第7話 ばか
ビオラが意識を取り戻したのは、どこか懐かしい暗闇でした。ごとごととなにかに揺られ、寝そべっている床は木の板でできていました。
すぐにこれが以前ポタに連れられたときの台車だと気がつきました。運び方はポタより乱暴で身体の節々が痛みました。
喋ろうとしても猿轡をされているためできません。体を動かそうにもロープでぐるぐる巻きにされているため不可能です。すっかりビオラはあのひったくり犯の仲間たちにさらわれてしまったようです。今頃自分がどこにいるかもわかりませんし、助けも呼べず、自由もきかない。何も抵抗するすべがなく、ビオラは大変後悔と悲しみに襲われました。あんなに深追いせず、とり返したらさっさと帰ればよかった。いいや、いっそ取り返すのにも集団で行くなど、集団はいくらでもあったはずです。考えれば考えるほど、どれだけ自分がばかだったのか思い知り、ビオラは激しい苛立ちを感じました。
このまま自分はどうなるのでしょう。野蛮な男たちに乱暴をされてしまうのでしょうか。それとも、どこかの貴族に売られてしまうかもしれません。いいえ、もしかしたら王国に多額のお金を要求してくるかもしれません。考えれば考えるほど、ビオラの状況が最悪なことがひしひしと伝わり、なんだか泣きそうになってしまいました。優しい人であり、正しいことをしたつもりでした。でもそれは、ビオラの中だけのことでした。だからこそ、ビオラはとても悔みました。
こんなことならを何度も考えたあたりで、台車がぴたりと止まりました。目的地に着いたのでしょうか。
「どうもお疲れ様です」
どこかで聞いたことのある声でした。
「こんな時間にずいぶんと大きな荷物ですねえ」
「そうなんだよ警備員さん。すぐにこいつを運ばないと。さ、早く通してくれ」
警備員の男は少し声を大きくしました。
「いえねえ、今なんでも来訪された姫が行方不明とのことで、王国全体で警戒態勢なのです。ここは範囲外とのことだったのですが、名バイオリニストのビオラ姫のためなら、広い範囲を見なければならないと判断したため、個人的にこちらを警備しておりました」
「へ、へえ、そいつはご苦労なこって、じゃあ、俺らは」
「中身を拝見させてもらえませんか」
「お、おいちょっと」
ばさっと、布がのけられる音がしました。ビオラの乗っていた台車にかぶさっていたカバーを警備員がはがしたようです。
「こんばんは、姫様。夜分遅くに変わったところで会えましたなあ」
そこにいたのはポタでした。警備員の服を身に纏い、にかっと笑ってビオラの頭をなでました。ひったくり犯の仲間たちはどうしようと顔を見合わせています。
「あんたら、誘拐するにしても相手を間違えただなあ、こいつは重罪だ。一国のお姫様を誘拐したんだ。一生牢屋の覚悟はできてるんだか?」
ひったくり犯たちは武器を構え、じりじりとポタに近寄ってきました。
「そう、確かに俺たちは重罪を犯している」
リーダー格の男が言いました。続いて長身の男が言います。
「だが、それを目撃したのは、今のところあんただけだ」
おそらく男たちは、数では五人と有利。ポタ一人くらいなら口をふさげると言いたいのでしょう。ポタはそんなことは百も承知といった具合に、澄ました顔をしています。
「じゃあな、警備員さん。地獄で会おうな」
そう言って男たちはポタに殴りかかろうと一斉に飛びかかりました。ですが、
「うぎゃあああ!」
男の一人が倒れました。驚いて他の男も振り返ります。そこには縄がほどけたビオラがナイフを持って得意そうに仁王立ちをしていました。どうやらポタが隙を見て縄をほどいていたようです。
「てめえ!」
ビオラへと敵意を向けたときには、ポタに誰も目を向けていませんでした。ポタはポケットからハンカチのようなものを取り出し、男たちにかがせました。目をとろんとさせた男たちはそのまま地面に倒れこみ、いびきをかいて眠ってしまいました。どうやら眠り薬を仕込んでいたようです。
「やるじゃない、ポタ」
「姫様もなかなかですよ」
そう言って二人は握手を交わしました。
男たちは台車にあった縄で縛りつけ、「姫をさらった悪者たちです」と書かれた紙を頭に貼られる羽目になりました。ビオラは面白がって犯人をパンツ一丁にしてしまい、大笑いしていました。
ポタは台車からひったくられた荷物を肩に下げ、それから夜の道を歩きました。城まではしばらく距離がありそうです。
「姫様、靴は?」
「脱いだわ、ヒールは走りにくいし」
そう言うとポタはひょいとビオラをお姫様だっこしました。膝と腰を大きな腕で抱え、その安定感はビオラを安心させるには十分でした。
「ポタのくせに生意気ね」
「姫様眠らせて城までもこれで運んだんですだ」
「あっそ、ご苦労なこと」
「姫様、怒ってるだか?」
「なにを?」
「お城につき返したことだよ」
「怒ったわ、ふざけるなって思ったわよ」
「ごめんな、姫様」
「言い訳くらいはきいてあげるわ」
「おらな、家族がいないんだ」
「きいたわ」
「でもな、おらが親なら、あんなに長い間、娘がいないなんて、耐えられないと思ったんだ」
ビオラは黙ってポタの話を聞いていました。
「だからな姫様には、おらより王様とお妃さまと一緒にいるべきだと思ったんだよ」
「じゃあ誘拐なんて引き受けなきゃいいのに」
「ほんの一月だけだ。だから引き受けただ」
「バーセル王子からいくらもらったの」
「なんだ、そこまできいていただか」
「当たり前じゃない」
「後払いの約束だっただ。でもな、バーセル王子は本気でおらを殺しにきただ。だからこの人、おらをだましたんだと思って、お金はあきらめただ」
「ほんと間抜けね、あんな男の言葉を信じるなんて」
「おっしゃる通りですだ」
「ほんと、間抜け」
ビオラはしばらく、ポタの腕の温かさを感じていました。ずっとずっと、求めていたものでした。だから嬉しくて、しばらくこのままでいたいと思いました。
「姫さま、背伸びただなあ」
「でしょ、もう子供じゃないのよ」
「成長して、すっかり大人だ」
「重いとか言ったらぶん殴るから」
「姫様くらいなら軽いもんだ」
「でもあんたは太ったわね」
「あ、ばれただ?」
「見りゃわかるわよ。あれよりぶくぶくになってどうすんの」
「これでも運動とかがんばってるんだよ」
「あれからどうしてたの?」
「あの後、デュシャンヌ王国にいるのは気が進まなかったので、よその国でやって行こうと思っただ。別に失うものはなにもなかっただ。育てていた野菜は惜しかったけどな」
「ふーん、もったいない」
「今頃もう全部土になってるだよ」
「もう野菜は作ってないの?」
「そうさなあ、全然だ」
「なによ、熱い夢を語ってくれたくせに」
「おらにも生活があるだ。やりたくてもやれないだよ」
ポタのその声色は、どこかつらそうでした。
「警備員って儲かるの?」
「まあ、普通だなあ。昔のほうが稼ぎは上だっただよ」
「かわいそうに」
「別にいいだ。今はそこそこ幸せなんだ、姫様」
「また野菜育てたい?」
「当たり前だ、でも現実は難しい。そんな感じだ」
「難しいのね、普通の人って」
「姫様も姫様なりに難しそうですがねえ」
「そうかしらね。あ、ねえポタ、私ね、バイオリンがんばったのよ」
「みたいだなあ、おらびっくりしただよ。あの怠け者の姫様にあんな才能があっただなんて」
「素直に褒めなさいよ」
「すごいだよ姫様、よくがんばっただね」
「なんかむかつくわね」
「じゃあどう言えばいいだか」
「……もういいわ」
「一度でいいからききたいと思っただが、仕事が忙しくて、全然休めなかっただ。でもな姫様、本当なら演奏会のときの会場の警備はおらが担当だったんだよ」
「へえ」
「仕事しながら姫様のバイオリンが聴けるの、楽しみにしてただ」
「ごめんなさいね、余計なことして台無しにして。今頃王国はどうなってるのかしら」
「国中が姫様探しまわってるだよ。早く帰らなきゃ」
「またどっかの遺跡で暮らしましょうよ」
「もうそれは勘弁だ、姫様」
「それもそうね。じゃあポタ」
「なんだ、姫様」
「誘拐した罰として私と結婚しなさいよ」
緊張して、ビオラの口調はいつもより早くなっていました。二人とも黙りこんでしまいました。ポタはビオラを抱えたまま、ゆっくりと城への道を進んでいました。夜空にはあの誘拐された初日のような満月が、二人の様子を窺うようにやさしく照らしていました。星はその月を囲むようにきらめいています。それはまるで宇宙が二人の上を覆いかぶさっているようでした。ポタが草原を踏み締める音と、鈴虫が鳴く音、風の音、ほのかに聞こえる町の喧騒。たくさんの音が強調されて聞こえました。いつもと空気の香りが違うことに、ビオラは今更気がつきました。
「姫様」
「なによ、文句あるの」
「おら、もう奥さんがいるんだ」
ビオラはポタの肩に下げた荷物を見ました。それを抱えていた女性は、確かに既婚者のような雰囲気でした。
「その、荷物の人?」
「ああ、べっぴんさんだろ?」
「ええ、とてもきれいだったわ」
また二人とも無言になりました。お互い何を言えばいいのかわからないという感じでした。最初に口を開いたのはビオラでした。
「奥さんのこと、好き?」
「ああ、大好きだ」
「それは奥さんも?」
「そうだとおらは信じている」
「デブなのに、よく結婚してくれたわね」
「おらも信じられないだ。あんな子と出会えて、本当に幸せだ」
「ふーん」
「姫様は、どうして結婚しないだ?」
「あんたを見つけるまではしないつもりだった」
「……そうだか」
「思いついたんだけどさ」
「なんだ?」
「あんたの奥さん打ち首にしていい?」
「だめに決まってるだよ」
「じゃあ私と結婚しなさい」
「そんな無茶を言わないで下せえ」
「訴えてやる」
「ひどいお人だ」
「本気だからね、覚悟しなよ」
「ああ、わかった。覚悟しとくだ」
いつのまにかビオラは眠りについていました。
目が覚めた時、見覚えのない豪華な天井がビオラを出迎えていました。
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