五ノ段

 急ぎ船へと戻ったイメツムの眼前には悍ましい光景が広がっていた。船頭、乗組員、盗賊の一団や冒険者たち、彼らは一様にして蟲の毒に蝕まれ息絶えていた。その骸は毒によって、壮絶な痛みに耐えていたらしく、見るに堪えないほど苦悶に満ちた表情になっていた。

「あ、兄貴……」

 背後から掛けられた声にイメツムが振り向くと、そこには盗賊・ガッドが傷を負った腕をかばうようにして立っていた。

「お主、無事だったのか。フィアナとオマル、それにユウタはどこだ?」

「フィアナの姉貴たちは……変な包帯を体中に巻いた野郎に攫われちまって、俺も必死で戦ったんだけどよぉ」

 涙を流しながら悔しがるガッドにイメツムは歩み寄った。

「そうか」

 イメツムは抜いた小刀でガッドの首を切り裂いた。首と胴が離れ、よろよろとたたらを踏んだガッドの体が黒い霧のように広がり散っていく。

 羽音が聴こえ、霧の正体が無数の蟲であることに気づいたイメツムが周囲を見渡しながら叫んだ。

「何者だッ!?」

「ふふふふふ、さて何者でしょうか?」

 蟲の羽音に混じり、どこからか聞こえてくる甲高い声。

「そこかぁ!」

 船のメインマストの天辺に向かい投げた苦無の先には、ボロきれのようなマントを羽織った男が立っていた。

「おっと」

 苦無を首を傾けてあっさりと躱した男は、その場からイメツムを見下ろしながら冷笑を湛えている。そしてその腕にはフィアナが抱えられていた。

「フィアナ!」

「気を失っているだけなので安心してください。この娘には少し用がありますので殺したりはしませんよ。この娘はね」

 含みのある言葉、そして男の目線が船尾の方へと流れていく。それを追うようにイメツムが見た先には……。

「ユ、ユウタ……」

 そこには田頭ユウタだった肉の塊が無惨にも散らばっていた。全身を蟲の毒に冒され、ぐずぐずにただれた皮膚、無理やり引き千切られた四肢には蟲が群がり、光の失われた瞳がイメツムの方を見ていた。

「大口を叩いて向かってきたわりに、少し腕をもいでやったら泣き喚いてうるさかったのでね。挙句の果てに仲間を見捨てて逃げようとしたので少し癇に障りました」

「き、貴様……」

「私の顔は醜い。自分がとても醜いことを理解しているからこそ、こうして顔を覆い隠しているのです。それでも心だけは清く美しくありたいと思っています」

 淡々とそう語る男にイメツムの怒りが殺気となって全身から漏れ出していた。

「ですから容姿も心も醜いそこの肉塊には当然の末路でしょう。生きる価値などない」

「ふざけるな! ならば他の船員たちはなぜ殺した!」

「それは」

 男が問いに答えようとした直後、一気に間合いを詰めたイメツムが小刀を斬りつける。男は腕に仕込んでいた隠し剣でその刃を受け止め二人は肉薄した。

「拙には解かるぞ。貴様はただ人殺しを愉しんでいるだけの狂人だ! どんなに顔や姿を隠そうとも血の臭いまで隠せはしない!」

「ハハッ、それは同族嫌悪というやつですか? 忍の少年」

 腕を払うようにしてイメツムの斬撃を退けた男は、メインマストから飛び降りて船首へと降り立った。

「貴様、なぜ忍を知っている? 何者なのだ!?」

「私の名はベイルジェイル・アークホーン。異端神問会が神官の一人〝孤毒こどくのベイル〟です。忍についてはあなたと近しい方から聞きましてね」

 イメツムはこの危機的状況において、いつになく焦りを感じていた。

ユウタが死に、オマルの安否も不明、フィアナは敵の手中に落ちている。加えてバランシュナイヴと同じ異端神問会のベイルは、イメツムから見ても相当な強さを秘めているのは間違いなかった。

(どうする……もう不意打ちは通用しない。下手をすればフィアナまで殺されかねん)

 イメツムが次の手を思考している最中だった。

「私はエルドラドで待っています。この娘を助けたければ……あとは解りますね?」

「くっ、待てッ!」

 蟲の群れを足場にして移動を始めたベイルが思い出したように振り返った。

「そうそう、もう一人のお仲間ならこの娘をかばった際に海に落ちましたよ。蟲の毒を受けたのでもう手遅れだとは思いますがね」

 それを聞いたイメツムは何の迷いもなく海へと飛び込んだ。ベイルはフィアナを殺したりはしないと言っていた。その真偽の判断を今ここでするよりも、オマルの救出を優先したのだ。

 海中を見渡し、沈んでいくオマルを捉えたイメツムは必死になって彼女のもとまで泳ぎ着いた。

(良かった……まだ心の臓は動いている)

 オマルの脇を抱え、海上まで引っ張りあげたイメツムだったが、その時にはもうベイルの姿はどこにも見当たらなかった。

「くそッ!」


 果てしなく広がる海原で、寄せては返す波に揺られながらイメツムは自分の甘さに歯噛みした。しかし、そんな感傷に浸る間もなく背中に伝わるオマルの鼓動が弱々しくなっていくことに気づいた。

「まずい!」

 オマルを背負い船によじ登ったイメツムは彼女を甲板に寝かせると、気道を確保し人工呼吸を試みる。この時、すでにオマルの心肺は停止状態にあった。

「こんなところで……死なせてなるものか! オマル! 帰って来いッ!」

 生気を失い、青白くなっていくオマルの頬を叩く。さらに鼓動を復活させようと必死に彼女の胸を押し続ける。

「くっ……動け、動け動け動けぇ! 動けといってるだろォ!!」

 イメツムは無我夢中だった。彼は人を殺す術を知っていても生き返らせる術は知らない。医学についての知識などほぼ皆無。だからその行動は本能的なものだったろう。

「……ッ!」

 イメツムは右拳に纏わせた雷遁をオマルの胸に打ち下ろした。拳の衝撃でオマルの身体がびくんと跳ねる。

「…………ごほっ! げほげほ!」

 オマルが口から海水を吐き出し呼吸を取り戻した。彼女の命を繋ぎ止めたことで安堵したイメツムがその場で尻もちをつくように座りこむ。

「よかった」

「イ……メツム?」

 まだはっきりしていない意識の中、オマルは視界に映るイメツムの名を口にする。そして次第に覚醒していく意識と共に記憶がよみがえった。

「フィアナが……変な奴に」

「済まぬ、間に合わなかった。攫われてしまった」

 伏し目がちにそう伝えたイメツムの拳は悔しさに震えていた。結果から見ればイメツムはベイルの術中に嵌まり、ユウタを死なせた挙句フィアナを敵の手中に奪われた。

 オルバスとの闘いで強さの意味、その新たな境地を拓いたイメツムにとってこれは慢心と云わざるをえない。人一人ができることに限界があるとしても、救えた可能性があったのならそれは……。

「拙は……心の何処かで自惚れていたのかもしれぬ。目の前に立ち塞がる敵に気を取られ、その裏にあるものを見誤っていた」

 自身の心情を吐露し俯いたイメツムに、オマルは弱々しい平手を彼の頬に打った。

「……まだ力が入らないでつ」

「お……」

 いつもの快活な笑顔とは違うオマルの真剣な眼差しと声音にイメツムは思わず息を呑んだ。ただ彼女の纏う雰囲気が違うというだけではない。オマルの眼は普段の金色とは異なり碧眼になっていた。そしてその瞳孔は縦に細く伸びている。

(まるで猫……いや爬虫類のそれ)

 イメツムはオマルが竜族の血を引くドラゴニアの子供だということを思い出した。

「後悔してる暇があるなら一秒でも早くフィアナを助けにいくでつ!」

「しかし、お主は蟲の毒に……」

「大丈夫。ちょっと痺れて動けないでつけど、命に関わるようなことじゃないでつ」

 確かに、オマルの身体には毒が効いている様子はなかった。死んでいる船の乗組員たちとは明らかに症状が軽度だ。イメツムが知る術もなく、オマル自身にも自覚はなかったが、竜族はあらゆる毒に耐性のある種族だった。そしてその特性はドラゴニアであるオマルにも受け継がれていた。

 自分の歩んできた人生にあれだけ迷い、悩み苦しんだ末に辿り着いたと思っていた答え。しかし、イメツムはこの時に悟った。真っ直ぐに自分の目を見据える目の前のオマルが気づかせてくれた。

「まだ……、まだまだ拙も修行が足りんな」

 辿り着いた答え、強さの先がまだある。果てしなく広がり、道標すらない荒涼とした大地となっている。

 まだ始まりに過ぎなかった。イメツムが手に入れた答えもまた、星の数ほどある正解の中のひとつ。それで足りないのであればまた新たな答えを、強さを見つける。熱した鋼を叩いて鍛えるが如く、何度も何度も繰り返す。やがてその生命いのちが擦り切れてなくなるまで――。

「行くぞ。フィアナを救いに……エルドラドへ」

(この旅でまた新たな答えが見つかるやもしれん)

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