九ノ段

 完全に日が落ちきり、夜の闇が訪れた森の中をイメツムたち三人は歩いていた。深い森の中には月の光すら届かず、木の枝を燃やし松明代わりにして遺跡群を目指す。

「そういえば、レアはなぜ拙のことを知っているのだ?」

「あぁ、そのことね。私がドレイクを発つ前に兄さんと一回戦ったんだけど、その時に言ってたのよ。『これから面白い奴が来る』って」

 それはイメツムたちがドレイク王国に着き、オルバス、そして本物のフィアナ皇女と戦う前の出来事だった。ちなみにレアはオルバスに定期的に戦いを挑んでいたが、一度として勝ったことはなく、全力を引き出すことも出来ずに敗北を喫している。オルバスからすれば暇つぶしにもならないものだったが、保守的で張り合いのない他の王族とは違うレアに対してはいくらか目をかけていた。だからこそ今回の調査に彼女を選んだオルバスだったが、あまりにも帰還が遅いので心配していたのだ。

「なるほどな」

「あっ! それでそれで、イメツム君はオルバス兄さんに勝ったの!?」

「……どうだろうな、オルバス殿が本気で拙を殺そうとしていたのなら結果は違っていたかもしれん」

「ってことは勝ったんだ……そっか」

 レアは少し残念そうに言うと、気を取り直したようにイメツムに笑顔を向けた。

「ひひひ、じゃあイメツム君は私の旦那さんになるんだね!」

「は?」「へ?」

レアの唐突な発言に、イメツムとオマルが同時に気の抜けた声を漏らした。

「あれ? 兄さんから聞いてない?」

「何のことだ?」

「もしも兄さんに勝てた人が現れたら、私はその人のお嫁さんになって子供を作るの! そしたらアーステア最強の騎士の子が生まれるってわけよ。にひひ、兄さんもそうなったら面白いって喜んでたよ?」

 レアは嬉しそうに話しながらイメツムの腕に自分の腕を絡めて抱きつく。胸元の大きく開いたフリューテッドアーマーから褐色の谷間が視界に入る。思わず目を逸らしたイメツムだったが、さらに顔を近づけてきたレアの大きな瞳に引き込まれそうになった。

「離れるでつ!」

 間に割って入ってきたオマルが二人を引き離すと、ぎろりとレアを睨んだ。さらに持っていた松明をぶんぶんと振り回しイメツムからレアを遠ざけた。

「あぶっ! ちょっと何するのよぉ!」

「しっしっ! レアは悪い虫がまだ体に入ってるんじゃないでつかね」

 ジト目で悪態をついたオマルに対し、レアは蟲惑的な笑みを浮かべてやれやれといった風に両手を広げる。同じく辟易とした表情で溜め息を漏らしたイメツムが一人で先に進みだした。

「とにかく今は先を急ぐぞ」

 レアが小走りでイメツムの横に並んで歩くと、機嫌を伺うようにして尋ねた。

「ベイルに捕まっちゃってるの、フィアナ……ちゃんだっけ?」

「そうだ」

 イメツムは視線をレアに合わせることなく答える。

「どんな娘なの?」

「……普通の女子だ。どこにでもいる普通のな」

 そう言ったイメツムの横顔を見つめながらレアは小さく笑った。

(なるほどぉ……こっちが本命のライバルってわけね)


 それから一時間ほど歩いたところで三人は野宿をすることにした。夜の森を進む危険と、オマルの疲労を考慮した結果だったが、彼は内心焦りを感じていた。しかし、それはフィアナの身の危険とは別の何かを感じてのことだった。

 オマルとレアが寝静まった後、イメツムはひとり森の奥へと進みだした。

(すまんな、二人とも……)

 イメツムはフィアナがベイルの手に落ちてしまったことに責任を感じていた。フィアナを、仲間を守ることこそ忍の道だと理解したにも関わらず、舌の根も乾かないうちに守るべき者を危険に晒してしまった。そんな自分がどうしようもなく腹立たしかったのだ。


† † †


 洞窟の中でひとりうずくまっていたフィアナは、鍾乳洞から垂れ落ちる水滴の数を数えながらイメツムとオマルのことを考えていた。その場から動こうにも、無数の蟲が取り囲み身動きは取れない。魔法を使うことも考えたが、洞窟内には特殊な結界が張られている。そのせいでルーンを魔力へと転換できないようになっていた。

「どうすればいいの……イメツム」

 足音が聞こえた。ひたひたと冷たい地面を歩く足音、その方向へ目を向けるとフィアナの視界に再びベイルジェイルが立っていた。

「皇女……こちらへ」

「…………どこへ連れていこうというの?」

「あなたに会いたいという方がいらっしゃいましてね」

 いつの間にかフィアナの周囲にいた蟲達がいなくなっていた。それを確認し立ち上がった彼女はベイルを睨みつけた。

「私はあなたの思い通りにはならない」

「抵抗したければご自由に、何ならここで腕や足の一本落としていきましょうか」

 ベイルは腕に巻いた包帯に忍ばせていた剣を出してフィアナの喉元へと突きつける。

「……その物言い、バランシュナイヴを思い出すわ」

「そうか、バラン殿を屠ったのはやはりあの忍の少年ですか」

「あなたバランシュナイヴを知っているの?」

「私も異端神問会の神官ですので。それに、バラン殿は命の恩人でした」

 ベイルにとってバランシュナイヴは師とも呼べる人物だった。そして、とある罪から生まれた国を放逐され路頭に迷っていたベイルを引き取った親代わりでもあった。しかし二人の関係は親子と呼べるようなものではなかった。バランシュナイヴはあくまで自分の手駒としてベイルを育てたに過ぎず、ベイルもまた異端神問会に仕えることで生きる理由を得たに過ぎなかった。だからバランシュナイヴが死んだと聞かされた時も別段なにも感じなかった。

「――ですが弱ければ死ぬ。何も得られず全てを奪われて息絶えるだけのこと」

 ベイルは突きつけていた剣をしまいそう吐き捨てた。

「あなた……最低よ。虫以下じゃない!」

「おかしなこと言いますね。人間と虫とで何が違うのですか? 神から等しく命を与えられた生物にも関わらず、あなたはそれに優劣をつけるのですか?」

「そ、それは……」

「ふん、まぁいいでしょう」

 口ごもったフィアナから視線を切り、ベイルは洞窟の出口へと歩き出した。そして、フィアナは仕方なくその後に続いた。

 洞窟の外は夜だった。草むらから虫の鳴き声が響き、穏やかで心地いい風が頬をなぜる。

「ふぅ……」

 フィアナは湿っていた洞窟の中から解放された。剣こそ取り上げられているが、今なら魔法を使える。ベイルの隙を見て逃げることも可能かもしれない。そう考えていた矢先――。

「わからないことがあります」

 ベイルは藍色の空を見上げながら突然そう呟いた。

「え?」

「私はいつから自分がこうなったのか思い出せないのです」

「こう……なった? どういう意味?」

 フィアナにはベイルの言っている言葉の意味がわからない。人間的な何かが欠けていることは想像できたが、先刻の洞窟内で言っていた命の優劣について語るベイルの言葉はある意味では確かに正しく、人間らしい物言いだった。だからこそフィアナも反論できなかったのだ。

「記憶がないんですよ。異端神問会に入る前の記憶が……ただ、飢えて苦しかったことしか思い出せない。私はそれが知りたい」

 幼いベイルは何もない荒野を一人で歩き続け、水も食料もなく、頼れる人間も傍にいなかった。腹が減れば雑草を食(は)み、木の皮をかじる。虫も食べたし、泥水も飲んだ。命が惜しかったわけではなかった。ただベイルは苦しいのが嫌だったのだ。

 ベイルの言葉にフィアナは眉根を上げる。

「…………過去があるだけいいじゃない」

 口を尖らせて愚痴るようにこぼしたフィアナの言葉にベイルが振り返った。

「それはどうい――――ぐッ!?」

 走った痛みを実感した刹那――。

「……滅」

 低く冷たい声音と共に、イメツムの小刀がベイルの背を深々と貫いていた。

「いつ……の間に……」

「知らなかったのか? 夜こそ忍の本領だ」

 闇よりも尚暗い漆黒の瞳をした忍。無慈悲という言葉を体現した正に暗殺者の姿がそこにはあった。

「……ッ!」

 何の前触れもなく現れたイメツムにフィアナは声を失っていた。彼女の目に映るイメツムの顔は暗くてはっきりとは見えなかったが、肌に突き刺さるような殺意が空気を通して伝わってくる。それはフィアナがいまだかつて感じたことのないものだった。

「フィアナは返してもらうぞ……ベイル」

 イメツムは突き刺した小刀を抜き血を振り払うと、ベイルはその場で崩れ落ちた。そして、夜の静けさと虫の鳴き声だけが空に吸い込まれるように消えていく。この時、フィアナは忘れかけていたものを思い出した。これが忍という存在なのだということを――。

「イメツム……」

 ゲヘナ湿原で見たイメツムの記憶、その中で幾度となく見た光景だった。気配を完全に殺し、敵の背後に忍び寄り確実に息の根を止める。その度にイメツムは物悲しい表情をしながら遠くを見つめるのだ。

「遅れてすまぬ、フィアナ」

 そう言って微笑んだイメツムの顔はやはり憂いを帯びていた。

「ごめんなさい。私のせいで……」

 フィアナがイメツムのもとへ歩み寄ろうとした時だった。


「ふっ……ふふふ」




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