第5話 どこなのよ
ビオラが城に戻ってから、いろんなことがありました。
まずは、王様と女王様は、泣きながらビオラを抱きしめていました。
「苦しいわお父様」
そうは言っても王様は泣くばかりで、まともに返事すらしてくれませんでした。ビオラはその日から、王様と女王様に対して、いつもより目を見て話すことが多くなったようでした。
アリアも当然同じ反応をしました。ビオラの背骨がミシミシと音を立てるほど、つよく体を抱き寄せていました。
「もう姫さま! 本当に誘拐なんてされてどうするんですか! もう、この馬鹿!」
「わかったわかったわかったから、腕を離してよ、体が折れそうだわ」
そうは言ってもアリアの抱きしめる力は強くなるばかりで、まともに会話をしてくれませんでした。ビオラはその日から、アリアとは一定の距離を取って会話することにしました。
「そんなに離れないでくださいよ! もうあんなに抱きしめませんから!」
アリアのそんな訴えで渋々会話の距離は元に戻しました。
「ねえ、それより教えてくれる? わたしがこの城に戻ってきた状況を」
「状況というか……そんな説明するほどのことじゃないんですよね。姫さまが夜に城門前で毛布にくるまれていたところを兵士が発見したんです」
「……毛布ねえ」
ビオラは不満げに窓の外に目を向けました。ついこの間まで過ごしていたタンザ山は、今日も高々とそびえ立っています。
「むしろ姫様は、本当に何も覚えてないんですか?」
ビオラは、自分が誘拐されたことに対して、言わぬ存ぜぬを通しました。ショックで記憶をなくすというのはよくある話なので、疑う人はいませんでした。
ですが、アリアのまっすぐな瞳を見ていると、嘘をついているのがどうにも申し訳なくなってしまいます。
「……アリア」
「はい」
「だれにも言わないって、誓う?」
アリアにビオラは嘘をつけませんでした。ビオラはポタとの長いようであっという間だった共同生活の話をしました。アリアは笑ったり、涙ぐんだり、ビオラと一緒に怒ったり、とても真剣にビオラの話に耳を傾けていました。
「全く、姫様って人は」
「ごめんね。危ないことをしたのはわかっているわ」
「いいんですよ。今無事なんですから」
アリアのやさしい言葉に、ビオラはほっと一息つくことができました。それと同時に、話しながらビオラの脳裏に浮かんできたのは、ポタのことでした。ポタ何かをやったり、話したことを思い出したのとは少し違います。ポタの存在を、ビオラは思い出していました。同時にビオラは床にどさりと寝転がりました。
「どうしました?」
「うーん、なんだろ、体を今動かしたくないの」
話しながらも、ビオラの頭の中をポタが埋め尽くしていきます。ポタの言葉の一言一言が、次々に再生されていきました。
「ねえ、アリア」
「なんですか?」
「ずっと一緒って言ったのよ」
アリアが答える間もなく、ビオラは続けます。
「約束したのに。あいつは私を捨てたのよ」
アリアは何を言っていいかわからず、黙りこんでしまいました。
「本当最低な奴、デブで間抜けで、ドジで、でもやさしくて」
アリアは何も言えません。
「ねえ、アリア」
ビオラはまたアリアに尋ねました。
「はい」
「ポタは、いま、どこに、いるのかな」
言い終わる前にビオラは泣き出してしまいました。わんわんと子供らしく、大声を出して泣きました。アリアは何も言えませんでした。ビオラはどうして自分が泣いているのかわかりませんでした。ひとしきり泣いて、ビオラの喉は枯れ、ひっくひっくと嗚咽を漏らした後、ビオラは気がつきました。
その感情がなんなのか、うまく説明はできないけれど、その気持ちはとても大きくて、温かくて、やさしいなにかでした。
「ポタさん……ですか」
「どうかしたの?」
「いえ、ポタという農家の人は、今一つきいたことがなかったので」
「そうなの?」
「はい、姫様がさらわれた時も、確かに主犯は誰かと騒がれましたが、結局容疑者は特定できなかったんです」
「……変な話ね、ポタは毎年野菜をうちに運んできてるって言ってたわ」
「確かに野菜を運ぶ業者さんはいますが、少なくとも、ポタという名前ではありません」
ではポタとは何者なのか。今まであった謎がさらに深まりました。
「どうしたらいいのかしら」
「手掛かりかどうかはわかりませんが。今の姫様の言葉が本当なら、この手紙はなにかの道しるべになるかもしれませんね」
アリアは一通の手紙をビオラに渡しました。差出人はデュシャンヌ王国。つまりバーセル王子の国です。
「なんでバーセル王子から? 池に落としたこと怒ってるのかしら」
「いいえ、なんでも謝罪したいことがあるようです。後日落ち着いたら会いたいとおっしゃっております」
ビオラは二日後、バーセル王子と会う約束をしました。王様まで来るということで、国は大騒ぎになりました。いったい何事かと、いろんな憶測が騒がれました。バーセル王子がビオラを助けに行ったことは、国中が承知していました。それから王子はずぶぬれの恰好のまま国に帰ってきて、「誘拐犯は殺した。だが姫はいなかった」と言ったそうです。おそらくビオラに池へとつき落とされたことを言えなかったのでしょう。ビオラがさらわれてから、一番に救いに行くと言ったのはバーセル王子だったそうです。だから国では、ビオラを救えなかったことの謝罪だろうとささやかれていました。誠実なバーセル王子なら、だれしもが納得する結論はそこでした。
ですが実際は違います。バーセルがビオラに告げることは、謝罪ではないことは確かです。では何か、ビオラは頭をひねりながら、謁見室でバーセル王子の来訪を待ちました。お昼過ぎに、王様とバーセルは申し訳なさそうな顔でとことこと部屋に入ってきました。王子の頬は腫れていて、ガーゼを貼っていました。
「姫様、お久しぶりです」
ビオラはどうこたえるか悩みました。一応記憶はなくしている設定でしたが、今部屋にいるのは姫とバーセル王子と、デュシャンヌ国王の三人です。嘘をつく必要はないと感じました。
「ええ、お久しぶり」
バーセル王子はビオラの対応に、やはり記憶喪失は嘘だったと判断できました。
「なぜ記憶をなくしたと嘘を」
「ポタのことを話すとややこしいでしょ」
バーセル王子は口をつぐみました。
「で、何しに来たの」
ビオラの問いに、国王が口を開きました。
「この馬鹿息子の愚行を許してくれ」
「父上!」
「まだ殴られたりないか?」
国王はこぶしをちらりとバーセル王子に見せ、すごすごと王子は頭を下げました。どうやら国王が王子をぶったようです。
「説明しなさい」
ビオラの催促に、バーセル王子は、覚悟を決めたように口を開きました。
「まず先に謝罪の言葉を述べさせてください。このたびは」
「いいから、早く」
王子の謝罪の言葉をさえぎり、ビオラは結論を急ぎました。ビオラはそんなことをききたいわけではありません。
王子は長々と、経緯を話し始めました。
「私は、以前からビオラ姫様のことをお慕いしておりました。国同士の距離も近く、私たちは何度もお会いしましたね。確かにこのままうまくいけば、結婚し、むすばれる流れにはなる可能性はある。しかし私は思いました。ピンチの時に駆けつける、そういう英雄のような存在に、世の女性たちは皆憧れていると。ですから私は、そんな子供じみた思想で、城の作物係の男に声をかけました。その男はあまり城でも目立たず、いてもいなくても変わらないような男でした。そういう男が必要だと思ったのです。そう、私はそいつに、ポタに金を渡し、姫の誘拐を依頼しました」
ビオラの頭はその言葉で真っ白になりました。口の中は渇き、今までの出来事が走馬灯のようにかけぬけます。握ったこぶしには汗がじわじわとしみだし、部屋の温度が一気に下がったように感じました。外から聞こえる喧騒は、一気に遠くのものに感じました。
「そしてポタは、計画通り姫をさらいました。そして違和感がないように、時間をかけてゆっくりと、指定しておいた遺跡へと捜索の手を伸ばしました。それからは、姫様のご存じのとおりです」
バーセル王子はソファから立ち上がり、床に座り、頭をつきました。
「申し訳ありませんでした!」
ビオラは何も言いませんでした。
ビオラが頼む前から、ポタは誘拐を計画していたのです。あの台車も、そのためのもので、遺跡もビオラが言う前から決めていたのでしょう。あらゆる偶然がつながり、二人の要求は一致したのです。
幾多の事実が判明して、ビオラの頭で整理するのにしばらく時間が必要でした。机の上にあるコーヒーは、とうにぬるくなってしまいました。土下座を続けるバーセルの頭のてっぺんを、ビオラはじいっと見つめます。
そして、一度深呼吸をしました。
「……一つ」
「はい?」
王子は頭をあげ、ビオラを見上げました。ビオラの表情は今まで見たことがないような無表情で、怒っているのか悲しんでいるのかもわかりませんでした。
「一つききたいの」
「なんでしょう」
「ポタはどこ」
「何を言っているんですか。私は、あの男を刺し殺しました。」
「いいえ、死んではいないわ。だってあの後ポタとご飯を食べたもの。ねえ、ポタはどこなの」
バーセル王子はビオラが何を言っているのかわからず、とまどっています。ビオラは立ち上がりました。目からぼろぼろとこぼれた涙が、絨毯に染みを作りました。そしてヒールで王子の頭を踏みつけました。鈍い音とともに、王子は頭をじゅうたんに押し付けられます。
「ねえ、ポタはどこなのよ! 教えなさいよ! 私はあいつに会って、ぶん殴ってやるのよ! あの勝手なブタ野郎を! お願いしたのがあんただとしてもなんでもいいの! あいつはどこよ! どこなのよ! あいつはどこに住んでいたのよ! あいつはなんなのよ! ねえ、答えなさいよ! この馬鹿王子!」
踏みつけられながら、王子は何も言えず、ただただ攻撃を受け続けました。国王はその風景を、おろおろと見つめていました。
しばらく罵倒を続けたビオラは、足をどけ、椅子に力尽きたようにもどりました。バーセル王子は痛む身体を起こしながら、ビオラの顔を見ました。ビオラの目は真っ赤にはれていました。
「姫様」
「出てって」
「は」
王子の返事をビオラはさえぎりました。
「早く出ていって。二度と私の前に出てこないで。あんたの国との貿易は別に続けるわ。なんにもなかったことにしてあげる。でも、二度と私の前に現れないで」
そう言ってビオラはソファにへたりこみました。王子と国王は深く頭を下げ、部屋を後にしました。部屋にはビオラだけが残りました。耳鳴りがするほどの静けさが部屋を包みます。
「姫様」
外からアリアの声がしました。
「来ないで」
アリアはビオラの言葉を無視して、部屋に入ってきました。
「姫様」
「一人にして、お願い」
ビオラは顔を入り口から背け、アリアの顔を見ないようにしました。アリアは頭を下げ、部屋を後にしました。
そのあとまた、ビオラは静かに泣きました。
そう言えば、なにかの本で読んだことがあります。
初恋は、報われないと。
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