第9話 ザプリンス

無数の星がきらめく草原真ん中に立つ一本の木。そこには真新しい縄で、三人の男たちが縛られていました。その三人を、ある男が見つめます。男たちは彼が来たことに驚きの表情と同時に、安堵のため息を漏らしました。

「待っていましたよ、バーセル王子」

 三人組の一人は言いました。月の明かりが男のはげ頭に反射しています。

「ご苦労だった」

 バーセル王子と呼ばれた男は、三人を縛る縄をほどきました。そして懐からひもで縛った茶色い袋を取り出し、放り投げました。

「報酬だ、受け取ってくれ」

 縄から解放された男たちは、袋に群がり中を見ました。中には男たちの両手にあふれるほどの金貨が詰められていました。

「こんなに、いいんですか?」

「ああ、かまわん」

 王子は表情を変えることなく答えます。

「にしても王子、何故このような命を?」

「そうですよ、あの女の荷物を奪って、姫を拉致してここに逃げろなんて」

「実際、俺たちはしくじっちまってるし」

 三人の男は浮かんだ疑問を次々に王子へとぶつけます。王子は頬を緩め、空を見上げました。吹き抜ける夜風が温まった体を冷やします。

「いや、いいんだ。それで。何も問題はない」

 間をおいて王子は続けました。

「ひきょう者には、ひきょう者らしい罪滅ぼしがあるということだ」

 そう言うと、王子は振り返ることなく男たちの前を後にしました。王子は以前、ビオラ姫に対してのあまりにも非常識な行動を、数年にわたり後悔してきました。これが王子なりに考えた罪滅ぼしなのでしょう。王子はその国の安宿に戻りました。

「じい、戻ったぞ」

「おかえりなさいませ、王子」

 じいと呼ばれた豊かなひげを携えた老人は頭を下げました。王子は変装するために纏った白い布の服を脱ぎ、寝巻へ着替えました。

「明日はいよいよビオラ姫の演奏会。こちらに明日のための服を用意させていただきました」

「いや、それはもう必要ない」

 ソファに腰掛けた王子は、窓の外を見ながら言いました。老人は目を丸く見開きま、ひげをぴくりと動かしました。

「それはまた、何故でしょうか」

「もう、必要ない」

「今までずっとお聴きに参っていたではありませんか」

「もういいと言っている」

「王子」

「くどい」

 王子はそう言い放ちました。老人は口が過ぎたと思い、顔を俯かせました。

「王子が恋した姫と結ばれるなんてものは、おとぎ話だけの話なのさ」

 王子の心の中には、ずっとビオラ姫のことがありました。それが薄まることはなく、日が経つにつれて、その思いが強くなりました。しかし王子はわかっていました。姫が一緒に幸せになりたい男は、自分ではないことを。そして、自分は姫が幸せにならない限り、幸せになれないことを。だから王子は、自分は姫にも、姫の恋した男にもかかわることなく、姫とその男を会わせることにしました。

「彼女の物語に、私はもういらないんだ。きっと」

 老人はしばらく考えた末、言いました。

「明日、御帰還いたしますか」

「ああ、そうなる。船の手配をしてくれ」

「御意」

 老人は頭を下げ、部屋を後にしました。部屋に王子だけが残りました。国では来日した姫が戻ってきたことで大賑わいでした。しかし王子は外の喧騒に顔をしかめ、ベッドに飛び込んだ後、耳をふさぎ、あの日山で姫と手を握り合い、走った夜のことを思い出していました。

 好きだ。その気持ちだけで動いた結果、姫を傷つけた。その罪悪感を保証するためにした行動だというのに、王子の心はなにかがかけたままでした。

 結局その日、王子はほとんど眠ることはできませんでした。

 翌日、王子は港に向かいます。王子と悟られないよう、昨日同様地味な服を身に纏い、護衛は誰もつけないようにと言いました。その日だけは、王子は一人の男として地上を歩きたかったのです。姫よ、どうか幸せに。そう祈りながら、歯を食いしばって王子は歩きました。

「おいきいたかよ、城の演奏会の話」

 町人の噂話が王子の耳に入ります。

「ああ、聞いたぜ。なんでも演奏会の後、早々と城を飛び出したんだって?」

 姫が? あいさつはいつも丁寧にした後、関係者の人間すべてに礼を言って回るような彼女が? 王子の疑問を助長するかのように、町人の噂話はいたるところに広がっています。

「きいた? なんでも城を飛び出した姫、でっかい荷車に乗り込んだらしいわよ?」

「きいたわ、なんでも城の護衛兵がその台車をひっぱっていったんだって?」

 ……ポタか? と王子は思いました。もしかしたらまたあの時のように二人でどこかに行ったのかもしれません。でも、それが二人の選択ならと、王子は自分の心に言い聞かせました。鼻の奥がツンとしびれたような感覚が走り、あわてて王子は上を向き、泣きそうな気持ちを抑えようとしました。

「でよ、その荷車どこに行ったか知ってるか?」

「さあな、でもあそこにある荷車、それっぽくないか?」

 町人たちは港の方を指差します。王子もつられて向き直ります。そこには一台の荷車と、大柄な男が息を切らして座り込んでいました。

「も、もう駄目だ、限界だよ」

 息も絶え絶えに男は言いました。王子はその男のことを知っていました。ポタです。かつて自分が姫を誘拐させた、ポタです。そしてそれは姫の初恋の男でした。

「あ? わ、わかっただ、ちょうどいるだよ」

 なんのことだかわからないまま、ポタは荷車を引きずるように持ち、王子のもとへ近づいてきました。

「お、お久しぶりです、バーセル王子」

「……」

 仮にも王子が一度、殺そうとした男です。そんな男との対峙に、言葉を失いました。

「いいですよ、何も言わなくて。ただ、届けものがあってきただけです。おらは城へ帰りますだ。もう会うことはないでしょうが、どうかお元気で」

 ポタは荷車を置いて、王子のもとから逃げるように去りました。王子の前にくすんだ荷車があります。その上の煤けた布は、まるで風が吹いたようにはだけました。

 中にいたのは姫でした。

「……」

 姫は俯いたまま何も言いません。王子も同じでした。姫のドレスはよれよれで、ヒールは履いておらず、はだしでした。

「走って、ここまで来ようと思ったんだけど、あいつが乗れって」

 姫は場を取り繕うように、そう言いました。

「……そう、ですか」

「あんたにはさ、もう会いたくないとか言ったし、あんたがしたことは許せないわよ? でもさ」

 姫は荷車からスカートなのもお構いなしに、大股で降りました。王子はあの時に比べて、ずいぶんと背は伸びていました。姫の頭は、ちょうど王子の胸の高さほどです。

「これくらいはさせて」

 姫は王子の腰を、両手でやさしく抱きしめました。「     」かすれた声で姫はなにかを言いました。

「姫、今なんと」

「うるさい」

 姫はさらに強く王子を抱きしめました。


おしまい

 

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お姫様の決断 ろくなみの @rokunami

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