十ノ段
倒れていたベイルが
「馬鹿な……確実に心臓を貫いたはずッ!」
目を見開き驚愕するイメツム。その動揺を見逃さず、ベイルは一匹の蟲を口内から吐き出した。
「――ッ!?」
イメツムの眼前で閃光を放った蟲は暗闇をまばゆく照らした。
視界が一瞬にして白く染まり、完全に視力を奪われたイメツムは舌打ちをする。その瞬間、懐に潜り込んできたベイルは仕込み剣をイメツムの首筋めがけて斬りつけた。
「くっ!」
目は見えない。しかし、閉じた瞼の裏側は殺気が具現化された刃をはっきりと捉えていた。イメツムの首に刃がとどく直前、左腕の赫焉で刃の軌道を逸らす。金属が擦れ合う音と共に、火花がイメツムの頬を流れていった。その熱さによってさらに研ぎ澄まされた感覚を乗せて小刀を逆手で切り替えした。
「ちぃ!」
完全に虚をついたはずの攻撃にすぐさま対応されたベイルは、戦慄をおぼえながら距離を取る。
「バラン殿が後れを取ったのも頷ける」
「貴様、なぜ動ける」
いまだ視力を失い目を閉じたまま小刀を構えなおしたイメツムが問いかけた。それは視力が回復するまでの時間稼ぎだったが、そんな浅はかな手に乗るような相手ではなかった。
「目は見えているものと思って攻撃させてもらいますか」
イメツムの問いかけを無視し、両手を広げたベイルの周囲に羽虫が一匹、また一匹と集まってくる。その蟲は以前クラーケンを倒した後にイメツムに襲い掛かってきたコガネムシに似た虫だった。その数は次第に増えていきベイルの周りは翡翠色に煌く蟲が羽音を立てて飛び回っていた。
(まずいな……目の見えぬこの状況、羽音でベイルの動きを先読みもできん)
「ゆけ蟲達よ! 奴を喰らい尽くせぇ!」
見えない目に映る無数の殺意がイメツムを取り囲み四方から襲い掛かってくる。
「おおおおおッ!!」
イメツムは雄叫びを発し蟲を切り裂く、一匹たりとも仕留め損なうことを許されない。なぜならば、このコガネムシに似た蟲〝アラクネ〟はアーステアに存在する魔蟲の中でも最上級の危険種に指定されており、致死性の猛毒を持つ蟲だったからだ。無論、イメツムはそのことを知らないが、直感的にわかっていた。
絶えることのないベイルの猛攻を凌ぎつづけるイメツム。視力が回復する様子はなく、ただただ蟲を斬り続ける。その数は軽く四桁を超えても尚、終わりが見えなかった。
「数が……ッ! 多すぎる!」
この時、イメツムは忍術を使う余裕などなかった。術の発動には印が必要であり、その威力が大きい術ほど複雑な印を組まなければならない。なにより厄介だったのはアラクネの硬度だった。以前に戦ったアジダハカの鋼皮と同じ、もしくはそれ以上の硬度を誇るアラクネ。小刀に纏わせた雷遁〝疾風塵雷〟によってぎりぎり切り裂くことができてはいるものの、雷遁を維持したまま別の術を発動する隙が見出せないでいた。
「イメツム!」
「フィアナ来るな! 死ぬぞ!」
下手にフィアナが手を出そうとすれば蟲達は彼女を標的に変えるかもしれない。そうなれば守りきることは不可能。
やがて、気力と体力も底が見えたところで空が白みはじめた。
「粘りますね……ここまで私の蟲に抗い続けたのは君が初めてだ」
「はぁはぁ……はぁ、まだまだ」
イメツムが強がりの言葉を口にした瞬間、足元にいた一匹のアラクネがイメツムの腹部へと突撃した――。
「かはっ!」
それは仕留め損ねていた一匹だった。
イメツムは膝を突き、その場でうなだれた。フィアナの叫ぶ声が遠く聞こえ、意識が薄れていく中で心臓の音だけがやたらと耳に残っていた。
「終わりましたね。存外あっけないものだった」
完全なトドメをさすべく、仕込み剣を手にイメツムに近づいたベイル。首をはねようと振りかぶった時、イメツムの懐から何かが落ちた。
「……ん?」
それはイメツムが持っていたクリスタルだった。琥珀色に輝く石が地面へと落ち、ベイルの足元に転がった。
「あれは、オルバスに渡されたクリスタル?」
フィアナがそう呟いた直後、クリスタルがひとりでに浮遊し魔法陣が出現。そこから赤い光が空へと昇り、同時に物凄い衝撃波と共に土煙が舞い上がった。
「なんだこれはッ!」
土煙を払ったベイルが目にした人影は、片膝をついた状態から立ち上がる。相貌が明らかになり、薄い笑みを浮かべたその人物は燃えるような赤い髪に身の丈ほどもある大剣を肩に担いでいた。
「オ、オルバス……オルバス・バレンスタイン!」
「よぉ、フィアナ」
驚いていたフィアナに軽く手を上げて応えたオルバスは、悠然とした態度で周りを見回していた。
「イメツム、相当やばかったようだな」
「……オルバス殿、なぜここに?」
「お前に持たせた石は転移魔法を圧縮させて封じ込めた聖石の一種でな、使うと俺がその場所に飛べるように仕込んでいおいた物だ」
イメツムが懐に忍ばせていたクリスタルが蟲の攻撃を防ぎ、その衝撃で魔法術式発動したことでオルバスが召喚された。まさに偶然、奇跡と呼べる出来事だった。
「――にしても、こんな奴相手にだらしねえぞイメツム」
オルバスの一言にベイルは目を眇めた。
「面目ない……」
イメツムは言い訳をしなかったが、クラーケン、レア達との連戦、そして彼女を救うためにほとんどのオーラを使い果たし、その実力の三割程度も出せないほど消耗していた。それに加え、ベイルの強さはあのバランシュナイヴにも劣らない実力を秘めており、苦戦を強いられたのは当然のことだった。
オルバスは頭をがしがしと掻きむしりながら溜め息をひとつ吐いた。
「おい、そこの包帯野郎」
退屈そうな眼差しでベイルに声をかけたオルバスは言葉を続ける。
「――そこの小僧は俺と再戦する約束をしてるんだ。悪いが邪魔しないでくれんかね」
「これは意外、まさかこんな場所でドレイク王に拝謁できようとは思いませんでした」
オルバスは挑発染みたベイルの台詞に小さく鼻を鳴らした。
「ふっ、弱った狼を嬲って満足したか? 心にもないこと言うなよ」
二人の間の空気が張り詰めていた。しかし、その強張りを打ち壊すように森の奥から人の走る足音と叫ぶ声が轟いた。
「イメツム!」
それはオマルだった。そして後に続いてレアも駆けてくる。
「オ、オルバス兄さん!? 何で此処に……」
「おぉ! レア、お前無事だったのか」
一転して明るい表情へと変わったオルバスはレアのもとへと歩み寄る。その脇を抜けてイメツムの傍へと駆け寄ったオマルが、慌てた様子で声をかけた。
「イメツム! どうして一人で行っちゃったんでつか! 馬鹿なんでつか!?」
「あ……いや、すまぬ」
危険に巻き込みたくないというイメツムの思いは、オマル自身も解かっていたことだ。それでも何も告げずに一人で行ってしまったことが許せなかった。
「オマル……あなた無事だったのね!」
「うぷっ」
フィアナに抱きつかれ胸の谷間に顔が埋もれオマルは苦しそうにもがく。そんな二人に安堵の息を漏らしたイメツムは震える足腰に鞭を打つようにして立ち上がった。
「なんとも賑やかになりましたね」
ベイルは虚ろな瞳を流すように視線をイメツムへと戻す。
数の上では絶対的に不利。ただしベイルが警戒するべきは弱ったイメツムを除けばオルバスのみだった。
「ベイルジェイル! チャベスとゼトの仇は討たせてもらうわよ!」
レアが双剣を鞘から抜き放ち身構える。その言葉を聞いたオルバスが目を眇めた。
「そうか、あいつらは死んだのか」
「そうよ! こいつのせいで――ッ!」
今にも斬りかかろうと身を乗り出したレアの頬をオルバスが平手で叩いた。乾いた音が空に響き、その衝撃で目の前が一瞬白くなったレアは驚きのあまりオルバスの横顔を呆然と見つめる。
「あいつらが死んだのは力が無かったからだ。それはお前の所為でもある」
「……兄さん」
レアと共にこのエルドラド島へと来ていたチャベスとゼトもドレイク王国の騎士。彼らはレアの護衛としてオルバス自身が命じ共に旅立たせた者達だった。
オルバスにとっては自分の部下であり、仕えてくれた臣下なのだ。彼は傲岸不遜な王ではなく、何よりも臣民を、同胞を、仲間の命を尊ぶ。故に、それを奪った者を彼は決して許しはしない。
「気が変わった、ベイル……とかいったなお前」
明らかにオルバスの周りの空気が変わっていた。それは先ほどまでの挑発的なものとはまた違った殺意の片鱗――。
「気が変わった、と申しますと?」
ベイルの問いに両目を開き向き直ったオルバスが肩に担いでいた大剣を突きつけて言い放つ。
「お前をぶち殺すんだよ」
その言葉と同時に、一瞬にして間合いを詰めたオルバスの剣がベイルの胸を貫く直前だった。
頭上から風を切り裂く音ともに飛来した物体を察知しオルバスは後方へ飛び退いた。
「ッ!」
大地に突き刺さった物体は片刃に反りのある刀剣だった。それは、オルバスやレア、オマル、フィアナが今まで見たこと無い武器だったが、イメツムだけは知っていた。
「こ、これは……太刀……?」
刀剣を投げた人物は壊れた遺跡の上に立ち、漆黒の外套を風になびかせながらその場にいた全員を見下ろしていた。
赫焉たるアーステア 天P @Ten_P
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