第2話 こうすりゃいいのよ
その日の夜です。ポタはビオラの要求通り、城の一番西側の壁の近くにやってきました。横には窓まで届きそうな、大きな木が伸びています。ポタは姫のいるであろう窓を見つめていると、ガラッと窓が開きました。顔を出したのはビオラ姫です。
「姫様、こんばんはです!」
「声が大きいわポタ、ちょっとそこで待っていて」
ビオラはそう言うと、部屋のそばまで延びている大きな木にがさっと猿のように飛び移りました。
「ひ、姫様! 危ないですぜ、なにしてるんですか!」
「うるさいわねえ、ちょっと黙っててよ」
ビオラは寝巻のネグリジェなのは気にも留めずに、木からするすると枝から枝へと足を乗せ、あっと言う間に地上へと降り立ちました。
「どう? なかなかのもんでしょ」
「危ないですよ! 怪我でもしたらどうするつもりだったんですか!」
「大丈夫よ、もう何度もやってきたことだし」
「よくとめられませんでしたねえ」
「止められたから夜中にやってるの」
上品に生きることを強いられているビオラにとって、夜中こそが本当の自分がさらけ出せる、大切な時間でした。
「それで、姫様、なんでおらをこんなところへ?」
ビオラは笑って言いました。
「決まってるじゃない、私を誘拐するためよ」
ビオラの言葉に、しばらくポタは固まりました。口はあんぐりと間抜けに開き、ヨダレが今にもたれてきそうでした。
「はい?」
われに帰ったポタは、ようやく質問をすることができました。
「すいません姫さま、もう一度仰っていただけますかい?」
「聞こえなかったの? 耳が遠いのね」
「いや、そういうわけじゃあないと思うんですけど」
「じゃあもう一度言うわね、私を誘拐して」
ポタはまたしばらく固まり、そして。
「打首確定じゃないですか!!」
あまりの予想外の言葉に、ポタは声を荒らげました。ビオラは慌ててポタの口を塞ぎます。
「声が大きいわ、さあ、ぐずぐずしてないですぐに出発よ」
ビオラはそう言い、さっさとポタの持ってきた台車に乗り込み、カバーをかけました。
「ここ、困るだよ姫さま! まだオラ死にたくないだ!!」
「なんでもするんじゃなかったの?」
押しに弱く、頼みを断れないのは、ポタの素直でいいところでしたが、それは欠点でもありました。しかも、「なんでもする」などと言ってしまったのです。約束を破ることは、心優しいポタには、できませんでした。
「……わかりましただよ」
ビオラはにんまりと悪魔のような笑みを浮かべました。そしてポタは、来る時よりもほんの少し重たくなった台車を、重い足取りでごろごろと引きずりました。
「重たい野菜だな」
「なんか言った?」
不意に漏れた言葉を指摘され、ポタは口をつぐみました。台車を引きながら城門をくぐりぬけ、町を歩き、町はずれの草原にまでやってきました。月はいつの間にか真上に来ていました。月明かりがポタとビオラのいる台車を静かに照らします。
「で、姫さま」
「なによ」
「誘拐って、どこにですだ? おらん家は無理ですぜ? 狭いしちっさいし、すぐにばれちまいます」
「そんなの自分で考えなさいよ。私だって急遽思いついたんだからそんなの考える余裕はないわ」
やれやれとポタはため息をつきながらあたりを見渡しました。
「じゃあ姫様、あの山なんてどうですだ?」
ポタが指差したのは、この国で最も高い、タンザ山と言う山でした。そこにはかつて町があった遺跡があり、生活には適しています。
「へえ、いいセンスしてるじゃない、さっさと行くわよ」
「いやでも、どうしてこんなこと」
ビオラはうんざりしたように、ポタの背中を蹴りました。
「いてっ!」
「質問攻めは嫌いなの。ついたら教えるわ。さあ、早く行きなさい」
そう言うとビオラはまた布の下にもぐりこみました。ポタはしぶしぶ台車を動かします。草原の先にはタンザ山が高々と天を貫くようにそびえていました。ビオラは城という堅苦しいところから離れて、いろんなことを体験してみたいと感じていました。山の中で小鳥たちと一緒に、木の実を食べながら、穏やかな時間を過ごす。なんて素敵なことでしょう。そんな計画を、ポタに会ってからずっと練っていたのです。場所を具体的に考えていたらもっと完璧だったのでしょうが。
山道にさしかかり、道が悪くなります。ガタガタと音を立て、台車は激しく揺れました。
「もうっ、痛いわねえ、へたくそ」
「そんなこと言ったって、こんな道なんですぜ。姫様こいつは降りたほうが痛くないかもしれません」
「こんな恰好で、しかもはだしで私に歩かせる気?」
ビオラははだしの小さな足を布から出して、バタバタと動かしました。ポタはそれもそうだと諦め、重い足を動かしながら、なるだけ平らで石の少ない道を選び、歩きました。夜の闇はだんだんと薄まり、東の空がほんのりオレンジがかっていたころには、ビオラはすやすやと寝息を立てていました。
ビオラは夢を見ていました。お父さんとお母さんの夢でした。
太陽が真上に上ったころ、ビオラはようやく目が覚めました。
「うん……ここは?」
ほほに当たっていたのは台車の板の感触ではなく、ふわっとしたお布団のような、やわらかいなにかでした。ビオラの鼻をなにか細いものがこしょこしょとくすぐります。
「へっくちゅん!」
「あ、起きたましただ?」
ポタは両手いっぱいに果物や木の実を抱えていました。おなかもいつもより膨らんでいます。
「……おなかにまで詰め込むのね」
「結構服の下って便利なんですぜ?」
部屋を見渡すと、マキが積まれていたり、果物や野菜が詰められた籠も置いてありました。自分が寝ていたところに目を向けると、わらが敷き詰められた、即席のベッドでした。
「この遺跡の周りにな、木の実や野菜や果物がたっぷりあっただよ、川も近くに流れていただ、魚くらいは釣れるかもしれないだよ」
ビオラは眠い目をこすりながら、今がどんな状況なのか、ゆっくりと思い出してきました。
「あ、そうか、私誘拐されたんだ」
「誘拐、させたの間違いな気がしますが」
ビオラはポタの反論には耳を貸さず、籠の中のリンゴをまじまじと見ました。
「おいしそうね」
「だろ? これでも農家なんですだ。果物の善し悪しくらいはわかるだよ」
「で、どうやって食べるの? これ」
ビオラは今まで切られたリンゴしか食べたことはありません。いつもシェフに切ってもらっていたのです。このまま食べるという考えは出て来ませんでした。
「姫様、ナイフは使ったことあります?」
「ないわ、あたりまえじゃない。怪我なんてしたらどうするのよ」
「怪我をしないように使えばいいだけだ」
ポタはポケットから小さなナイフを取り出し、ビオラに差し出しました。
「これを、どうすればいいの?」
ポテはにやりと笑い、もう一本ナイフを取り出しました。そして籠から一つリンゴを取り出し、皮をシュルシュルとむき出しました。一本になった赤い皮が、ゆっくりと伸びていき、やがて白いリンゴの実だけになりました。そのリンゴを木のマナ板で小さく人と口サイズに切り分け、ひょいとつまみ、口に放り込みました。
ビオラはそのナイフさばきに驚き、声が出ませんでした。
「さあ、やってみるだ、姫様」
その日ビオラはナイフを使ってリンゴの皮を剥く作業に一日を要しました。どんなにやっても実が一緒に削れ、一本の皮になることはありませんでした。
「……なに、農家って人はみんなこんなことができるの?」
「当たり前だ、これくらいは朝飯前ですだ。ていうか町の人はみんなできるはずですだ」
ビオラはあきらめてナイフを壁に叩きつけました。
「で、姫様、そろそろきかせてくれないだか?」
ぐったりしたビオラに、ポタはそう声をかけました。
「なにをよ」
「オラに誘拐させた理由ですだ」
ビオラはふてくされた顔で話し始めました。
「おとぎ話のお姫様ってのはね、悪い奴に連れさらわれて、そこにカッコいい王子様が登場して、その人と結ばれるのよ」
「まあ、確かにそんな話は多いだな」
「でしょ、だから、実行したの」
「なんだって? つまりオラは悪者か」
「そういうことね」
ポタは話を聞きながら、火打ち石で火をつけることに成功し、火種の草に燃え移らせ、小枝で小さな焚火を立てました。
「王様や女王様、心配してるだろうなあ」
「お父様とお母様? そんなわけないじゃない」
いつも仕事にかかりきりだった王様と女王様は、ビオラとの時間があまり作れていませんでした。ビオラはいつもメイドのアリアと遊ぶか、お人形や小鳥や、木登りだけがお友達でした。
「もういいの、心配くらいすればいいわ」
「ふーん」
さっきまで苦笑いを浮かべていたポタは、だんだんと真面目にビオラの話を受け止めていました。
「わかっただ」
「なにが?」
「姫様の王子様、見つけるお手伝い、させてもらいます」
ビオラはその言葉で、胸のあたりがポカポカとあたたかくなりました。夜はあたりを闇に包みましたが、その日はポタといろんな話をしながら、なかなか眠ることができませんでした。
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