第6話 関係ないでしょ?
ビオラはバーセル王子来訪の日から、人が変ったようになりました。誘拐されてから性格が内向的になったりするとはよく言われますが、ビオラの場合はその逆でした。
まずはバイオリンのお稽古にとても熱心になりました。
「姫様、今日のレッスンはもう」
「いいえ、今のフレーズのとこだけ教えて、よくわからないわ」
先生も困り果てるほど熱心になってしまい、昼も夜もビオラはバイオリンを弾き続けました。
意味のないことは今までずっと嫌いだったビオラの行動に、皆首をかしげました。
「意味のないことは今でも嫌いよ。意味のあることは今でも好き。私は何も変わっていないわ」
疑問を口にしたアリアに対し、ビオラはそう返しました。アリアはその言葉の意味がわからず、首をかしげました。
バレエに格闘の稽古も同じくらい熱心になり、バイオリンの音が聞こえない日は、大抵誰もいない大広間でステップを踏むか、回し蹴りの練習をサンドバックに延々としていました。
正直うまいとは言い難かったビオラのバイオリンも、バレエも、日に日に上達していきました。一年もするころには、コンクールで優勝を飾るほどになっていました。
棚に飾るトロフィーも賞状も、年を重ねるごとに増えて行きました。ビオラが十九歳になるころには、部屋中にトロフィーや賞状が散乱しているようなありさまになっていました。
「ずいぶんと頑張られましたね」
メイドのアリアがトロフィーをうっとりと見ながら言いました。
「それほどでもないわ。まだまだ私よりうまい人はいるんだから」
十九歳のビオラは、子供のころとは違い、背も伸び、大人びた仕草もするようになりました。子供のころのガサツな言動も減りはしましたが、アリアに対しては子供のころから何も変わっていませんでした。
「それはそうですが、姫様も類稀ない才能をお持ちだと思いますよ?」
アリアや他の人が褒めても、ビオラは一向に笑顔になることはありませんでした。コンクールで優勝をしても、ビオラが笑顔を見せたことは一度もありませんでした。まるでビオラの目的は優勝以外のどこかにあるように。
「格闘技は大会には出ないんですか?」
「出たかったんだけどね。お父様に反対されたわ。野蛮すぎるって」
文化系の大会にはいくらでも出させてはくれましたが、体を動かすものは、こぞって王様は首を横に振りました。
「まあ、私が出ちゃったら男どもは顔負けしちゃうしね、勘弁してあげるわ」
「あらさすが姫様、お優しい」
「そうでしょ」
そう言って二人でクスクスと笑いました。実際のところ、ビオラの格闘の腕はこの城の兵士と対等に戦えるほどになっていたので、もし大会に出場していたら、よい成績が残せたかもしれません。
「ところで姫様」
「なによ」
「先週の姫様の優勝の記念もあり、少し遠いですが、アンタム王国で姫様のバイオリンを是非とも聴きたいとお便りが来ていますよ」
ビオラはこの類の誘いは、コンクールより乗り気でした。そして今回も例外ではありません。
「支度をするわよ」
ビオラのバイオリンの名声は海の向こうまで届いていました。王族のたしなみ程度の音楽は、そこまでの技量を求められていたわけではありません。ですがビオラの場合は、その求め以上の演奏を見せ、世間では「バイオリン姫」と呼ばれていました。
「名前はビオラなのに、皮肉な話よね」
港で船を見上げながらビオラは言いました。
「姫様の名前のビオラは楽器からきたわけじゃないんですよ」
「そうなの?」
「ビオラってお花があるんです。パンジーとてもよく似ていますので、間違っても無理はありませんね」
自分のビオラはアンタム王国への船へと乗り込みました。アンタム王国は距離が離れていますが、ビオラの国とは親交があり、以前にも何度か訪問はしていました。
「姫様、今回の演奏会が絶賛されれば、姫様はさらに有名になりますよ」
「それは悪くないわね」
「姫様は、どうして有名になりたいのですか?」
アリアの質問に、ビオラは何も答えませんでした。ただぼんやりと、遠ざかるタンザ山を見つめていました。姫という特権さえあれば、ある程度名前を知られることは何の努力もなく成し遂げられるものでした。それゆえに、ビオラの行動にだれしも首をかしげました。ですが、アリアには確信はありませんが、ある程度の予想はできました。
「ポタさん、ですか?」
「よくわかったわね」
「わかりますよ。有名になれば、いつかポタさんが会いに来てくれる。そう思ったんですよね」
「安直な考えだと思う?」
「いいえ、ちっとも」
「正しいことをしていたら、真面目になにかを取り組んでいたら、いつかたどり着けると思ったんだけどねえ」
ビオラはけだるそうに背伸びをしました。
「難しいものね」
「きっと、なにかしらの結果は出て来ますよ」
アリアの言葉に頷きながら、ビオラは空を横切るカモメの姿を見ていました。大勢のカモメがいる中、二羽でぴったりくっついているのもいれば、ひたすら一羽で飛び続けているカモメもいます。カモメたちにも、個性があるのでしょうか。
「やってやるわよ」
そう言ってビオラはこぶしを天に振りかざしました。海を照らす太陽が、ビオラのこぶしを赤く染めました。その姿は十年前と何ら変わりなく見えました。
「姫様は変わりませんね」
「背は伸びたけどね」
アリアはクスクスと笑いました。
「ポタさんに会ったら、まず何をします?」
「ヒールで足を踏んでやる」
そう言って二人で笑いました。
翌日、アンタム王国の港にビオラ一行はたどり着きました。馬車に乗り換え、城へと進みます。町は賑やかに人々が行きかい、笑顔であふれていました。
「この町に来たのは、私は初めてかしら」
「二回目ですかねえ、姫様をお妃さまが出産されてからしばらくして訪問したんです。この国の王子様ともその時遊ばれたんですよ?」
「覚えてるわけないわねそんなの。どうりで懐かしくはあるけど記憶にないのね。王子ねえ、どんなやつ?」
「さあ、わたくしもしばらくお会いしてないんでなんとも。おそらく今日の演奏会でお顔を見ることにはなりますけど」
「なるほどね、演奏会は明日だっけ」
「ええ、明日のお昼過ぎになります」
ビオラは「ふうん」と言うと、活気だった街並みを見ていました。自分の国とはまた違った雰囲気に気分を良くし、鼻歌を歌いながら流れていくお店に目を向けていました。金髪の髪の長い、主婦のような風貌をした女性が、道を歩いていました。その時です。
「きゃー!」
路地裏から現れたはげ頭で筋肉質の男が女性のカバンをひったくって、すたこらさっさと道の向こうへと逃げて行きました。
「大変! 早く追いかけなきゃ!」
町の人が男を追いかけようと駆け出しているところをすり抜けるように、ビオラは馬車から飛び降り、ひったくり犯を追いかけました。スカートの裾を持ち、ヒールは脱ぎ捨ててはだしで駆け出しました。
「姫様! お待ちを! 危険です!」
「関係ないでしょ! 誰だってこういうときには一番に動かなきゃいけないのよ!」
兵士の止める言葉を聞き入れず、ビオラは男を追いかけました。バイオリンにバレエに格闘技、故にランニングやトレーニングは欠かしていませんでした。おかげでビオラの足は人一倍早く、ひったくり犯との距離を、少しずつ詰めていきました。ひったくり犯は振り返ると、冷汗をかきながら路地裏へと逃げ込みました。ビオラも後を追います。スカートがふわふわとして邪魔くさく、脱いでしまいたくなりました。路地裏の籠ったにおいや、落ちているガラス瓶は、あまり体験したことがないもので、すこしだけ抵抗がありました。
それでも女性の荷物は取られたままです。ビオラは駆け出し、迷路のように入り組んだ路地裏を進みました。
「足音がまだ聞こえるわ。こっちね」
音を頼りに、路地裏を右へ左へ曲がります。しばらく進んだ先は行き止まりになっており、そこにひったくり犯は壁へ追い詰められていました。
「さあ、観念して荷物を返しなさい」
「へっ、えらくべっぴんさんな格好してるなお譲ちゃん」
「お譲ちゃんじゃないわ、姫よ」
「姫だあ? ああ、バイオリン姫とかいうやつか」
「ビオラよ」
「なんでもいいさ。なんだってそんな高貴な方が、ちんけな国民のためにわが身を呈してやってきたんだい?」
「関係ないでしょ」
ポタとの約束。優しい人になる。それを他人に言うことは、その約束が弱まってしまう気がして、言えませんでした。そしてビオラは蹴りを男の股間に問答無用でたたきこみました。
「ぐはっ!」
あまりにもその行動が唐突で、男は油断していました。まともに攻撃をくらってしまい、うめき声を上げながらうずくまりました。あまりにもあっけなくやっつけることができたので、ビオラは拍子抜けしました。
「さて、荷物は返してもらうわよ」
そう言って、ビオラは荷物のほうへと歩み寄りました。その時でした。後ろから足音が聞こえました。それも一人や二人ではありません。ぞろぞろと五人以上はいます。ビオラが振り返るころにはもう遅すぎました。男たちがバールやこん棒など、大小さまざまな武器を構えていました。どうやら仲間がいたようです。
ビオラは頭を殴られ、そのまま意識を失いました。
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