第11話 鋼鉄の王虎を駆る勇者
魔物達から爆笑をかったトロッコだったが、その後、サスペンションを改良して衝撃を適度に緩和するくらいまで調節することが出来た。メデューサ婆に少しづつ粘液を硬化させてもらったのである。
魔族達の笑顔を目にしたアリスティアの身体も順調に回復していった。
もっとも、一時は瀕死だった彼女が以前のように先頭に立って歩いたり皆を励ますようになれた訳ではない。まだ介添え付きで歩いたり小さな声で話せる程度だったが、魔物達にとって彼女が健康でいてくれれば充分過ぎるくらいだった。
食料や水も当分の旅には困らぬ量が集まった。
そして、休憩を挟みながらであればアリスティアも旅に耐えられそうと思われる頃合いを見計らって、ここから出発しようということになった。
「本当なら姫様をもう少しゆっくり休ませて、もっとお元気になってからとも思うのですがの……」
「大丈夫よ。それに、いつまでもここにいる訳にはいかないわ」
アリスティアはそう言って、心配顔のメデューサ婆を慰めた。
一度はチート勇者のインスペクターが待ち伏せていた森なのだ。別のチート勇者達にも知られている可能性がある。ずっと長居するのは却って危険だと以前に少年から言われており、仕方のない話だった。
こうして話し合いの末に準備が進められ、いよいよ森を出る日を迎えた。
そして……
「出日和になりましたな、アリスティア様」
「ええ。見て、お婆ちゃん。空があんなに青いわ」
空の四半分 を雲が覆っていたが、合い間に見える蒼穹は吸い込まれそうなほど濃い青に染まっていた。彼等の旅立ちを祝するかのように、爽やかな風が森を吹き過ぎてゆく。
この日までに休養を取った魔物達は、以前と同じ精気と明るさを取り戻していた。
森の中の広場のように開けた場所へ集まると彼等は旅の準備を整え、既にティーガーの傍に並んで待っている。
敬慕する王姫が間もなくここへ出座し、出立を号令する。それを受けてトロッコに乗り込み、西への旅が再び始まるのだ。
アリスティアもメデューサ婆の介添えで朝のうちに沐浴を済ませていた。
「綺麗な青……」
ふと、見上げた空の青さに目を奪われる。
本当は当てのない筈のこの旅。
それでも、それでももしこの先のどこかで希望が見つかるのなら……
彼女は跪いて、静かに祈りの言葉を捧げた。
「母なる地よ、リアルリバーの大地よ、どうか我らの行く手に希望を与えたまえ……悪しき名を捨て平和な生を望む我らに光をもたらしたまえ……」
立ち上がったアリスティアは凛として姿勢をただした。小さな感傷は捨て、また一族を導かねばならない。
今までのように先頭に立って彼等を励ますことはまだ出来ないが、せめて今までの辛苦への労わりと感謝の言葉をかけてあげようと思い、彼女は岩屋から出ようとした。
「お待ち下され」
「お婆ちゃん?」
改まった声に振り返ると、メデューサ婆は白いものを手に捧げ持って立っていた。
「アリスティア様、ご出座の前にどうぞこれをお召し下さいませ。今日の御出立の為にと、婆が丹精込めて作りました」
うやうやしく差し出されたものを見て、アリスティアはそれがメデューサ婆が自分へ約束していた贈り物だと気がついた。
「お婆ちゃん、これは……」
「アリスティア様、お忘れですか? この婆は姫様のお付きだけではなく、魔王様や王妃様へ仕立師としても仕えていたのですよ」
そっと手に取って広げる。それは今まで袖を通したことのない、美しいドレスだった。
不思議な触り心地で、生地は一見白いが巧みに織り込まれた色糸で虹のような色彩を放っていた。フリルはたっぷりと使い、裾や袖にだけ金色に輝く糸で縁取られている。控えめな装飾だが、それが却って気品を感じさせた。
まさしく一国の王姫にふさわしいドレスだったが、今まで薄汚れたドレスに着慣れていたアリスティアは、自分がこんなものを着ても良いのだろうかと思わず気後れしてしまった。
「姫様、どうされたのです? さあ、婆が手伝いますから袖を通して下さい」
「は、はい」
それまで着ていたボロボロのドレスから着替えるのを手伝いながら、メデューサ婆はアリスティアへ楽しそうに語った。
「実を云いますと魔王城で半冠を探していた時に反物を見つけたのですよ。これはそのヤマンバの錦から仕立てました」
「ヤマンバの錦?」
「ええ、いくら切って使っても翌日には元通りになるという反物です。なんでも、姫様がご生誕の際、リアルリバーとは別の世界に住む山鬼の婆から魔王様へお祝いに献上されたものだそうでございます」
「不思議な反物ね。そんな宝物を下さるなんて、その山鬼の婆様はきっと心優しい立派な方なのでしょう」
「見つけたのはまさしく僥倖でございました。これからは皆の新しい衣類も道中に婆が作ってゆきます」
「みんなもきっと喜ぶわ。私にも手伝わせて」
「はい。そうそう、縁取りのこの刺繍は、金の糸を吐く蜘蛛が森におりましてな。虫をたらふく食わせて糸をたくさん吐いてもらいました」
着替え終えたアリスティアをしげしげと眺めたメデューサ婆は「お似合いです」と目を細め、ため息をついた。
「やっぱり御血筋ですねぇ。王妃様のお若い頃……婚姻前の頃の面影がございますよ。お美しい。精を出した甲斐がありました」
「お婆ちゃん、ありがとう……こんな素敵なドレスを」
「どういたしまして。さあ、参りましょう。皆が待っております」
手を曳かれ、おずおずと岩屋を出ると、待っていた魔物達の間からどよめきが起こった。
「おお、アリスティア様!」
「姫様、綺麗……」
「何とお美しい!」
口々に漏れる賛辞の言葉と視線がこそばゆく、アリスティアは俯いた。
そういえば、あの少年は自分をどんな風に見てくれているのだろうとこっそり伺うと……彼は魂を吸い取られてしまったとでもいうように腕をだらりと下げて顎を落とし、半ば腑抜けたように見惚れている。
そして、目線が合うと我に返ったのか、顔を真っ赤にして明後日の方向を向いてしまった。そのあからさまな照れように、アリスティアは思わずクスリと笑ってしまった。
やがて、石段の上に上がった彼女は一族のざわめきが収まるのを待ち、静まった彼等へ向かって静かに口を開いた。
「リアルリバーの魔を纏いし者達よ、今日をもってこの森を出立します。みんな、今まで心労を掛けました。ごめんなさい。でも、この通り私は元気になりました」
それは以前のように皆を引っ張っていた時の、元気いっぱいの声ではなかった。
死の淵から戻ってきた身体も痩せて頼りなく、細かった。肌は薄く白くなり、手首など簡単に折れてしまいそうだ。
脆く弱くなってしまったアリスティアの声は、それでも朗らかでどこまでも優しい。
これからは自分達がこの王姫の手足となり、風除けとなり、雨をしのぐ遮蔽となって大切に大切に守ろうと魔物達は一様に思った。
少年が「アリスティアの重荷をみんなで分かち合おう」と言ったのは、まさしくこのことだったのだ。
「姫様、これからはひとりで無理をなさらないで下さい。頼みたいことや心配事があったら何でも我らに言って下さい」
思い余った様子で一匹のオークが申し出ると、アリスティアは今までとは違う彼等の視線に気がついたようだった。
その眼差しを静かに受け止めると、彼女は「ありがとう」と笑みを浮かべてうなずいた。
「リアルリバーの魔を纏いし者達よ。どうか、これからも心をひとつに……」
「誓います! アリスティア・アルデン・リアルリバー!」
魔物達は一斉に主君への誓いを唱和した。
彼等だけの格式を汚さぬよう、静かに控えていた少年は、魔物達が動き出したのを見計らって「じゃあ出発の準備にかかろう」と声をかける。いや、かけようとした。
少年の声を遮るように、メデューサ婆が改まった声で彼を呼んだ。
「テツオ様、こちらへ。アリスティア様の御前へ」
その凛とした声には、呼んだ者へ有無を言わせぬ響きがあった。
魔物達が動きを止め何ごとかと見守る中を、少年は驚きと困惑の顔でおずおずと進み出た。ドレスを新調したアリスティアの美しさが眩しくて直視出来ない上、何故呼びつけられたのか見当もつかない。
もじもじしながら少年は王姫の前に出た。自分をみつめる王姫の瞳が、密かに熱を帯びて優しく潤んでいることなど知る由もない。
蛇髪の老婆は、彼の困惑や狼狽など素知らぬ顔で丁寧に会釈した。
「テツオ様。アリスティア様が、貴方にぜひお礼を差し上げたいと申しています」
「えっ?」
そんな予定など露知らぬアリスティアは驚いて傍らのメデューサ婆を見たが、老婆はすました顔で続ける。
「我らリアルリバーの魔族の窮地、王姫アリスティア様の御生命を、貴方様は幾度となく救って下さいました。どんな感謝しても感謝し切れません。どうかこれをご拝領下さい。アリスティア様からのお気持ちでございます」
そう言って取り出したのは、折り畳んだ白いマントだった。
アリスティアのドレスと同じ、ヤマンバの錦で仕立てられたマントである。それまで少年が身につけていた薄汚れたマントとは比べ物にならない立派なもので、アリスティアのドレスと同じように金の糸で縁取られていた。
(私のドレスとお揃い……)
同じ生地のドレスとマントをそれぞれ身につけることに、嬉しさと恥ずかしさが入り混じり、アリスティアの頬に赤みが差した。
メデューサ婆からマントを手渡されたアリスティアは、少年の肩に付けてあげようとしたが手が震えてしまった。そのうえ彼の方が背の高いので上手く掛けられない。
「テツオ……膝をついてくれる?」
「う、うん……」
付け終わり、立ち上がった少年にマントはよく似合っていた。
貧しげな身なりだった少年は叙勲を受けた騎士のようになり、見守る魔物達からも感嘆の声が漏れた。
「……そのマントはね、お婆ちゃんが一生懸命作ってくれたの。どうか大切に着て下さい」
「そうか。お婆ちゃん、ありがとう」
「どういたしまして」
嬉しそうに笑った後、少年は真顔で静かに頭を下げる。メデューサ婆はその誠実さに思わず破顔した。
少年は振り返ると魔族達へ手をあげた。
「みんな。さあ、出発の準備だ!」
「おおー!」
歓声をあげ、魔物達が動き出す。
その時、風がマントがなびかせ、少年は風の向こうを見た。
風は西からだった。この風の向こうには何が待っているのだろう。
彼の感慨をよそに、魔物達は勇んで次々とトロッコへ乗り込んでゆく。
ティーガーのエンジンを始動させた少年は、キャタピラ周りを念入りに点検した。ドワーフにキャタピラを押してもらい、キャタピラを止めるピンが緩んでいないか一本一本、丹念に確かめる。問題はなさそうだった。
砲塔へよじ登ろうとしていると、何やら諍いのような声が後ろから聞こえてきた。
何だろうと振り返ると、アリスティアが周囲の魔物達の静止を振り切ってティーガーへ走り寄って来るところだった。
車体の側面から彼へ向かって何やら懸命に呼びかけている。
「……!」
「アリスティア、どうしたの?」
少年は慌てて降り立った。
「大丈夫だよ。この間は酷い目に遭ったけど、トロッコはあれから改良して乗り心地が凄く良くなっているよ。何度もテストしたから安心してくれ。安楽椅子も作ったんだ。凄く快適だよ」
アリスティアは首を振った。
「私をティーガーに乗せて下さい」
「えっ、でもティーガーに乗ったら疲れるよ。体調とか考えたら乗り心地のいいトロッコの方が……」
「いいえ、ティーガーに乗りたいの」
「トロッコに乗るのが怖い?」
「違うわ。でも今日だけでいいから……」
「困ったな」
「我儘を言ってごめんなさい。でもお願い」
予想外の我儘に困惑した少年は、王姫の心の内など知る由もない。
アリスティアはちょっと黙り込んだが、ふいに顔を上げると真っ直ぐに少年を見つめて言った。
「わたし、テツオの傍にいたいの」
応えはなかった。その言葉に異邦人の少年は何を思ったのだろうか。
アリスティアは彼の表情を懸命に探ろうとしたが、それは傾きだした陽の逆光に隠れて伺うことが出来なかった。
「おーい、みんな手伝ってくれ! トロッコの安楽椅子をティーガーに乗せるから」
そう言って魔物達のところへ駆け出した少年は、ドワーフやオーク達に担ぎ上げられた安楽椅子と共に戻ってきた。椅子はティーガーの機銃手ハッチの上に乗せられ、丈夫な蔦紐で留めつけられる。
「多少は椅子が吸収してくれるだろうけど、振動が少ないように低速でいこう」
少年がつぶやくと、ゴブリンが「テツオ、アリスティア様をよろしく頼む」と声を掛けた。
「うん。みんなもトロッコへ乗ってくれ。出発するよ」
「わかった。それとアリスティア様、疲れたら少しでも無理しないで休憩するよう命じて下さい。いいですね、我慢したら絶対駄目ですよ」
「わかったわ。必ずそうします。ありがとう……」
アリスティアは、トコッロへ戻ってゆくゴブリンを見送ると、西の方角を見つめていた少年のマントをくいくいと引っ張った。
「……我儘言って、ごめんなさい」
彼女の申し訳なさそうな表情に、少年はその顔を優しく解いて笑った。
「別にいいよ、これくらい」
怒ってはいないだろうかと不安気だったアリスティアの顔はぱっと綻び、そのままはにかんでしまった。後方のトロッコから自分を見つめる魔族達へ向かって出立の合図……西を指し示そうとする。
だが、立ち眩みを起こして思わずふらついてしまった。
魔物達が思わず「危ない!」と、腰を浮かせたが、背後から少年が慌ててアリスティアを抱きとめた。
金木犀のような香りがふわりとして、抱き留めた手から彼女の温もりが伝わってくる。少年は自分も眩暈を起こしそうになってしまった。
「西へ……」
本当はあるはずのない楽園へ向かって。
ためらうように西を指さすと、続いて少年が高々と上げた右手を振り下ろした。
「
轟くようなエンジン音を伴奏に、ティーガーは再び「ゴウンッ――」と、鉄のキャタピラを軋ませ、ゆっくりと動き始めた。
巨大な起動輪がキャタピラを一枚、また一枚とゆっくり噛み込み、放してゆく。ティーガーが進み始めると、連結したワイヤーに引っ張られてトロッコもゴロゴロと動き出した。
再び、遥かなる旅が始まる。
トロッコの荷台はキシキシと音を立てて軽く揺れる。心臓まで震えるようなティーガーの振動に比べれば、揺りかごのような快い乗り心地だった。
どこか旅行でも楽しむような気持ちを抑えられず、魔物達は移りゆく周囲の景色を何度も見回し、飽かず眺めた。
とはいっても森の外は殺風景な荒野だった。荒れ果てた大地が果てしなく続いているばかり。
それでも……異邦人の少年と鋼鉄の神獣が再び加わったことで、どこか不安で重苦しかった旅路が明るく変わったことを誰もが感じていた。
陽は既に大きく傾いていた。トロッコに乗った魔物達は後ろを向き、遠く小さく離れてゆく森をじっと見やった。
「おい、あれを見ろ……」
ふいに脇をつつかれたゴブリンが、何かと振り向いて前を見る。
ティーガーの巨大な砲塔に身を置いた少年が沈みゆく夕陽の方角、西を見つめていた。再び前進を開始した戦車の上に、彼はやっと身の置きどころを得たという感じである。
彼に寄り添うようにして、アリスティアも同じ方角を眺めていた。
雲間から差し込む光が希望を求めて再び旅立った一行を照らし出す。魔物達は思わず立ち上がり、残照を全身に浴びた。
異世界の日輪は、空の一端に平和な残照を放ちながら次第に没しようとしている。
トロッコから見る彼等の目に、そのとき鋼鉄の王虎と少年と王姫が、まるで創世の神話の一場面を描いた絵のように映った。
「……」
魔物達は、荘厳なまでの異様な感動に声もなく呪縛されていた。
思わず息をのんだ彼等の一匹が、風にマントを翻し王姫を護るように雄々しく行く手を見る少年の姿を見て、つぶやいた。
「勇者……鋼鉄の王虎を駆る勇者……」
やがて彼等の視界に、鋼鉄の王虎の後ろ姿が茜空を背に浮き上がるパノラマとなった。
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