phase2-3

どうやら、自分を殺しきるということは存外に難しいらしい。わたしの言葉、わたしの思想、わたしの魂、そういったものは全て世界にとっちらかって、片付かないままだ。すべてを消し去ってわたしがわたしを殺しきることはきっとどうやったって無理なんだろうね。わたしは、君の中にも居る。


 ふたつめのテキストファイルの内容を投稿し終えた後、スマホはすっかり静かだった。「letter_space」が何か熱心に話しかけてくるものだろうと思っていたから、ちょっと意外だった。登録してある全てのSNSに同じ文面を投稿し終えて、スマホを机の隅に置いているけれど、課題をし始めてからは、着信を知らせる振動やら音やらに邪魔をされてはいない。

 このまま黙っていてくれればいいのにな、と思った。「letter_space」がもう、青い寄生虫に話しかけようなんて考えなければ良いのに、って。だって、「letter_space」は青い寄生虫が生きていると信じて、いくつものメッセージを送りつけてきたんだから、寄生虫がはっきりと、自分が死んでいる、ことを表明したなら、幻滅するんじゃないかって思う。でも、よくよく考えれば、ひとつめのテキストファイルの内容でもう、寄生虫は、自分が死んでいることをはっきりと告げているんだった。青い寄生虫が「自分はもう死んでいる」と表明すること自体がもう大きく矛盾を孕んでいて、矛盾しているならそのどちらかを信じるしかない。そのときに、言ってる内容の方じゃなくって、何かを言っているということ自体の方を、「letter_space」は信じることにしたんだろう。なら、今黙っているのもきっと時間の問題で、そのうちうるさくさえずり出す。人は、信じてるものを簡単に変えられるほど、単純には出来ていないから。

 あたしだってそうだった。昼休み、うれしそうに返事をしてから別れたしろ先輩のことを思い出す。「letter_space」が送ってきたリプライを見て、あたしはとても悲しくなって、腹が立って、寂しくなって……何か、ひとりで居ることがとても心細いようにも感じた。あの瞬間の胸の苦しみを言葉にし直してみるならそういうものになる。それで、あたしは救いを求めてしろ先輩にあんなことを言ってみたのだ。しろ先輩はあたしにはとても優しいから、きっと、あたしがもう一回手を伸ばしたら簡単に握ってくれる。そういう人だから、あたしはすがりつこうとした。そういう風にあたしが助けを求めたのは、あたしがまだ先輩のことを「優しい人だ」と信じているからだった。優しすぎるから厭になった、なんて考えてもいるのに優しさを頼りにするなんて、あたしはとてもゲンキンだ。

 最後の英文を写し終わったから、シャーペンをノートの上に置いて、ため息をつく。教科書を閉じてノートの間に挟んで、鞄に戻す。まだ黙り込んだままのスマホを手にとる。本当に何のメッセージも受信していないみたいで、ホームボタンを押して画面を明るくしても、自分で設定した待ち受け画面と時計以外には何も表示されていない。「letter_space」からもしろ先輩からも、何の音沙汰もなかった。ふたりとも、ひと段落ついた、という感じなのかもしれない。それで寂しさを感じるあたしがやっぱり身勝手なのかもしれないと、うんざりするような考えが頭を過ぎる。そういう考えを振り払うつもりで、頭を横に振ってみる。手の中のスマホはまだ静かなまんまだった。

 日曜日、駅前の広場で十時に。「letter_space」が青い寄生虫に向けて発した、今のところそれが最後のメッセージ。駅というのがどこの駅かも分からないのに、あたしは、その果たされないだろう待ち合わせを見物しにいこうと、もうとっくに決めている。決めているというのなら、「letter_space」もそれは同じなんだろう。青い寄生虫が何をどう言っていようと、「小宮尚史」が生きていると信じて待ち合わせを指定してきた。「letter_space」は、そう決めたことが揺るがないように、何も言わないことにしたんじゃないだろうか、とふと思いつく。そんなことは起こりっこないんだけど、真っ青なアイコンのアカウントが「letter_space」の約束を反故にするようなことを言うんじゃないかって不安になったから、急に黙り込んだんじゃないだろうか。やっぱり「letter_space」も、青い寄生虫の死を、都合のいいように解釈して、信じている。

「それができるのが人間のすばらしさだと思わないかい?」

 いつの間にか机の隅にちょこんと居た真っ青な寄生虫が、もたげた頭を懸命にも傾げながらあたしに向かってそう言った。ハスキーな声は笑いを含んで朗らかに明るい。「わたしが、君を信じてこのアイコンを託したみたいに。君が、裏切られることを期待して彼との約束を延期させたみたいに。わたし達は信じたいものだけを信じる生き物だし、それでこそようやく生きていけるように出来ているんだから」青い寄生虫と目が合っているのが分かった。寄生虫の頭のどこにも目なんてついていないのに、寄生虫に色々を見透かされているのが分かった。同意をしようにも声が出なくて、せめて瞬きを繰り返してみると、机の隅の青い虫は消えていた。あれ、と首を傾げてみても寄生虫は見あたらず、机の周りの床を見てみても、どこににも青い影はなかった。一瞬だけ、夢でも見ていたんだろうか。

 スマホの画面を見ると、もうすぐ日付が変わる時間だった。新しい通知は来ていない。多分、日曜日が過ぎるまであんなにうるさくはならない。そんなことを考えて、何故か、胸の底がざわついた。

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