phase1-2
『
やあ、久しぶり。元気にしてるかい?わたしは、どっちでもないな。死んでることには死んでる以上の属性付けは出来ないもの。でも、敢えて選ぶなら元気なんだろうね。これも、自分で決めたことだから。元気に、死んでいるよ。
』
スマホの通知はまだ止まない。いちいち確認するのに画面を見るのも面倒で、家に帰ってからは音を聞くだけだけど、課題に集中できないぐらいの間隔でスマホは電子音を鳴らす。呼ばれているのはどうせ寄生虫の方だ、って分かってるのに、あんまりうるさいから、あたしは机の前を離れて、ベッドの上にうつぶせに寝転ぶ。柔らかい布団に顔を埋めながら枕元を手探りしたら、充電中のスマホの角が手に当たった。スマホの本体を持ち上げて、握りしめながら、仰向けになる。薄暗い天井に向けて腕を伸ばしながら、スマホの画面の上に指を滑らせてロックを解除する。意外な名前が一番上にあった。電話の着信履歴に、一昨日に別れた年上カレシの名前。ついさっきの音は、この電話の音だったみたいだ。
今更何を話したかったんだろう。あたしが別れたいって言ったときには何にも反論もしなかったくせに、今更何だったんだろう。もう、別れてるのに。だんだん、腹が立つ。スマホの画面にその名前が出てるだけでムカついてくる。画面に強く指を押しつけて、名前のところを横にスライドする。唐突に現れた赤いゴミ箱のアイコンをタッチすると、カレシ、じゃなくて元カレシの名前はごみ箱に吸い込まれてった。いい気味だ。
後に残っている、ずらっと並んだ通知を見てみるけど、どれも同じ名前からの送信だ 。「letter_space」。真っ青な寄生虫に宛てた大量のメッセージ。通知をスライドして、そのメッセージを見るのは簡単だけど、実際に踏み切ってしまうのはなんとなく気がすすまない。プライバシーの侵害、というやつを考えてしまう。
何、死んでいる人間にプライバシーも何もあるもんか。という言いぐさが、まるで自分のものみたいに浮かんでくるけど、これは寄生虫の声が聞こえているんだ、という気がした。だって、青い寄生虫のいくつものアカウントをあたしはもう覗き見ていて、それに飽きたらずアカウントを乗っ取って、メッセージを発信しているわけで、そう考えると寄生虫はあたしの方なのかもしれないけど、ぶんぶんと首を横に振る。あたしはあたしだ。それは確かなことに思えるけど、あたしが寄生虫なんかじゃないことの証明には足りない気がする。
思い切って、画面の上に指を滑らせて、ぽかりと浮かんだ通知をスライドさせる。少し息が楽になる気がする。真っ青な四角のアイコンがあたしを見ている。これを見るも見ないもあたし次第だって思えると、大丈夫のような気がした。
一昨日の夜、どのSNSにメール通りにログインしてみても、そこにあるのは同じ、真っ青なだけの四角いアイコンだった。真っ青な寄生虫、っていうのはアイコンの色と、どれだったかの自己紹介に書いてあった言葉から拝借した。「正常な世界の寄生虫」って、なかなかどうして忘れがたいフレーズだ。真っ青なアイコンを自分の顔に選んだ、もう死んでいるっていう誰かは、きっと頭が良かったんだろうと思う。知らないけど。あたしがその誰かを知っているのは一昨日の夜にやってきたメールを通じてだけだし、青い寄生虫のもとに綴られたちょびっとの言葉を通じてだけだ。たくさんのアカウントをとってるのに、ひとつひとつのアカウントに残された言葉はごくわずかだった。ひとつの投稿もされてないアカウントがあったぐらいだ。アカウントでつながってる人数もひどく少なくて、大半は、フォロー数は少なくてもフォロワー数は多いアカウントだった。でも、一昨日から、ひとりかふたりずつフォロワー数が増えている。「letter_space」は、そのひとりだけど、そのアカウントは他のと違っている。真っ青な寄生虫に対し個人的なメッセージを送ってくるのはそのアカウントだけだし、返事もしないのにしつこくしつこくメッセージを送り続けてる。まるでストーカーだ。もう死んでいるらしい相手を必死に追いかけてる。そんな相手が居る、一昨日のメールの送り主、寄生虫の本体だった「小宮尚史」という人がなんだか羨ましく思えてくるのは気のせいだと思いたい。でも、また画面に新たな通知が浮かぶ、「letter_space」からのメッセージが届いたっていう通知。三日も我慢してるんだからもういいや、って誰かへの言い訳みたいに考えた。いいよ、っていう返事がスマホの中の寄生虫から聞こえるような気がした。
通知をタッチすると、そのSNSのアプリに画面が切り替わる。真っ白なアイコンが目に付いた。ただ真っ白なんじゃなくって、ノートか何かの切れ端らしい。毛羽立った切り口と、紙の表面のような繊維の模様が見える。「letter_space」ってアカウント名は、画面の上の黒い帯の中に白い文字で綴られている。アイコンの右横に浮かんだ吹き出しの中に、文章が詰め込まれている。吹き出しはひとつでなくて、いくつか並んでいる。ひとつひとつに与えられたメッセージは、それぞれ違っているらしい。
『
ミヤ先輩?
』
『
先輩、どこに居るんですか
』
『
生きてるんですね
』
『
会いたいです、先輩
』
ひとつひとつは短い。ストーカーみたいなしつこさとは裏腹だ。他でのメッセージもこんな具合なんだろうか。ちょっと、拍子抜けだ。肩の力が抜ける。腕を頭の上に放り出して、ゆっくり息を吐く。体全体の力が抜けて、布団の上に沈み込んでいく、ような気がする。リラックスするってこういうことかなって思うのに、目を閉じてもまだ、本物みたいなスマホの画面が視界に浮かんできて、そこにあるメッセージがあたしにしつこく呼びかけている。いや、あたしじゃない、あたしのスマホに住み着いた真っ青な寄生虫に。もう死んでいる、あたしの知らなかったヒトに向けて、「letter_space」がずっと、メッセージを送り続けている。あたしの発信した言葉を見つけて、トカゲの尻尾が動いてるのを生きてるんだって思い込んで話しかけてる。
あんたは知ってるんじゃないの、って聞きたくなった。「letter_space」は「小宮尚史」というヒトが死んでるのを確かに知ってるんだろうって、それなのに、「小宮尚史」というヒトが生きてて、真っ青な寄生虫を操ってるんだっていうことを信じてるみたいにメッセージを送りつけてくるのは、馬鹿げてる。時間の無駄。何でそんな事をするのかって、聞いてみたい。でも、じゃあ、もうとっくに死んでるヒトの頼みごとを聞いて真っ青な寄生虫をスマホに飼うことにしたあたしだって、馬鹿みたいじゃないだろうか。しかも、「letter_space」みたいに必死な訳じゃない。この頼みごとをかなえれば、流れそうになった涙がちょっとは紛れるかなって、ほんの軽い気持ちで引き受けた。だって、あれが全部本当だなんて思わないじゃない。
右手に握りしめたままのスマホが音を出さずに震える。咄嗟に、親指を画面の上で右に滑らせる。やってから、しくじった、って考えて、スマホを顔の正面に持ってきてから目を開ける。受話器のマークと、元カレの名前が黒い画面に光っている。「もしもし?」なんて焦った声が、スマホから聞こえてくる。今は、それに返事をする気分じゃない。画面の右下にある赤いボタンをタップして、スマホを枕の向こうに放り投げる。ベッドの棚板にぶつかって、画面を下にして布団の上に落ちたのを確かめてから、枕に顔を押しつけて、耳を塞ぐ。もしかしたらまた新たな通知が来てるかもしれないけど、また元カレから電話がかかってくるかもしれないけど、どっちの相手をするのも怖かった。耳を塞ぐのに握りしめた両手の指先が震えてる。
あたしはとんでもないことをしてしまったのかもしれない、なんて、根拠も何もないけれどとても恐ろしい感じのする言葉が浮かんできて、頭ががんがん揺さぶられるような気がした。押しつぶされてしまうんじゃないかって思った。
一昨日来たメールについてきた添付ファイルの二つ目の日付はちょうど明日だって、思い出した。
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