お姫様の決断
ろくなみの
第1話 何でもしてくれる?
むかしむかし、あるところに、ひとつの王国がありました。そこは呆れかえるほど平和で、今まで大きな事件なんて、何一つ起きたことはありません。穏やかな自然に包まれ、山奥の古い遺跡以外に、恐ろしそうな場所は思い当たらないほどです。
王国なので、当然その国を治めている王様がいます。そして、今年で八歳になる、ビオラというお姫様もいました。ある昼下がりのことです。ビオラは図書室で床に寝そべって、いろんな本を読みあさっていました。古今東西のおとぎ話や昔話です。歴史の本や科学の本よりも、ビオラにはこっちのほうがあっているようでした。
「でも姫さま、バイオリンのお稽古はどうしたんですか?」
「いいのよそんなの。あんなこと続けていて、なんの得があるって言うのよ」
お目付け役のメイド、アリアの言葉にビオラはそう返しました。バレエやバイオリン、お作法など、ビオラの習い事はキリがありませんでした。それよりビオラは本を読んだり、木に登ったりと、意味のある活動をしたいと思っていたのです。
ビオラは読んでいた本に意識を戻します。おとぎ話の中でも、お姫様は出てきます。悪者に連れさらわれ、そのためにかっこいい隣国の王子様が、剣を振りかざし、お姫様を救い出すのです。そして二人は結ばれる。
「私もイケメンの王子と結婚したい」
ビオラは椅子で読書をしている、お目付け役のメイドのアリアにそう言いました
「すればいいじゃないですか。ほら、隣国のバーセル王子とか、どうですか?」
「確かにそれはそうなんだけどね、素敵だと思うし、あの人と結婚できたら幸せに決まってるわ」
バーセル王子は隣の国にいる、ビオラより三つ年上の王子様です。ビオラは不貞腐れたように頬を膨らませ、床に体を伏せていました。
「どうかされたんですか?」
「違うのよ、そういうんじゃないの」
「そういうの、とは?」
「とびっきり悪い奴に誘拐されて、助けられるくらいしないと!」
おとぎ話にすっかり憧れたビオラは、天井に向かってそう叫びました。
「そうそう誘拐なんてされませんよ……警備体制も法律もしっかりしていますからね」
「それはいいのよ。それにしてもよ、私にもしも結婚相手が決まるとしたら?」
「近隣の王国の王子様をよせあつめて、何度となくお見合いをさせられてから」
姫はその言葉を遮り、続きを言いました。
「最後には私の言うことなんて誰も聞いてくれなくて、都合のいい王子様と結婚する。そういうことでしょ」
ビオラの頭にある映像が浮かびました。何百人という王子の顔写真を見せられ、うんざりするような甘い言葉をお見合いの時にかけてくる。しかもそこに愛などあるはずありません。
「お父様とお母様もそうだったのよ? たまたまうまくいったのはいいかもしれないけれど、そんなの全然ロマンチックじゃないわ。しかもいつだって国の仕事ばかり。私といてくれたのは、あなただけじゃない、アリア」
「それは光栄なことですわね」
アリアは目を細めクスクスと笑いました。姫はぶっちょう面で絵本を上下逆さまのまま本棚に突っ込み、ずんずんと部屋を出て行きました。
「なんて夢のない話」
運命の人なんておとぎ話の世界。素敵な王子様は自分のピンチに駆けつけて、結ばれるなんてそんなことはありえない。ビオラも子供ではありますが、それくらいのことはわかってきました。ですがわかるのと望まないのとは違います。運命の人。その人と会うにはどうすればいいのか。なにか思いつきそうではありますが、喉のところでつっかえてしまうようで、なかなか出て来ません。
「どうすりゃいいのよ」
ぼやきながら陽の光の射す廊下を進みます。角を曲がる寸前、ガシャン! と大きな音が廊下に響きました。
「うわー、やっちまった!」
今まで聞いたことのないような頼りのない低い声。誰かしら、と姫様は思いながら角を曲がりました。曲がり角の先には、枕を服の中に入れているように、お腹がぽっこりと出た、茶色に汚れた作業着を着た男がいました。身長はビオラふたり分はあろうというのに、頼りなく子供のようにあわあわと頭を抱えながら、廊下を行ったり来たりしています。廊下に散らばるのは、白くて小さな観賞用の皿の破片に、赤くて大きなたくさんのトマトでした。
「どうしよう、どうしよう!」
「ちょっとあんた、落ち着きなさいよ!」
ビオラは男の態度にイラついたように、走る背中にゲシッと蹴りを入れました。
「あいたっ!」
「なにあんた、どうしたのよ。そんなに慌てて」
返事を聞く前に、ビオラは廊下に散らばる破片とトマトを見て、あらかた事情を察しました。
「……ずいぶんとはでにやっちゃったわね」
「そうなんですよ、厨房にうちの採れたての自慢のトマトを持って行くところだったんですよ。毎年この時期はいつもいつもおらのところの野菜を持ってきてるんです。でも、こんな高そうなお皿を割っちまって、おら、どうしたら……」
聞いてもいない自分のことを語っていると、男はふとビオラの姿をまじまじと見たかと思うと、男の顔はみるみるうちに真っ青に染まっていきました。
「あ、あなたはまさか、ビオラ姫さまでは!」
「見てわかるでしょ」
呆れたように姫様はため息をつきました。
「ど、どうかお許しを!」
男は頭を城の絨毯に擦りつけ、何度もペコペコと頭を下げました。
「わざとじゃないんです! ちょっとトマトが重たくて、ふらっときちゃって、そ、それに昨日の夜はあんまり眠れなかったんです! そうです、寝不足でつい、お皿を……ど、どうか勘弁してください」
大人の男とは思えないほどの哀れな姿に、もはや滑稽さすらビオラは覚えました。
「あっはっは! あんた面白いわね。今までこんな間抜けな男、見たことも聞いたこともないわ。情けないったらありゃしない」
「ええ、誠におっしゃる通りでごぜえます! 子供の頃からマヌケのポタといじめられてきたのであります!」
「ポタっていうの? おいもみたいな名前ね」
「ええ、ポテトのようなからだなので、よく言われます」
ビオラは顎に手を置き、考え込みました。そして何かを閃いたように、表情をぱあっと明るくしました。ポタと名乗った男は、その表情を不思議そうに眺めていました。
「ちょっと! 誰かきて!」
「ひ、ひめさま!?」
ポタは顔をさっきよりも真っ青にして、ビオラの行動に戸惑いました。
「どうかされましたか!」
城の兵士の男の一人が甲冑姿のまま、ガチャガチャと音を立ててやってきました。
「あのね、この割れたお皿なんだけど」
「ああ、こいつはひどい、姫様、お怪我は?」
「大丈夫よ、それより」
「まさかこの男が!」
ポタはもうだめだと言わんばかりに頭を垂れ、手錠をかけてくれと言わんばかりに、両手を差し出してきました。
「いいえ、わたしが割っちゃったの、だから掃除しておいてくれる?」
「はっ! かしこまりました!」
兵士は気持ちのいい返事をして、倉庫までほうきと塵取りを取りに走って行きました。
「姫様、あなたって人は」
「感謝しなさいよ、今まで誰かが割って、死刑になったとかは聞いたことはないけれど、褒められることではないと思うからね」
「ありがとうごぜえます! この恩は、この恩は一生忘れねえです!」
ポタはさっきよりも深く頭を下げ、涙声になりながらビオラに感謝の気持ちを伝え続けました。
「ええ、ほんと、感謝してもらいたいわね」
「おっしゃるとおりです!」
「どんな罰を受けさせられたことやら」
「まっことおっしゃるとおりです!」
「言葉だけで感謝されてもねえ」
「いいえ、もう、言葉じゃ足りねえほどです!」
「そうね、言葉じゃちっとも足りないわ」
「ええ、姫様がお望みなら、どのものでも差し上げます! と言っても野菜くらいしかありませんが」
「物ねえ、ふーん」
「いいえ、そんなめっそうもない! 姫様のこの恩のためあらば、このポタ、どんなことでもします!」
「どんなことでも?」
ビオラは待っていましたと言わんばかりに、にやりと悪魔のような微笑みを浮かべました。
「ええ、どんなことでも、なんでもいたします!」
「言ったわね?」
「ええ、言いました!」
「じゃあ、そうねえ」
姫はふむふむと目を閉じ、言いました。
「今夜、ちょっとお願いしたいことがあるの。私の部屋はこの城の二階の一番西側の部屋なんだけど、ちょっとそこのあたりまで来てもらえる? 十一時くらいでいいわ」
「今夜の十一時、ですか?」
ポタは、ビオラの言葉に頭をひねりました。
「いいから言う通りにするの、お皿の件、お父様に言いつけてもいいのよ!」
そう言うとポタはあわてて首を横に振り、わかったわかったとビオラの要求を受け入れました。
「わかればいいのよ、あ、それと大きな台車みたいなのがほしいわね。いつも野菜を運んでるなら、それくらいあるでしょ?」
「え、ええそれくらいなら、で、でもどうして」
「いいから、わかった?」
ビオラのあまりにも唐突な要求に釈然としないまま、ポタは頷きました。ポタはそれからのそのそと落ちたトマトを拾い始めました。
「よかった、どこもいたんでねえみたいだ」
「これ、あんたのとこの?」
「そうです、この国一番の自信がありますぜ」
ビオラは一つ拾ってみました。赤くてかてかと陽の光を反射し、瑞々しさにあふれているように見えます。ですがビオラは、野菜があまり好きではありませんでした。
「あの」
「な、なによ」
「もしよかったら、一つ食べてみます?」
ビオラは首を振り、トマトをかごに戻しました。
「あ! 姫様!」
嫌な声が聞こえた、とビオラは思いました。背後にいるのは振り返らなくてもわかります。眼鏡をかけたカマキリのようなバイオリンの先生です。
「何をなさっているのですか! お稽古の時間はとっくに過ぎていますよ!」
ビオラはしぶしぶバイオリンの稽古に向かいました。それでも心の中は今晩の計画のことでいっぱいでした。
「最高のアイデアね」
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