七ノ段

 森の中を歩くこと一時間――。

「薄暗くなってきたな。先を急がねば」

「……フィアナを攫ったのって異端神問会の奴なんでつよね?」

「そうだ。ベイルジェイル……蟲使いの男で、かなりの手練れだった」

 バランシュナイヴに続き二人目。しかしイメツムには解からなかった。何故いまさら皇女でなくなったフィアナを狙ってきたのか。

「奴らの狙いはもしかしてフィアナではなく拙なのかもしれんな」

「え?」

 ベイルはイメツムが忍であることを誰かから聞いたと言っていた。フィアナは単なる人質で自分をこの島へ来させるためだったのだとしたら合点がいく。

「ベイルに拙のことを話した人物、そいつは忍の習性を熟知している者だ」

「どういうことでつか?」

「拙たちは元々この島に来るはずだった。にも関わらず、わざわざフィアナを人質にしてまでここへ来るように仕向けている」

 イメツムの話しにオマルはさらに首をかしげた。

「いまいちよくわからないんでつが……」

「忍は任務の成功率を最も重視する。君子危うきに近寄らずという諺があってな、危険性が高い場合は身を潜め決定的な瞬間までは決して動かなくなる」

 かく言うイメツムも修行時代の任務において暗殺には特に入念な下調べを行い、標的が一人になるまで何日も息を潜めていた経験がある。その中で標的を仕留め切れなかった人間は二人、その内の一人はイメツムの師・百地幻波。そしてもう一人は――。

(いや……奴は仕留めたはず。あの深手では助かるまい)

「つまり解かりやすく表現すると、ビビって逃げないようにフィアナを連れて行ったってことでつよね」

「……拙がそんな臆病者に見えるのか?」

「み、見えないでつ」

「死を恐れているわけではない。問題は任務に失敗した後の状況だ。捕まり、拷問にかけられれば仲間を危険に晒すことにも繋がる。天凪流は特に秘伝忍術の漏洩は命を賭してでも避けねばならぬからだ」

 イメツムがオマルのビビリ発言に少し不満げな表情でそう語り聞かせている途中、彼の耳が何者かの足音を捉えた。

「誰かいるな。まだ遠い位置だが、足音からして三人……こちらへ近づいてくる者たちがいる」

「敵でつか!?」

 イメツムは地面に耳をあて動きを探る。大地を通して伝わってくる足の運び、気配の殺し方、どちらも常人のそれではなかった。

「まだ断定はできぬが、敵と仮定してこちらも動こう。少し遠回りになってしまうが、進行方向を変えるしかない」

 体調を考えるとできるだけ無駄な戦闘を避けたい。そう考えていたイメツムは進んでいた南西方向から西方へと周り迂回する形で遺跡を目指した。


 そして歩くこと三〇分ほど経った時、イメツムが大きく溜め息を漏らした。

「駄目だな」

「へ?」

 イメツムが突然口にした言葉に対しオマルが間の抜けた反応を返す。

「さっきの三人が拙たちを囲むようにして再び近づいてきている。逃がしてくれる気はないらしい」

 空を見上げたイメツムの瞳には、夕日が沈んだ後の藍色が広がっていた。

「に、逃げまつか?」

「……いや、迎え撃つ。来るとわかっているのなら待ち伏せて……狩る」

 イメツムは懐からありったけの忍具を取り出し地面へと並べた。あるのは苦無が一〇本、煙玉が二つ、そして分銅鎖が一つ。

「クラーケンとの戦いでだいぶ使ってしまったからな。少々心もとないがこれで何とかするしかないか」

 錬金術で忍具の錬成も可能だったが、ベイルとの再戦を考えオーラを温存しておきたかったイメツムは、手持ちの武器だけでこの場面を切り抜けることを選択した。

「僕に何かできることはないでつか?」

「オマルはまだ身体の毒が抜けきっておらんだろう。無理はするな」

 毒に耐性があるオマルといえど、普通の人間を短い時間で死に至らしめるほどの毒を受けて問題がないはずがなかった。体調だけでいえばイメツムよりも疲労している。それは彼女の息づかいや足運びなどで気づいていた。

「でも僕も役に立ちたいでつ……」

 そう言いしょんぼりと俯いてしまったオマルの頭に手を乗せてイメツムが言う。

「……そうか。そこまで言うのなら一つ頼まれてくれるか?」

「うん!」

 嬉しそうに応えたオマルに、イメツムは人差し指を立てて説明を始めた。

「敵の三人にはおそらく拙よりも感知能力に優れた者が最低一人はいる」

「何でそんなこと分かるんでつか?」

「それは敵は拙が気づくよりも早くこちらの位置を知り、近づいてきた上に包囲までしてきているからだ」

 オマルが感心したように腕を組んで頷く。

 細かな説明を省いたイメツムだが、魔法による感知、あるいは探知能力であると考えていた。根拠はいくつかあるが、一番の理由としてはルーンの流れだ。明らかに周囲に流れるルーンに他人の視線、言い換えれば意思のようなものが感じられた。

それからイメツムは敵を待ち伏せするにあたっての段取りをオマルに話し、二人は準備に取り掛かった。


 イメツムたちのいる場所から南西に三〇〇メートルほどの離れた場所。森の中を歩く一人の女はそっと耳に手を当てた。

『目標ノ動キガ止マッタ……仕掛ケル』

 独り言のように呟いた言葉は離れた場所にいる仲間への精神感応魔法、いわゆるテレパシーだった。

 その女はゆらゆらと揺れる白銀のポニーテール、健康的な褐色の肌を包む青銅の鎧、そして長さの異なる双剣を腰に下げている。

 褐色の女は立ち止まり呪文の詠唱を始めた。

『幻影ヲ駆ケル咎人、幽閉サレシ聖人、無明牢獄ヲ開キシ鍵トナル者を捕ラエヨ。ハイブリダス』

 手を当てた地面から蒼い光の魔法陣が出現する。さらに、同じ魔法陣が彼女の前方にいくつも浮かび上がり、まるで光の道のように軌跡を創る。

 ハイブリダスは魔法陣を踏むたびに加速する高速移動魔法である。

『……仕留メル』

 魔法陣に足を踏み入れた女は正に光の速さで動き出した。木々をかいくぐり茂みを抜け、最短距離でイメツムたちのいる場所へと詰め寄る。そして視界に黒装束の男を捉えると、腰の双剣を抜いた。

「チッ!」

 会敵したと同時に小刀を抜いていたイメツムが身構える。

(予測よりも早かったな。オマル……巧くやってくれよ)

 女は何の躊躇もなく左手に持った長剣をイメツムの首めがけて斬りつける。イメツムはそれを姿勢を屈めて避け、小刀を逆袈裟に振り上げた。同時に金属音が暗い森の中に響き、小刀が女の右手に握られた短剣に止められていた。

「二刀流か!?」

 二人の剣撃が夜闇の中で火花を放つ。僅か数秒の攻防、その中で交錯した視線にイメツムは違和感を覚える。

(こやつ……心が読めん。操られているのか!?)

 その違和感のせいで始めこそ後手に回っていたイメツムだったが、次第に双剣の間合い、攻撃の癖も見えてきた。長剣の隙を短剣で補い防御するという独特の剣法、しかしこれは攻撃の起点となる長剣を見ておけば問題ない。つまり――。

「どうした。それでは一生かかっても拙を仕留めきれんぞ」

 イメツムが長剣の攻撃を躱し続ければ、手数を増やすために右手の短剣も攻撃に使うしかない。しかし、それが隙を生むことになる。

 左右同時に迫る剣を右は小刀で、左は赫焉で受け止めたイメツムが薄く笑みを漏らした。直後、力任せに両腕を跳ね上げる。

『クッ!』

 女は強靭な膂力を誇るイメツムに体勢を崩された。

「これで胴がガラ空きだ――ッ!」

 女の腹部めがけて蹴りを放とうとしたイメツムだったが、背後からした茂みの揺れる音に振り返る。そこには二メートルはあろうかという大戦斧を振りかぶる巨漢、側面からは鉤爪を両手に備えた小男が迫っていた。

「ぬっ!」

 イメツムは側面から来る小男めがけ両端に分銅の付いた鎖を投擲する。そして、すぐさま頭上に振り下ろされる大戦斧を白刃取りで受け止めた。

 分銅鎖によって片腕が近くに生えていた木に繋がれ、小男は宙空で体勢を崩していた。

(こやつら女ごと拙を斬るつもりだった……)

 双剣を弾かれた衝撃で尻餅をつき倒れている女を目の端で確認し、視線を目の前の大男に戻した。

『ガアァ……』

「正気ではないな」

 砕けそうなぐらい歯を食いしばり目を充血させて唸る大男。その様子は狂戦士と呼ぶに相応しいほどの殺気を放ちながら握る斧に力を込める。

「破ッ!」

『グガッ!』

 両手で挟んだ斧を横に逸らしたイメツムはそのまま大男の足を蹴りで払い落とし転倒させる。そのまま意識を断つために打とうとした拳が腹部へ到達する直前に今度は背後の女、分銅鎖をほどいた小男が体勢を立て直し再び迫る。

 イメツムは三対一の状況下で全ての攻撃に対し瞬時に対応してみせる。しかし、個々の戦闘能力はイメツムよりも遥かに劣る敵だったが、攻撃の軸線上に仲間がいようとお構いなしに仕掛けてくるために、自分と敵を庇いながらの戦いを強いられていた。

(操られているのなら出来るだけ殺したくはない。何とか正気に戻さなければ)

 ――何をしている。そのまま同士討ちさせればいいだろう。

 イメツムの頭の中で幻影が冷たい言葉を吐き捨てる。その幻影はかつて己の手で殺めてきた者たちへと姿を変え、その中には母親の姿もあった。

 これはイメツムが窮地に陥り、心と身体が乖離する悪癖の前兆だった。このまま戦いが長引けば自分の命を優先するべく周囲の人間すべてを殺めることになるだろう。

「オマル! 今だッ!」

 イメツムは身を隠していたオマルの名を叫び合図を出した直後に真上へと跳躍。風を切る音と共に仕掛けていた苦無が一斉に放たれた。三人の刺客は各々の武器で苦無を弾き落とす。

「ここだ!」

 空中から煙玉を二つ投げ落とし煙幕を張ったイメツムは各個撃破を試みる。まずは大男の背後へと回りこみ脇腹へと肘を穿つ。大男は吹き飛び、樹木へと叩きつけられ動きが止まった。

(まず一つ!)

すぐさま小男の目の前に姿を見せ、慌てて振るってきた鉤爪の隙間に小刀を喰い込ませ柄頭で顎をカチ上げた。

(脳を揺さぶった……これで二つ!)

 二人の敵を一時的に戦闘不能にしたイメツムは、最後の一人を誘いだすようにして再び煙幕の中へと姿を消した。

『無駄ダ……私ニハ見エテイル』

 イメツムが自分よりも感知能力が優れていると言ったのは正にこの女だった。彼女は大気中のルーンの流れを色で判別できる特異な瞳を持っている。イメツムが隠れた煙幕の中、警戒色の赤がゆらゆらと自分の側面へと回りこんできているのが見てとれる。

『ソコダ』

 色の動きが止まった場所を煙幕ごと切り裂いた女はいるべきはずの敵がいないことに動揺した。しかしその直後――。

『ッ!!』

 地中から伸びた腕が女の右手首を掴んだ。

 ――天凪流土遁体術〝土豪烈紳どごうれっしん〟!

「やはりな。お主の能力は望遠鏡と同じだ」

 イメツムの予測した通り、褐色の女が持つ瞳の能力は万能ではなかった。色の濃さで敵の位置を把握できるこの能力は、逆に標的が近すぎると正確な位置、つまりこの場合はイメツムが地中に潜っていることまではわからなかった。イメツムが望遠鏡と例えたのは、ピントが合っていなければ逆にぼやけて見失ってしまうことを意味している。

 そのまま女を引きずり込み頭部以外を地中へ埋めたイメツムは大きく息を吐いた。

「これで三つ」

 他の二人はどうやら気を失っているようだ。

「オマル、もう出てきていいぞ」

 イメツムに呼ばれ木陰からひょこひょこと出てきたオマルも大きく息を吐いた。

「ふぅ……いきなり来た時はちょっと焦ったでつ」

「そうだな。待ち伏せるより早く急襲してきたせいで先手は取られてしまったな」

 二人が安堵したのも束の間、背後で気を失っていたはずの二人から光が迸り夜の森を照らしまばゆく輝きだした。

『ガアアアアアアアッ!!』『ヒャアアアアアアアアアアア!!』

「まさか……自爆!?」

 二人の男の断末魔と共に白い光が広がり、轟音が鳴り響いた。そして、森の木々に爆発時の炎が燃え移りばらばらになった骸が残されていた。

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