第二章:解けないシニョン
「アン、ドゥ、トロワ……」
鏡張りのスタジオで、教師の声に合わせて私たちは一斉に同じ動作をする。
同じように髪をシニョンに結い、同じように黒いレオタードを着て、同時に同じポーズを取る。
まるで、工場の規格検査のラインに乗せられた製品みたいだ。
実際、定められた基準に達しなければ上のクラスには行けない。
「アン、ドゥ、トロワ……」
だが、一番辛いのは、この鏡張りの部屋の中では、嫌でもマルトの隣に立つ自分の姿を目にしなくてはいけないことだ。
腰高く、すらりと長い手足を柔らかに動かすマルト。
そもそも頭半分背が低いという点を差し引いても、私は明らかに手足が短く、動きも固い。
同じシニョンに結って同じ黒のレオタードを着ているからこそ、そんな違いがいっそう際立つのだ。
むろん、クラス全体で見れば、私よりもっと不格好な子や下手な子も当たり前にいる。
というより、鏡に映る同世代の女の子たちの中だと、私とマルトは、輪郭といい、肩の格好といい、一見して姉妹と判る程度には似ている。
だからこそ、マルトが「完成品・合格品」で、私が「失敗作」に見えてくるのだ。
そう思うと、鏡の中のマルトは相変わらず優しげなのに、私の顔はどんどん陰鬱で「失敗作」どころか「欠陥品」「廃棄品」にこそ相応しくなってきた。
脇の下がじっとりと汗ばむのを感じる。
そうなると、汗の匂いを放つ自分の体全てが下劣に思えた。
「今日はここまで」
やっと、終わった。
ほっと息を吐くと同時に胸の奥が一へら削られたような疲れが襲ってくる。
「あなたのパパの映画、今、そこの映画館でもやってるよね」
振り向くと、同じ教室の数人がマルトに話し掛ける所だった。
パパと同じで、マルトはこんな風に行く先々で人に囲まれる。
まるで、大きく開いた薔薇に蜜蜂が群がるみたいに。
「私、まだ観てないの」
はにかんだ風にマルトが微笑んで答えると、出方を窺う風に見守っていた何人かの顔もふっと和らいだ。
何らか含む所があって声を掛けてくる子たちも、いざマルトから笑顔と澄んだ声が返ってくると、こんな風に氷が融けたようになる。
「じゃ、これから一緒に行こうよ!」
マルトを真ん中にワアッと楽しそうな空気が広がった。
「マリー」
気付かれないよう退散するつもりだったのに、マルトの声に足を止められる。
振り向くと、マルトは何だか心細げな表情をしていた。
他の子たちは初めて気付いた風にこちらに目を向けている。
「私、用事があるから」
返事を待たずに教室を出た。
そうだ、私にもやることがある。
街路樹のプラタナスの緑がざわざわ揺れる下を歩きながら、思い巡らす。
家に帰ったらショコラを飲んで、ピアノの練習をしよう。
バレエは下手だけど、ピアノはマルトと大差ない。
弾いている間は顔が綺麗じゃないとか手足が不格好だとか考えずに済むから。
ピアノの練習が終わったら、この前買った英語版の「鏡の国のアリス」を読もう。
まだ難しいけれど、フランス語訳を先に読んでるし、辞書を引きながら読めば何とかなるはずだ。
英語を読むだけならマルトよりももっと進んでいる。
紙に書かれた文字を追うだけなら、声が低くて可愛くないと感じずに済むから。
深緑の影の下、湿った路地の匂いを吸い込みながら進む胸の奥がシクシク痛み出す。
「アハハハハ」
背後からの笑い声に振り向くと、マルトと他の子たちが映画館に入っていく所だった。
シニョンを解いた金髪が午後の日射しを吸って独立した生き物のようにふわふわ揺れる。
曇りなく笑った横顔の鮮やかさは、一般にはむしろ美少女と言って差し支えないバレエスクールの仲間たちに混じってすら際立って見えた。
その横顔は、私には気付く気配すらなく建物の中に消える。
すぐ近くのはずなのに、まるで遥か遠くに行ってしまった気がした。
額と首筋の突っ張って痛む感覚にふと我に返る。
シニョンに結ったままだった。
ピンを取ってほどくと、髪の毛が二、三本巻き込まれて抜ける痛みに思わず顔をしかめる。
汗を含んだ髪が首筋に貼り付いて鬱陶しい。
この栗色の髪は大抵いつもこんな風に重たいのだ。
息を吐くと、
こちらの全てを見通しているようで、実は私を視野には入れていない目。
早く家に帰ろう。
レオタードとシューズの入ったバッグを抱き締めると、私は俯いて足を早めた。
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