六ノ段
洞窟の奥、暗がりにぼんやりと灯るロウソクの炎が見える。鍾乳石から垂れ落ちた雫が頬に当たり、混濁していた意識を徐々に覚醒させていく。
「ん……うっ…………ここは?」
フィアナは冷たい地面から上半身を起こしたが、その時に腰の後ろで手首が縛られていることに気づき、体勢を崩して再び地面へと倒れこんだ。
「おや、お早いお目覚めですね。元皇女殿下」
「あ……あなたは!」
ランタンの傍で岩に腰をかけていたベイルが、フィアナのルーンブレイドを持ち見つめていた。そして、刃を愛でるように指でなぞり呟く。
「うーん、美しい剣ですねぇ。それを扱うあなたも美しいですが……ふふ」
「あなたは何者なの!? オマルたちをどうしたのよ!」
細剣を鞘へと戻したベイルは酷薄な笑みを浮かべながらゆらりと立ち上がった。そのままゆっくりとフィアナのもとへと歩み寄る。
「あの船にいた者は全員……殺しました」
その言葉を聞いたフィアナは絶句した。顔中に巻かれた包帯の隙間から見えるベイルの眼が物語っている。戯言、偽言の類ではなく真実だと。
「嘘よ……。だってイメツムが――」
「忍の少年は訳あって生かしておきました。しかし、あなたの仲間、船員、その他の無頼の輩共はすべて殺しました。憶えておられませんか? あの太った眼鏡の男、ズタズタに引き裂いたところをあなたも見ていたはずです」
フィアナは確かに見ていた。自分が止めたにも関わらず、無謀にもベイルに戦いを挑んだユウタを……。
あの時、ユウタはベイルの発する禍々しい悪意に気づけずにいた。しかし、フィアナはおろかオマルでさえベイルの存在に身の毛がよだつほどの恐怖を覚えていた。
フィアナはその時にイメツムの言葉を思い出していた。ユウタはこのアーステアをおとぎ話の世界か何かと勘違いをしていると――。フィアナには知る由もないことだが、ユウタはベイルのことを敵として認識してはいたものの、戦闘に関してはゲームでいうところのイベントのようなものだと思っていた。異世界に来た選ばれし人間として、自分が勇者だということを本気で信じていた。そうでなければこの世界は自分の見ている夢に過ぎない。すべてが自分の思い通り、醒めれば現実の世界で起きるだけなのだと。
「あの異界人は本当に愚かでしたね。虚構と現実の境すら見えず、力量の差もわからずに挑んできた」
「それがわかっていてどうして無関係な人間を殺したのよ! ユウタにだってきっと家族がいた……帰るべき場所があったのに!!」
ベイルに噛み付くような勢いで無理矢理に身体を起こしたフィアナだったが、その努力も空しくまたも地面へと倒れこんでしまった。
「……かぞく? 何ですかそれは」
「え……? 家族は家族でしょ……自分の両親や兄弟のことよ!」
「…………言葉の意味がよくわかりませんね」
ベイルは視線を横に流し、鍾乳石から落ちた雫が溜まる水溜りを茫然と見つめていた。
(なに……何なのこいつ)
喋り方、その所作においてフィアナの目から見てもベイルは常人のそれと違いはなかった。考え方こそ狂気に身を委ねていることは船の一件で解かる。良識はないが常識はある人物だと思っていた。しかし、ベイルは家族という言葉の意味を本気で理解できていない。その様子にフィアナは困惑した。
「かぞく……かぞく……かぞく…………」
ぶつぶつと独り事を呟き思考しているベイルにフィアナが声をかけようとした時だった。
「ぐっ……! うあぁ」
急に頭を抑えて苦しみだしたベイルは、その場に膝をつく。
「ちょっと……ねぇ、どうしたのよ急に」
「うぅ……ぐぁ…………ッ! くっ、この不快な感覚はなんだ! いったい私に何をした!」
ギリギリと歯を食いしばりフィアナを睨み付けたベイルが痛みに顔を歪ませる。何をしたのかと問われたところで、フィアナには何がなんだかさっぱり分からなかった。それを表情から察したのか、ベイルは小さく舌打ちをした。そして、痛む頭を抑えながら立ち上がり洞窟の出口へと向かって歩き出した。
「待って! 待ちなさいよ!」
「しばらくそこで大人しくしていてください。その場から離れると蟲があなたを食い殺しますよ」
落ち着いた口調を取り戻したベイルは、ふらふらとおぼつかない足取りで暗闇の奥へと消えていってしまった。
「イメツム、オマル……お願い。無事でいて」
† † †
フィアナがエルドラド島の洞窟で目を覚ました同時刻、イメツムとオマルはグリヴァス海峡を抜けエルドラドの海岸へと辿り着いていた。船は船頭をふくめ乗組員が全員死亡していたために海を歩いて渡ってきたのである。
「大丈夫か? オマル」
「ありがとでつ。イメツムこそ僕をずっと背負って大変だったんじゃないでつか?」
「いや、仔細ない」
水面歩行の技である水蜘蛛の術はイメツムにとってさして難易度の高い術ではないが、クラーケンとの戦闘に続き、オマルを背負っての長時間歩行ともなるとさすがに神経の磨耗は激しかった。本来なら少し休憩を挟みたいところではあったが、フィアナの身が気掛かりだったイメツムはその言葉を口にはしなかった。
(体調を考えれば全快時の四割ほどか……)
時刻は午後四時を過ぎ、空は少しずつ茜色に染まりかけていた。
「でもこの広い島のどこにフィアナはいるんでつかね」
海岸沿いを歩きながらオマルが心配そうに呟いた。
「そうだな。ならば高いところから拙が確認してこよう」
イメツムはそう言うと、近くに生えていた背の高い木に登りだした。するすると猿のように駆け上がり木の天辺で島全体を見渡す。
「あれか」
島の中央、森に囲まれた場所にそれはあった。遺跡群の中で一際高い塔は森の木々の中に埋もれるようにして建っており、蔓が壁中に巻きつき自然と一体化している。それは長い間、人の手が加えられていない古からの建造物であることがうかがえた。
「何かあったんでつか?」
木から下りてきたイメツムを待っていたオマルが彼に声をかける。
「うむ、それらしき遺跡のような物があった。南西だ。とりあえずあそこを目指そう」
それから二人は森の中に入り遺跡へと向かって歩き出した。
「そういえばこの島にはゼクスカリバーがあるんでつよね?」
「あぁ、船長がそんなことを言っていたな。だがあくまで噂だろう」
「そうでつね……んー」
オマルが何かを言い淀んだ。ゼクスカリバーにさほど興味はなかったイメツムだが、オマルの態度が気になった。
「何か知っているのか?」
オマルは歩いていた足を止めると、空を見上げながら語りだした。
「リギウス先生に昔聞いたことがあるんでつ。ゼクスカリバーに選ばれし者が現れた時、世界に良くないことが起きるって……不吉の象徴みたいなものなんだって言ってたんでつ」
魔剣ゼクスカリバー、かつて四大国の英雄が打ち倒した魔王が持っていた剣。それは魔王が滅びた後に次元の彼方へ消えていったという。魔剣は新たな魔王候補を求めてアーステアを彷徨い続け、やがてくる滅びの時に混沌を従えて現界するという伝説がある。これは機密魔導書ミスティリオン・グリモワールに記されている予言でもあった。
「不吉の象徴か……確かにこの島は何か嫌な感じがする。しかし、今はフィアナの救出が先決だ」
「そ、そうでつよね。あくまで噂でつしね!」
それはオマルに流れる竜族の血による野生の勘だった。もちろん彼女自身に自覚はなく、確証もない。しかしそれでも拭いきれない不安が胸中に渦巻いていた。
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