第六章:花と蜜蜂と私

「撮影が終わった後はよくここに来るの」


 マルトはエレベーターのボタンを押しながら呟いた。


 二人しかいない密室なのに、まるで第三者に聞き付けられるのを恐れるようだ。


「そう」


 仕事の後に彼女がクラブに踊りに行っているのはこちらも知っているし、ここは別にいかがわしい場所でもなさそうだが。


「ここならおかしな人はまだ少ないから」


 艶やかな金髪の背が更に声を潜めて告げる。


 梔子の香りがふと鼻先を通り過ぎた。


 というより、この匂いに慣れて無感覚になっていたのが改めて蘇った格好だ。


「そう」


 有名人で若く美しい女性となれば、外を歩くだけでもサバンナを歩くシマウマのようなものだ。


「一応、気を付けて」


 心細げな瞳で私を振り向くと、マルトはエレベーターのボタンを押した。


 音楽と煙草と酒の匂いが私たち二人に押し寄せる。


「あら、マルト。今晩は」


「久し振りだね」


 流行りのモードで着飾った男女が笑顔で近付いてくる。


 やはり最先端のファッションに身を包んだ他の客たちも申し合わせた風にこちらに目線を向ける。


「お久し振り」


 マルトが雀斑の浮いた顔に笑いを浮かべると、出方を窺う風に眺めていた人たちの表情もふっと和らいだ。


 場所を変えただけの、いつもの光景だ。


 私の隣に咲く大輪の花と群がる蜜蜂。


 目にする度に、自分が透明になったように感じる眺めだ。

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