第4話 あなたじゃないのよ
日はすでに沈んでしまっていました。ビオラは自分がどこにいるのかもわかりませんでした。まるでお妃さまから逃げて、森をさまよっている白雪姫の気分でした。真っ暗で何も見えず、しかも疲れと足の痛みでビオラはもう動こうとは思いませんでした。
たまたまあった近くの洞窟に逃げ込みました。洞窟の中も外も、同じくらい暗いのに変わりはありませんでしたが、その閉塞感は、いくらかの安心感を与えてくれました。外ではしとしとと雨の降る音がします。洞窟にきて正解だとビオラは思いました。
どれくらい時間が経ったでしょう。ビオラはだんだんと心細くなってきました。王様と女王様の顔がまず浮かびました。いっぱい迷惑をかけたことを、謝らなければいけないなと思いました。
次にアリアの顔が浮かびました。アリアは今頃どうしているのだろう。私のことを心配しているのだろうかと、考えていました。
次に浮かんだのは、ポタの顔でした。
ポタが今どうしているかとか、そういうことを思い出していたわけじゃありません。
ポタとの時間を思い出していました。一緒にご飯を食べて、遊んで、話して、楽しかったあの時間は、何よりもの宝物でした。
バーセル王子の顔が浮かぶことはありませんでした。
雨がだんだん強くなり、ビオラの不安は一層強くなりました。ゴツゴツした地面では、眠りにつけるはずもありません。ビオラは途方に暮れました。どうしてあんなことをしたのだろう。ポタを王子がやっつけて、それで王子様に連れられて帰ればそれで済む話じゃないかと、もう十ぺんは心の中で唱えていました。
「なんで私はあんなことしちゃったのよ」
そうつぶやきました。雨の音は強まる一方でした。
しばらくしたら、足音が聞こえました。ビオラは伏せていた顔をばっと上げました。胸がどきどきしています。
足音のほうに少しずつ近づきます。ほんのりろうそくのような小さな明かりが見えました。「ポタ? ポタなの?」
そうききました。そのあと、ビオラは明かりに照らされました。それと同時に足音の主も照らされました。その男は無精ひげを生やし、頭はフケで真っ白な、あまりにもみずぼらしい男でした。
「お、女の子じゃねえか」
そのヘドロのような汚らしい声に、ビオラは不快感を覚えました。
「へへ、結構かわいいじゃねえか」
気持ち悪いと思い、ビオラは逃げようと後ずさりしようとしました。けれど足は動きません。体中が恐怖で固まってしまいました。
「いいねえ、しばらく女には飢えていたんだ」
「や、やめ」
男はビオラに手を伸ばしてきました。その瞬間、ゴツンと鈍い音がしました。男の表情はかたまり、白目をむいたままずるずると倒れてしまいました。
「ポタ!」
ビオラは思わず、後ろの人影にそう言いました。
「大丈夫ですか?」
そこにいたのはバーセル王子でした。
ビオラは力が抜け、そのまま座り込んでしまいました。
ビオラはどんな顔をしていいのかわからず、ただ茫然とバーセル王子の顔を見ました。その顔がきっと安心した顔だとバーセル王子は思ったのか、やさしくビオラの頭をなでました。
それは全然気持ちよくありませんでした。
雨はいつの間にか止んでいました。ですが空はどんよりと暗いままで、月明かりはどこも照らしていませんでした。王子はたいまつであたりを照らしながら、ビオラの手を引っ張っていました。
「いやあ、驚きましたよ。まさかあの男、岩を私の頭にぶつける仕掛けをしていたなんて、おかげで気絶してしまいました」
ビオラは何も言いません。
「でも、すぐに目覚めましたよ。私だって訓練を積んでるんです。あの程度平気です」
ビオラは何も言いません。
「まるでおとぎ話みたいですよね。王が国どころか隣国にまで姫が誘拐されたことを広めて、国を挙げて大捜索です。時間はかかりましたが、無事で本当によかった」
ビオラは何も言いません。
「その汚い服は誰のですか? まさかポタのですか? まったく、粗末なものを着せたものだ。どうせ姫への待遇も、ひどいものだったんでしょう」
ビオラは何も言いません。
「姫様、でももう安心してくださいよ」
近くに池に差し掛かったあたりで、王子は言いました。
「ポタの野郎には、きちんとした制裁を加えました」
ビオラは何も言いません。
「腹には、剣を深く差しこんでやりました」
ビオラの足が止まりました。
「血を流して、あいつは地獄に落ちました。だから、もう心配しなくていいんですよ」
ビオラは足をとめたまま、俯きました。
「どうしました?」
「ねえ」
「はい」
「私ね、ずっと待ってたの」
「はい」
「ずっとずっと、運命の王子様が来てくれるのを待っていたの」
「光栄な話です」
「ずっと、ずっとよ。ずっと待ってたの」
「はい、わかってますよ」
「でもね」
「はい」
「あなたには、こんなところまで来てもらって、すごくうれしいわ。カッコいい剣に、カッコいいマント。カッコいい顔に、もう最高よ。でもね」
王子はビオラが何を言いたいのかわからず、茫然としていました。雲が少しだけ薄くなり。まん丸のお月さまが顔を出しました。
「あなたじゃないの、ごめんなさい」
ビオラはバーセル王子の背中を押しました。その先には池がありました。バーセル王子は体勢を崩し、そのまま池にばしゃんと音を立てて落ちました。
「うわっ! つつ、冷たい! 姫様、なんてひどい!」
「ポタ!」
王子の声に耳を傾けることなく、ビオラは山を駆け上がりました。足の裏の痛みも、寒さも忘れて走りました。途中で蜘蛛の巣にひっかかりましたが払いのけました。落ちてる小枝を踏み、枯れ葉を蹴散らし、水たまりをよけることなく、そのまま進みました。
遺跡は山の上にあります。だからビオラはただひたすらに上を目指し続けました。
どれくらい走ったかわかりません。ですがビオラは、ポタが台車を引きながら、こんな険しい道を越え、自分を運んでいたことに、たまらない罪悪感がわきあがりました。それだけではありません。誘拐を頼んだこともそうですが、王子が、いいえ、王子でなくとも誰かが姫を助けに来れば、ポタは無事では済みません。殺されることくらい、考えたらわかることでした。なんて考えなしだったの! ビオラは心で自分を呪い、ポタにごめんなさいと謝り続けました。
でも、そのポタが死んだ。そんなことを信じたくなくて、ビオラはひたすら昇り続けました。
頂上にたどり着きました。ずっと暮らしていた遺跡の街並みに、胸をなでおろしました。ビオラはポタを探しました。遺跡の隅から隅まで目を凝らしました。そして、最後に二人の寝泊まりしていたあの家にたどり着きました。
中を見ました。
おなかにべっとりと赤い染みがついたポタが、目を閉じて倒れこんでいました。
ビオラはその姿に泣き崩れました。
「ねえ、起きてよポタ」
ビオラはポタの体をゆすりました。大きな体は、まだぬくもりが残っていました。
「ねえ、ポタ! ごめんなさい、あんなこと言いださなければ、あなたは死ぬことはなかったのに。ごめんね。ごめんね。ねえ、私の王子様はあんなやつじゃないの。もっともっと素敵な奴なのよ。ねえ、ポタ。二人でもっと遠いところに逃げて、暮らしましょう。いつかきっとカッコいい王子様がまた私を助けに来てくれるわ。あんまりよくなかったら、そうよ、また逃げて、それで、ずっとあんたと一緒! ねえ、素敵でしょ! 私約束するわ。自分のことは全部自分でするし、わがままも言わない。嫌なことだってがんばるわ。あんたみたいにやさしい人になるから。ねえ、お願い。目を開けてよポタ!」
「そいつは素敵ですなあ、姫様」
ゆっくりと、その声はビオラの耳に届きました。横たわるポタの顔を見ました。ポタの豆のような小さな瞳が、やさしくビオラを見つめていました。
ビオラはポタのほほをばしんと叩きました。
服の中からは、つぶれたトマトがごろごろと出て来ました。
ポタは生きていました。おなかにたくさんのトマトを詰めていて、死んだふりをしていただけでした。さらに一晩中ビオラの看病をしていたので、眠りこけていただけのようでした。
ビオラは泣きじゃくりながら、ポタのおなかをグーでポカポカと叩き続けました。
「さすがに刺されるときは冷や汗ものだっただよ」
ひとしきりビオラの攻撃を受け終わった後、ポタはそう切り出しました。
「よくやるわ、死んだふりして、そこからは?」
「国を逃げるつもりだっただ。よその国で、のんびり野菜を育てるつもりだっただよ」
「のんきなもんね」
二人は焚火を囲み、いつものように座って話をしていました。まるで王子様がまだ助けに来ていないときのようです。
「なあ、姫様」
「なに?」
「なんで、戻ってきただか?」
ビオラはその質問にどうこたえていいかわからず、膝の上に乗せたこぶしを、ぎゅっと握りました。
「なんで、石をぶつけただか?」
それにもビオラは答えません。
「王子様は、どうしたんだ?」
ビオラの反応は変わりません。ポタはため息をつき、立ち上がりました。
「どこいくの?」
「今晩はごちそう、作ってやるだよ」
ポタはそう言うと、台車から運んできた大量の野菜と木の実を取り出してきました。お湯を沸かし、鰹節を中に入れ、だしをとります。キャベツにネギに、そのほかたくさんの野菜を入れ、少ないお米も突っ込み、塩と胡椒をかけます。ふつふつと煮たってきたところで、鳥の巣からとってきた卵をとき、鍋の中に入れました。太陽のように黄金色のお粥が完成しました。野菜たちの青々しさが、より食欲を掻き立てます。ビオラのおなかがぐうとなりました。
「こんなものしかできないけんど、我慢してくれるだか?」
「ええ、いいわ、ううん。これがいい」
ビオラはお粥をスプーンで一口頬張りました。とろけるようなお米の感触と、しゃきしゃきとした自然の味を再現したような野菜は、ビオラの舌を虜にしました。そのまま二人は笑いあいながら、ゆっくりとお粥を食べ、時間は過ぎて行きました。
「なあ、姫様」
「なによ」
「これからどうするだ?」
ビオラは持っていたスプーンを下ろし、腕を組みました。
「さっき言った通りよ」
「ああ、これからも逃げ続けて、本当の王子様が来るのを待つってやつだか」
「そうよ」
「じゃあ、お城には戻らないんだな」
ポタは顔をうつむけながら、横に置いてあるトマトにかぶりつきました。
「そういうことね」
「本気なんだか?」
「ええ、もちろんよ」
ポタはしばらく黙りこんだ後、横にまだ散乱しているトマトを一つつかみました。
「ほら、姫様もお食べ」
「ありがとう」
ポタはトマトをビオラに手渡しました。トマトは大きく、ビオラの片手では収まらないほどの大きさでした。日に照らされたトマトは赤みがより一層増し、太陽を思わせるほどの輝きを放っていました。
ビオラはそれにかじりつきました。はじけるような甘みが、ビオラの口を満たしました。
「おいしい、トマトってこんなにおいしかったのね」
「ああ、すごいだろ? 野菜ってな、作る人の愛情が強ければ強いほど、甘くなるんだ」
「それって自分で言っちゃだめでしょ」
ビオラはそう言いながらトマトをがぶがぶと汁をまきちらしながら食べ続けました。口の周りはトマトでべたべたになりました。その様子を見てポタは笑いました。ビオラは足でポタのすねを軽く小突きました。ちっとも痛いはずもなく、ポタは笑いながらビオラの足を蹴り返しました。
「あら、姫になんてことをするのでしょうこの男は」
「お返しくらい許して下せえお姫様」
そう言うとビオラはまた笑いました。
「私ね、ここにきていっぱいいろんなことが知れたわ。魚の釣り方にリンゴの向き方、天気の読み方に食べられるキノコの見分け方。数えきれない程よ」
「まだまだお嬢様が残ってる気がしますがねえ」
「うるさいわねえ。私だってがんばったんだから、見逃しなさいよ」
「あはは、わかっただわかっただ。そうだ、姫様。食後のスープは飲みますかい?」
「ええ、いただくわ」
「そう言うと思って、魔法瓶にもう淹れていただ。どうぞお飲みください」
ポタはまるで執事のような風貌を装い、芝居じみた動作でコップにスープを注ぎました。
「執事にしてはえらく肥えているわね。ブタを執事にした覚えはないわ」
「ダイエットしていくんで、どうぞお許しくださいだ、お姫様」
ビオラは笑いながら、湯気の立つスープにふーふーと息を注ぎ、冷ましました。中にはキャベツやニンジンが細かく切られ、鰹節のまろやかな香りが中から漂ってきます。ビオラは一口、スープに口をつけました。
「とてもおいしいわ」
「お褒めの言葉、とても光栄でごぜえます」
「ねえ、ポタ」
「はい」
「あんたのおかげで、ちょっとは私、変われたかな」
「少なくとも、ただのわがままの姫様ではなくなっただよ」
ビオラは二口、三口とスープを飲み続けました。するとだんだん瞼が重たくなってきました。
「……ん、なんだか眠いわ」
「一日走っていたんだ。しかも病み上がりときたもんだ。眠くなって当然だ」
「そ、そうね」
ビオラは眠い目をこすりながらスープをまた飲みました。体の力がだんだん抜けて来ました。まるでお城で以前に強い風邪薬を飲んだ時のように感じました。
「ねえ、ポタ」
「はい」
「私たち、ずっと一緒よね」
「なにかあった時は、いつでも駆けつけますよ」
ポタの返事が聞こえたか、聞こえなかったかあやふやなまま、ビオラの意識は闇の底に沈んでしまっていました。眠りに落ちる中、キノコ狩りに行った時に採った、眠りキノコのことを思い出していました。
目が覚めたとき、まず見えたのはいつもの石の天井ではなく、大きなシャンデリアでした。眠りに落ちていたのは草のベッドの上ではなく、真っ白なシーツが敷かれた、ふかふかのベッドでした。
ビオラは、自分のお城に戻っていました。
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