第3話待っていたのに
ビオラの国にあるタンザ山。そこにある遺跡にビオラとポタはいました。その遺跡は別名空中都市とも呼ばれ、人々から神聖な場として扱われていました。
「まるでおもちゃの家を並べたみたいね」
と、ビオラは言いました。
「どうしてですだ?」
ポタはビオラと遺跡を歩きながら尋ねました。
「だって、天井がない岩の家がほとんどよ。まるでおもちゃじゃない」
「確かに言われてみればそうですな。オラたちがいるところはたまたま天井がありますけどね」
遺跡はとても高い所に位置していて、雲と同じ高さに二人はいました。
「ここなら雲に触れそうね」
「おや、姫様はご存じないんですか?」
「なにが?」
「曇ってのは空気みたいなもんで、触ろうとしても手がすり抜けちまいますよ?」
ビオラは間違いを指摘された羞恥心を抑えるため、ポタの足を踏みつけました。
二人はあの夜から三日、奇妙な共同生活を送っていました。
最初のころ、ポタが釣りに行くと言ったときです。
「釣りって、みんなできるもんなの?」
「まあ、たいていの人は、知ってるだね」
「ふーん」
「まあ、おとなしく待っててもいいですだよ?」
その時ビオラは考え込んだのち、重い腰を上げました。こんな間抜けな男になんでも任せきりなのは、どうにもしゃくだったのです。
ポタはビオラに釣りを教えました。
魚が逃げたときには、釣竿を壊すかもしれないほど怒りだしたので、あわてて引き留めました。
「なんで餌ってこんなに気持ち悪いの?」
「これが魚たちの大好物なんだよ」
「信じられない、あんたが餌つけてよ」
「嫌ですだ」
「姫の命令よ?」
「姫様が自分でやるって言っただ」
ビオラはその言葉にしぶしぶ従い、餌を自分でつけました。でもビオラは思いました。バイオリンのお稽古に比べたら、はるかに意味のあるものだと。
「やっぱりこういうことのほうが好きだわ」
「こういうこと?」
「バイオリンをやってても、こういうところでは役に立たないでしょ」
「ああ、なるほど。確かにこういうことやってたほうが、いつかは役に立つかもしれないだ」
ビオラの中で、初めて意味のある活動と言う物を見つけたような気がしました。
一緒に果物も探しました。
中には虫がついているものもあり、ビオラは悲鳴をあげました。
「気持ち悪い!」
「山なら当然だよ」
「もうやだ、帰る」
「じゃあ食べ物はオラのぶんだけしかとらねえだよ」
「ひっどい、最低」
そう言うとビオラはしぶしぶ果物を指先で触りながら、食べられる物を探しました。その姿が滑稽に見えたのか、ポタはにたにたと笑っていました。ビオラはまたポタのおなかを蹴りあげました。
キノコ狩りにも行きました。
「このキノコはなに?」
「ああ、そいつはいけねえ。眠りキノコだ」
「ああ、食べたら眠ってしまうやつ?」
「その通り、お、ここにあるキノコは食べれるだよ」
ポタは得意げにキノコをビオラに差し出しました。ポタのその顔がなんだか子供みたいで、ビオラは思わず笑ってしまいました。
一緒に木でおもちゃも作りました。小さなコマを作りました。竹トンボを作りました。二人でどれだけ飛ばせるか、回せるかを競い合い、笑いあいました。
「あんた器用なのね」
「姫様が不器用なだけだ」
最初はちぐはぐでうまくいかないビオラの作品は、形は歪み、お世辞にもきれいなものとはいえませんでした。
「ふん、いいわ、姫だもの」
「不器用な姫より、器用な姫のほうが王子様はうれしいだよ」
いつもビオラはポタにそう言いくるめられます。そして反論できず、しぶしぶ作業を続けるのです。
二人の服は、ポタが台車に積んでいた着替えを洗いながら使いまわしていました。
「汚い服、こんなのいや」
「裸で過ごすだか?」
「もっといや!」
ビオラはポタのすねをけり上げました。
「ねえ、やたらとこの台車には物が多いわね」
「そうだか?」
蹴られた痛みに耐えながらポタは答えます。
「そうよ、服に水に布に食糧。生活できるためのものがそろってるじゃない」
「オラだって城にだけ物を持ってってるわけじゃない。たまに遠いところに果物や野菜を運ぶこともあるだよ」
「へー、大変ね」
「食ってくために仕方がないだ」
「なんであんたは農家になろうと思ったの?」
生まれたときから姫で、これから国を治めることしか教えられていないビオラにとって、他の仕事のことにはとても興味がありました。
「うーん、なんでだろな。野菜が好きなんだ」
「野菜?」
「そうだ。姫様、おらの野菜、食っただか?」
「そんなわけないじゃない。野菜なんて嫌いよ、大嫌い」
ビオラは苦いものが何よりも大嫌いでした。お城の食事の野菜も、かまずに飲んで、水で流し込んでいました。
「もったいないだ。後で台車に積んでる野菜食わしてやるだ」
「いいわよ、そんなの」
「まあいいだ。野菜が好きだから、農家になった。それだけの話だ」
「そうなの?」
「ああ、オラの両親は両方ともオラが十五歳くらいのときに死んじまっただ。だけど、親父の育てた野菜は、どこの八百屋にも負けないうまさだった」
「……お父さんとお母さん、いないの?」
「いないだ。今はオラ一人で暮らしてる。だからここにいても、誰も心配しない。仕事は毎回その場で受けて持って行くだけだから、抱えてるもんもなんにもないんだ」
「……ふーん」
「そしていつか、オラの野菜を使ったレストランを開いて、国で一番おいしい野菜レストランを作るのが夢なんだ」
夢を語るポタの姿を見て、ビオラはほんの少しだけ胸が苦しくなりました。そんなにかっこよくもなく、おなかも出ている間抜けな男のはずなのに、いつももよりほんのちょっぴりかっこよく見えました。
「まあ、姫様には無縁のことだ。姫様にはカッコいい王子様のほうがお似合いだよ」
「当然じゃない」
口ではそうビオラは言いましたが、なんだかカッコいい王子様のことなんかどうでもよく思えて来ました。この山の景色を見ながら、ポタとのんびり暮らす日常が楽しくなってきていました。
そしてその日も釣りをするために、二人で川に向かっていました。
「姫様もだいぶたくましくなっただな」
「でしょう?」
お城では教えてくれなかったことを、ポタはすべて教えてくれました。そして一つ一つのことに驚きながら、ビオラはいろんなことを身につけていきました。
「最初は服が汚い、温かいシャワーを浴びたい、トイレが外なんて信じられない、なんて言っていたのにな」
「ほんとうよ、最初はこんなところにするんじゃなかった、帰りたいって何度も思ったわ」
「でも姫様、帰ろうとはしなかっただね」
「当たり前じゃない」
ビオラは少し間をおいて、うつむきながら言いました。
「王子様を待たなきゃいけないんだから」
「そうだな」
「それに、あんたみたいなおデブさんに、いっつも頼りっきりなんて、そっちのほうが恥ずかしいわ」
「あはは、姫様ひっでえ」
川にたどり着き、釣り糸を垂らしながら、魚をのんびりと二人は待っていました。ポタはビオラに尋ねました。
「そういえば姫様。王子様というか、国ではちゃんと姫様のこと誘拐されたってわかっているんですだ? もしかしたら家出って思われてるかもしれないだよ」
「そこら辺は心配ないわ。ちゃんと書置きを残してきたから」
「ほほー、それはどんなものですかい?」
「姫は誘拐させてもらった、見つけてみろ、ってね」
「安直な内容だなあ」
「わかりやすくていいじゃない」
そうビオラが笑うと、釣り糸がピクンと動きました。
「お、かかっただか?」
「みたいね、これは大物よ」
ぐっと力を入れた瞬間、糸を引く魚の力も強くなりました。バランスを崩したビオラは、そのまま川のほうへ倒れこみ、ばしゃんと音を立て、落ち込んでしまいました。
「姫様!」
「た、たすけて!」
溺れるビオラを助けるため、ポタは川に飛び込みました。底は案外深く、ポタでもつま先がつく程度でした。流れは速く、ビオラはどんどん河口まで流されていきます。ポタは息を止め、水の中にもぐり、両手両足を駆使しながら、必死でビオラを追いかけました。ビオラは溺れるさなか、伸びている小枝を見つけ、ぐっと手を伸ばし、つかみました。しかし頭が後ろにそれ、ゴツンと岩に頭をぶつけ、ビオラはそのまま気を失いました。
遠ざかる意識のさなか、ポタの必死な呼びかけが聞こえていました。
目が覚めた時はあたりはすっかり暗くなっていました。頭は熱く、体はゾクゾクと寒気が残っています。
「お、大丈夫だか?」
ビオラのおでこに乗っかっていたのは、濡れた小さな布でした。おでこを触るとほんのりと熱があることに気がつきました。
「まさか風邪ひいちまうとわな、いいだよそのまま寝てて、無理しちゃいかん」
ビオラはかすれた声で尋ねました。
「あなたは、大丈夫なの?」
「あの程度、へっちゃらだよ」
「でも、結構流れも速かったし」
「姫様のためなら、あのくらい平気だよ」
「……生意気、デブのくせに」
ありがとう、と言いたかったのですが、ビオラは照れくさくてうまく言えませんでした。
その日ポタは、朝までビオラの頭を冷やすため、起きていました。ポタの作った即席のお粥は、とてもまろやかで、やさしい味がしました。
「ごめんな姫様、野菜と少ないお米しかなかったから」
「別に」
これがポタの作った野菜と思うと、なんだかとても美味しく感じられました。
「王子様、きっとすぐきてくれるだよ」
「ねえポタ、あなたは私が王子様に助けられた後、どうするの?」
「家には帰れねえだな、誘拐犯の罪は重いだ。こっそり逃げ出して、遠くの国で暮らすだよ」
「……あなた、この国の生まれでしょ」
「ああ、そうだよ」
「国を、捨てるの?」
「それしか方法はないだ」
ビオラは、今は王子様と一緒になることより、ポタと一緒にいることだけを考えていました。
「なにか方法はないの?」
「だって、姫様を誘拐するってのは、それくらいのことですから」
「……なんで、そこまでしてくれたの?」
「頼まれたからしからないだ」
「……本当?」
「ああ、本当だ」
ポタの笑顔はすべてを包み込むほどの、優しいものでした。
「王子様、くるといいだな」
それはビオラを安心させるには十分なほどでした。その笑顔を見ていると、王子様のことなんて忘れてしまいそうでした。
ほどなくビオラは目を閉じて、眠りの世界に行きました。
夢は何も見ませんでした。
まどろみの中、ビオラは目が覚めました。部屋にポタはいません。もう外は明るくなっていました。
「ううん、これ、西日だわ。もう夕方になってしまったのね」
ビオラはどうやら丸一日眠り込んでしまっていたようです。ポタはどこに行ったのでしょ。外から声が聞こえます。
「早く姫様を解放しろ!」
どこかできいたことのある、透き通ったカッコいい男の人の声でした。
「ひ、姫さまを助けたければ、オラを倒してからにするんだな」
情けないポタの声も聞こえます。何やら言い争っているようです。ビオラは顔をひょこっと出しました。剣を片手に持ち、マントを翻し、きりっとした眉の男性でした。話したことはありませんが、以前写真で見たことがあります。アリアともカッコいいと話していました。
隣国のデュシャンヌ王国の王子様、バーセル王子です。
ついに念願の、ビオラの待ち望んだカッコいい王子様が来てくれたのです。
「望むところだ」
ですが、ビオラの顔から笑顔は消えました。ポタに今にも切りかかりそうなバーセル王子の姿より、棍棒を片手に持ち、おなかをふくらましたポタのほうばかり見てしまいます。力の差は歴然です。のろまなポタなんか、バーセル王子はすぐにやっつけてしまうでしょう。
「覚悟しろ、このけだものめ!」
バーセル王子は剣を振りかざし、ポタのほうへ駆けだそうと、一歩を踏み出そうとしました。ゴツン! とバーセル王子の頭になにか固いものが当たりました。それは玉ねぎくらいの大きさのとげとげした岩でした。
ポタは何事かと岩が飛んできた方向を見ました。そこにはビオラがいました。立ちすくみ、両手は落ちていたものをさっきまで持っていたように、泥が付いていました。バーセル王子は頭にたんこぶを作り、寝込んでいました。
「いやいやいやいや姫さま!? 念願の王子様に何してるんですか! 助けてもらう計画でしたよね!」
ビオラはその問いにどう答えればいいのか分かりません。
「うるさいわねえ、別にいいでしょ」と誤魔化しました。
「いやよくないですけど!! 今ならまだ間に合います、姫さま、王子様を……」
ポタの言葉を最後まで聞かずに、ビオラはだしでかけだしました。草や泥や石の感触が痛くて、一歩踏み出すたびに激痛が走りました。日はどんどん傾きながら、ビオラの姿を闇に隠そうとしていました。
それと同時に流れてきたのは涙でした。
ビオラのほほをぬらしながら、ただ息を切らしながら走り続けました。
頭の中は、逃げることだけでいっぱいでした。でもビオラは、自分が何から逃げているか、わかりませんでした。
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