と一緒にこの問題の証明のメモを渡してくれたり(QEDって本当に使うんだ! ということ以外よく分からなかった)

 共にレジで「あ! わかった」「え? どういうことです」「だから――あれ?ちがった」「え?」「いらっしゃいませ!」「いらっしゃいませ!」と考えてくれた人もいた。


 このことがあって、私は少し「数学」を見直したのである。全然分からなかったけど。問題にみんなで真剣に取り組むのは楽しい。全然分からなかったけど。

 でも分からないことがあるというのはとても楽しい。


 という訳で、バイト先の人々に感謝をするとともに、急激にこの話のオチを見失ってしまったので、ここでこの話は終わりしようと思う。




 追伸(エッセイなのに?)


 記号はみんな「数学」だけど、ニアリーイコールだけは「数学ではない」と思っているのけど、どうかな?


 寒いので、風邪などにはお気をつけて。また書きます。

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