第12話 闇に魅入られた少女

 崩れかけた城壁。

 雑草が生い茂り荒れ果てた広場。

 砲撃と魔法の激しい応酬でめちゃめちゃに破壊された王宮……


 そこは、かつて自ら人間を解放し、遠く離れた地に魔族だけの王国を新たに建国した魔王の城だった。

 魔物達が力を合わせて築いた砦だったが、一年前この異世界に降臨したチート勇者によって王国はあっけなく滅ぼされてしまった。

 その後、城は彼等の自堕落な悦楽の場として使われていた。毎日のように宴会で乱痴気騒ぎが繰り広げられ、捕らえられた魔物達は狩りの為に地下牢に繋がれていたのだ。

 その王城には、もう誰もいない。

 生えるに任せた雑草に広場は荒れ、雨風が吹き込むままの王宮は、ずっと手入れされていなかったこともあって次第に朽ち始めている。

 ここを根城にしていたチート勇者達は、ある日ティーガー戦車を従えた少年の手によって倒されたのだ。地下牢の魔物達は彼によって解放され、迎えに来た魔物達と共に遠く西へと去っていった。城も王国も捨て、新天地を求めて。


 その廃城にいま、ひとつのうろつく影があった。


 激しい攻防で城中も破壊され荒れていたが、無傷の調度品や高級な食器の類がまだいくらか残っている。

 だが、そんな金目の物に目をくれるでもなく、彼は城の中をのろのろと歩き回っていた。


……それは、かつてこの城でチート勇者として栄華を欲しい侭にしていたリュードだった。


 悦楽を共にしてた勇者達はもういない。

 彼の傍で寵愛を奪い合っていた少女たちも愛想を尽かして去ってしまった。


「ちくしょう……」


 力なく罵る声に応えはなく、ただ廃城を吹きすぎてゆく風の音がするばかり。

 憎しみに駆られるまま少年とティーガー戦車、魔物達の一行を追っていた彼は、芝居がかった英雄気取りのチート勇者に拾われたのだったが、その彼等も結局ティーガーとの戦いに敗れ、この異世界から姿を消してしまった。

 少年に挑発され激昂していたチート勇者アルトは、ありったけの魔法で滅茶苦茶に攻撃したが、ティーガーの装甲はどんな属性の攻撃も歯が立たなかったのだ。

 逆に戦車から放たれた砲弾は、どんな防御魔法でも防げなかった。


「何でだよ、ここは異世界だぞ! チート勇者のオレにこんなのがあっていい訳ないだろうが! 逆だろうが! クソがぁぁぁ!」


 アルトは名乗りを上げた時の正義の勇者気取りが嘘だったように、口汚く泣きわめきながら消えていった。追従していた仲間達に至ってはリーダーの豹変振りと予想外の惨敗に周章狼狽し、為す術もなく……

 そしてリュードは?

 彼は結局、戦いには加わらなかった。戦場の端でふて腐れていたように突っ立っているだけだった。どうしても戦う気になれなかったのだ。

 そのうえ、窮地に陥ったアルトから「おい、手前も援護しろ! 拾ってやった恩を忘れたのか? この役立たずが!」と罵声も浴びせられ、助ける気すら失せてしまった。彼は反論すらせず、そのまま黙って見捨てたのだった。

 一緒にいた少女は、彼等が敗れ去るのをリュードと共に冷然と見つめていたが、いつの間にかその場から消えていた。

 リュードもなし崩しにその場から逃げ出したが、だがどこへといっても当てなどなかった。

 取り合えず、人間達の住む国へ戻ってみた。

 しかし、彼がそこで眼にしたのは次第に勇者を必要としなくなってゆく社会だった。

 自分を見た人々は「あ、勇者様だ」と珍しい目で見る。蔑みの色こそなかったが、もう以前のように敬意を払っているようには見受けられない。

 それは「平和になったはずのこの国に何の用だろう?」という不思議そうな眼差しだった。

 城へ赴くと、国王が「おお、リュード殿、久しいな。お元気そうで何よりだった」と温かく迎えてくれたが「して、こちらへはどのようなご用件で参られたのかな?」と尋ねられると応えに窮した。

 この異世界に住む人間から、もう「勇者」は不要な存在になろうとしている。それを皮肉られたような気がして、彼は「なんでもねえよ!」と言い捨て、唖然としている王をその場に残して立ち去った。

 彼は、そのまま人目から逃げるように廃城と化したこの魔王城へ戻って来たのだった。もう、どこにも行き場がなかったのだ。

 これからどうすればいいのだろう。

 広場に出ると周囲を見回し、崩れ落ちた瓦礫のひとつに腰掛けてリュードはボンヤリと考え込んだ。

 心の中に、何かじわじわと迫ってくるものがある。


(オレは今まで、いったい何をしてきたんだ?)


 自分が思い描いていた通りにこの異世界で生きてきた。尊敬と恋慕と財産を欲しいまま手に入れることが出来た。

 しかし、それはいつまでもずっと……という栄華ではなかった。異世界に住む人々の社会から魔物の脅威も勇者の英雄譚も過去のおとぎ話のようになろうとしている。

 異世界に来た時、リュードは人々の目から尊敬の色が褪せ始めていたのを感じていた。

 だが、周りの勇者達はハーレムの遊興に耽るばかりで、それを憂える者は誰ひとりいなかった。だからこそ圧倒的な正義の力を見せつけて人々の尊敬を引き戻そうと、彼は逃げ隠れする魔物の残党を追っていったのだ。

 だが、そこにあの少年と戦車が現われて……そして、すべてを失ってしまった。

 リュードは、ただ虚しさに囚われて風に揺れる雑草を眺めていた。

 どれくらい、そうしていただろう。


「……見つかった?」


 ぎょっとして顔を上げると、あの色褪せた赤いドレスの少女が立っていた。足音もなく気配すら感じなかったのに、彼女はどこから現れたのだろう。


「見つかったって? ああ、オレがどうあるべきかってお前が言っていた話か」

「……」


 応えはなく、少女は冷ややかともいえる表情でリュードを見下ろしている。


「見つからなかったよ。いや……」


 自嘲じみた笑顔でリュードはつぶやいた。


「最初からなかったんだろうな。異世界チートなんていい気になって、英雄気取りでチヤホヤされて、エルフやメイドとイチャイチャして……そんなものに、何の意味もなかった」


 少女の瞳がスッと細められた。


「……続けて」

「なんだよ、負け犬の独り言を聞きたいのか? まぁいいや」


 肩を落としたリュードは、足元を見つめながら独白した。


「オレは、元いた世界では引き篭もりのニートだった。コミュ障で周囲からバカにされて高校にも行けなくなって、親の脛をかじりながらネトゲで現実逃避していた最低のクズ野郎さ」

「……」

「ネトゲでもパーティーを組んでた奴等からバカにされてよ、いい様に利用されて裏切られて荒れて滅茶苦茶にして。そんな頃にネットで異世界転生のラノベを読みだした。オレもこんなチートハーレムの世界に行けたらって思ったよ」

「……」

「コミュ障のニートがダンプに撥ねられたら異世界に行けるらしい。どうせ親からも見放されてるんだ、生きていても失うものは何もない。そう思ってオレは賭けに出てな、そうしてここへ来たのさ」

「……」

「女神さまには逢えなかったし手違いで死なせたとか言われなかったが、この世界でチート魔法が使えるのを知った時は躍り上がって喜んだよ。だけどよ、こうなってやっと分かったような気がする。オレは本当は、凄いとか偉いとかチヤホヤされたかった訳でも、ハーレムでキャッキャウフフしたかった訳でもなかったんだってな……」


 うなだれて独り言のように語り続けるリュードは気がつかなかった。

 無表情で聞いていた少女から次第に黒いオーラのようなものが揺らめくように立ち上り、その瞳は喰い入るように彼を見つめている。


「勇者リュード、あなたは本当は何が欲しかったの?」

「……居場所」


 しばらく考えた後でリュードがポツリとつぶやいた瞬間、ギラついて見つめていた少女の瞳にカッと燃え上がるものがあった。


「続けて……お願い、続けて」

「続けるものなんかもうねえよ。これでおわりだ。オレの居場所は元の世界にもここにもなかった。きっと、どこにもないんだろう」

「……」

「どこかにオレの居られる場所が。そう思っても学校にも、社会にも、ネトゲにも、異世界ここにも、先にテリトリーを築いてる奴がいる。ここはお前の来る場所じゃない、入ってくんなって弾き出されて。でもよ、そうやってあっちでもこっちでも追い出され、弾き出された奴は、一体どこへ行ったらいいんだ? 誰も自分の居場所さえ守れれば、そんな奴等の末路なんぞ知ったことじゃないんだろう。いっそ……いっそ、こんな世界なんか……」

「……」

「もう、何もかも虚しくなっちまった。さぁ、お前もこんな無様な負け犬の戯言なんか聞いてないでどこかへ行けよ。まだきっと……」


見つけたエウレカ!」


 自嘲の言葉を突然断ち切り、甲高い叫び声がこだました。


「な、なんだよ。一体どうし……」

「見つけた。とうとう見つけたわ!」


 驚いて顔を上げると、見下ろす少女の顔に哀しみを滲ませた微笑みが浮かんでいる。それまでずっと感情も凍り付き人形のように無表情だった少女が、それではこんな表情も出来たのだ。


「見つけたって……それはどういう……」

「私、あなたにまだ名前も名乗っていませんでしたわね」


見上げるリュードの前で少女はドレスの裾を摘み、優雅に一礼した。


「私、本物河ほんものかわ沙遊璃さゆりと申します」


 大きな瞳に長い睫毛。アンティークドール風のドレスにツインテールの髪が似合っていたが、闇に染まりかけたその赤い瞳の中に悪魔を一匹飼っている。

 魔族の王姫アリスティアにも引けを取らない美しい容姿をしていたが、それは何か醜い感情と哀しみが溶け合って咲いた地獄の花とでもいうような妖しさを湛えていた。


「貴方はどこにも居場所がなかったけど、私は少しだけ違うの。居場所を失ってここへ堕ちてきた。何故って……」


 急に少女は言いよどんだ。

 そして自分の腕をそろそろと捲り、まるで己の秘部でも見せるように恥ずかしげに俯いてリュードへ差し出した。

 まるでサメのエラのようにリストカットした傷跡が並んでいる。手首に近い、一番新しい傷が最も大きく、ザクロのように切り裂かれていた。


「これは……」

「私が居場所を失った証。パパとママが喧嘩する度に切ったの。そうすれば二人とも私を心配してくれたから」


 リュードが初めて知った、少女の生い立ちだった。


「冷たい家の中が怖かった。パパもママも離婚したら自分についてきてって勝手なことを言っていた。選べるわけない。どっちがいなくなっても私の居場所はなくなる。必死だった。だけど、お願い仲良くしてってどんなに泣いても駄目だった。明日にも離婚しそうで、私にはもうこれしかなかった。でも……」


 鼻をすすり上げる音と共に、裂けた傷口の上に涙の粒が落ち、はじけて散った。


「しまいには切っても、ああまたか……って単なる私の我儘にされてしまった。そして離婚届をダイニングテーブルの上で見たあの日、とうとう私の居場所がなくなってしまうことを知った。だったら、いっそ……」


 息を呑んだリュードの前で、少女は掠れた声で「最後の賭けだったの……」と、つぶやいた。


「でも、いっぱい血が出てくる、すぐ来て、助けてってスマホから叫んでもパパもママも、最初に手を切った時みたいにもう来てくれなかった。私は……私は……」


 驚かさないように、泣きじゃくる少女の肩をそっと抱いたリュードが「そうか、お前さん、そんな辛い経緯でここへ来ちまったんだな」と言うと、少女は彼に縋りついてわっと泣き出した。

 彼は、少女が何故ずっと無表情のままでいたのか、ようやく理解出来た。

 居場所を無くし、絶望した彼女の目には、魔王城での乱痴気騒ぎや正義の味方を気取った勇者の浅ましい振る舞い……何もかもがくだらないものにしか見えなかったのだろう。

 そして、同じように居場所を失い、虚しさを知った自分を理解者としてようやく見出したのだ。


「お願いがあるの。リュード、絶対にうんと言って。お願い」

「何のお願いかわからないのに言わされるのかい」

「笑わないで、殺すわよ」

「おお怖ええ」


 リュードはまた笑ったが、それは暗く沈んだ笑いだった。


「オレももう何もないんだ。何でもうんと言ってやるよ」

「ありがとう」


 何もかも失った同士で交わそうと彼女が云ったのは……


「一緒に、この異世界を滅ぼして」


 それは、約束というべきものではなく、悪魔の契約だった。

 恐ろしいことを告げた死神とは思えない天使の微笑みを浮べると、少女はリュードの唇にそっと自分の唇を重ねた。

 それが契約の証だとでもいうように。

 あたかもそれまでリュードが一人でボソボソとつぶやき、少女が黙って聞いていた立場が入れ替わったとでもいうように、リュードは沈黙を守り、少女が歌うように語りだした。


「私はずっと、居場所を失って絶望した人を探していたの。操者となる私の“苗床”として」


 少女は、リュードが呆れたか怖じ気づいていないかとその表情を伺ったが、彼は穏やかな顔で少女を見返し、黙って続きを促している。


「さっき言ったわね。『あっちでもこっちでも追い出された奴は、じゃあ一体どこへ行ったらいいんだ?』……そう、居場所すら与えられなかったのよ、貴方は。それが憎いとは思わないの?」

「憎い?」

「普通に人と接することが出来ない不器用な貴方を世の中は弾き出し、この異世界でも貴方を理解し受け入れてはくれなかった。それならいっそ……ねえ、言いかけてたでしょう? 滅ぼしてしまいたい、滅茶苦茶にしてしまいたいって……私と同じ言葉を」

「……」

「きっと、私はもう元の世界には還れない。パパとママが今さらどんなに嘆いてももう遅いのよ。それと同じ苦しみを、この異世界の奴等に味わせてやりたいの」


 悲しみに打ちひしがれ、虚無に魅入られた少女の声色に、次第に狂気に近いものが混じり始めた。


「この異世界の人間の国から魔物達の脅威は消えて、人は勇者を見捨ててしまった。魔物達を捕らえて、そんな彼等をもう一度襲わせるの。見捨てた勇者はもういない。後悔してももう取り返しはつかないわ。そうやって見捨てられた者の哀しみを、呪いを思い知らせて、滅ぼしてやるの」

「本物河……」

「沙遊璃って呼んで」


 狂ったような顔が、ふっと寂しげに微笑んだ。少女は顔を傾け、リュードの視線を促す。

 何かと促された先にある彼女の影は、可憐なシルエットを映してなどいなかった。

 長く伸びたそれは……異様で不気味な「何か」を映していた。


「分かった? 憎しみに囚われて、歪んでしまって、本当の私はこんな醜くて恐ろしいものになってしまった」

「……」

「怖い?」


 それは闇へ引き摺り込む悪魔の呼び声というよりも、一人で闇へ呑み込まれる恐怖に耐えられないからずっと手をつないでいて欲しいとでもいうような……拒絶を恐れる哀願の響きに思えて、リュードは首を横に振った。


「でも、最後にひとつだけ」

「いいわ。何でも。なんなりと」

「ひとりだってこの世界を滅ぼすことは出来るんだろう? じゃあ、オレを待っていたのは?」

「言わせないでよ……さびしかったからって、ひとりぼっちが嫌だったって……」


 悲しそうに微笑むと、少女はリュードにそっと抱きついた。

 その華奢な身体から瘴気が噴き出し、ドレスを溶かして彼女の姿はドロドロに崩れ始めた。そのまま少女はリュードの身体に絡みついてゆく。

 だが、彼は抵抗しなかった。どうせこの先には何の希望もなかったのだから。

 焼けつくような熱さを覚悟したが、痛みはまったくなかった。むしろ、自分の身体が何か軽くなり、そのまま透き通ってゆくような快い感覚がした。

 彼女の哀しみと憎しみに、リュードの意識は次第に同化してゆく。


「たった一人で世界を憎むなんて、滅ぼすなんて、さびしすぎる。あなたもずっとひとりぼっちだった。さびしくなかった?」

「ああ」

「ふふ……もう、そんな強がりなんて無意味だから。私たち、さびしい者同士だったのね。だけど、これで……」


 照れたように笑ったリュードを愛おしく思った少女は、その顔が溶けて崩れる前にもう一度リュードに唇を重ねた。

 そして、歪んで溶け落ちたおぞましい顔から悪魔を呼ぶ呪文が唱えられる。


「居場所すら許されず見捨てられたあなたの……家族の絆を求めながら断ち切られたわたしの……哀しみを、憎しみを、思い知るがいいわ。恩義など忘れながら危機が迫れば助けてと得手勝手にほざくがいい、人間達よ、この異世界に生きとし生けるものよ……」


 呪詛にも似た言葉と共に、ドロドロに溶け合った二人は歪み、何かの形へと膨らんでゆく。


「闇より目覚めよと呼ぶ声あり、この異世界を滅ぼす為に。さあ、我が化身よ。ここに……この地に……」


 やがて、もうもうと立ち込める瘴気の中から悲鳴のような生誕の雄叫びを上げ、禍々しい巨大な「何か」が姿を現し始めた……

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