三ノ段

 時はイメツムたちが港町へ着く前まで遡り――。

 暗雲と瘴気が立ち込めたとある孤島では、まだ日が高い時刻にも関わらず闇に包まれていた。この島の名は〝エルドラド〟。

「波が静かよの……まるで嵐の前の静けさだな」

 男は高く聳え立つ塔の頂上で黒衣のマントをなびかせながら呟いた。

「私にはあなた自身が嵐のように思えるのですがね」

 佇む男の背後にまた一人、細身の男が現れた。病的なまでに青白い顔色をしたその男は薄気味悪い雰囲気を漂わせながら黒衣の男へと歩み寄る。

「またお前か」

「そう邪険にしないでくださいよ。毎度そんな顔されたらこのベイルジェイルといえど傷つくというものです」

 自らをベイルジェイルと名乗った男は、下卑た笑いを含ませてそう言った。体中に紫色の包帯のような布が巻かれており、それが顔の大部分を覆い隠している。

「貴様のように己の素顔を隠し、コソコソと周りを嗅ぎまわる輩を信用できるか」

「それについてはお許しください。醜い顔を人前に晒すことをしたくはないのですよ」

 黒衣の男は振り返り、顔中に巻かれた布から垣間見えるベイルジェイルの瞳をじっと見つめる。心の奥底を覗かれるようなその視線に対しても、ベイルジェイルは目を逸らすことなく応えた。

「それで、以前お話ししたことについて考えていただけましたか?」

「この俺に貴様らの部下になれというあれか」

「部下ではありません、同志ですよ。我々の理想にご協力いただければ」

「ふざけるでないッ!!」

 黒衣の男は声を荒げて尋常ならざる闘気を全身から放った。踏み込んだ片足を中心に石床がひび割れ、ベイルジェイルの全身に悪寒が走る。

「同じことだ。俺は誰にも与するつもりはない! 斬られたくなければ早々に立ち去るがいい」

 白刃をベイルジェイルへと突きつけた黒衣の男は気づいた。蠢く黒い無数の生物が自分の周りを取り囲んでいることに――。

「……抜け目のない奴だ」

「それだけの殺気を向けられては私の蟲が騒ぐのも無理からぬことですよ」

 鼻を鳴らして剣を鞘に収めた男は再び大海へと視線を向けた。

「今日ここへ来たのは他にも用事がありましてね」

「用?」

 指の合図で蟲を引かせたベイルジェイルは静かに語りだした。

「今から二週間ほど前に我らの同志が謎の少年に打ち倒されましてね。あなたと同じ異世界からの来訪者という情報もあり……何かご存知ありませんかね?」

 その話に興味を示した男は腕を組みながら一言。

「……詳しく聞かせろ」


                 † † †


 イメツムたちは港まで着き、船の手配をしていた。

 目的地であるエルドラド島までいく船は、ドレイクを離れる際にオルバスから受け取った書簡を船頭に見せることで快く了承してくれた。

「嬢ちゃんたちも伝説を聞きつけて宝探しに行くのかい?」

「宝?」

 気さくに話しかけてきた初老の船頭の言葉にフィアナは首を傾げた。

「なんじゃ、知らないであの島に行こうってのか。あそこは観光地にしちゃ魔物も出るし相応に危険な所なんじゃぜ」

「私たち人を探しに行くだけです。ちなみに伝説って何なのですか?」

 昼間から酒瓶を片手にほろ酔い気味の船頭は、フィアナの問いに上機嫌で答えた。どうやら彼女の容姿が気に入ったらしい。

「嬢ちゃん、あの島にはかつてこのアーステアを恐怖のどん底に陥れた魔王のお宝だっつう伝説の剣があるって噂なんじゃぜ。その名も……魔剣ゼクスカリバー」

「ゼクスカリバー? 確かエクスカリバーと対を成す神話級の武器でつよね?」

 酔っ払いの話と思い、話半分に船頭の話を聞いていたフィアナの横からオマルが割り込んできた。

「お、興味あるのか? 坊主」

「僕、女なんでつけど……」

「やや、そいつはすまんの。それでそのゼクスカリバーが島の何処かにあるって噂が真しやかに囁かれてるもんで、腕に覚えのある冒険者や、盗賊たちが最近多くてな。これから出す船にもわんさか乗ってるから競争率高いんじゃぜ」

 船頭は笑いながらそう言い、自分の背後を親指でくいくいと指した。そこには柄の悪い連中がたむろしており、各々が周囲を威嚇するように目を血走らせていた。

「ちなみに忠告しておくが、噂が立ち始めてからあの島に行って帰ってきた奴はいないんじゃぜ」

 船頭の付け足した言葉にフィアナとオマルは空を仰ぎ、そして飛ぶ鳥を眺めながら同時に呟く。

「「よし、行くのやめよう」」

 そんな二人を無視してイメツムは船へと架かる橋を渡ろうとしていた。

「ちょっとイメツム! 今の話聞いてたでしょ!?」

「む? あぁ、誰も帰ってきてないらしいな」

「危険すぎるでつ!」

 フィアナとオマルの抗議にイメツムはあっさりと答える。

「別に三人はここで待っていても構わんぞ。拙が一人で行ってくるでな」

「ボクは行くお!」

 一緒に船頭の話を聞いていたユウタは、意外にもイメツムと一緒に行くと言い出した。

「それは別に構わんが、危険だとわかっていて何故いくのだ?」

 イメツムの問いにユウタは拳を握りしめて答える。

「男には行かなきゃならない時があるんだお!」

「ほぉ、良い気概だな」

(ふひひ、伝説の武器イベントなんて転生したボクのためにあるようなものじゃないか。こいつを利用してゲットしてやるんだお。そうすればフィアナたんもオマルたんもボクを見直すんだおっほほ)

「ちなみに拙からも一つ忠告しておこう。邪な考え方をしていると因果応報、やがて報いが己のもとへと還ってくるぞ」

「……?」

 ユウタはイメツムの天凪流読心術によって、自分の心が読まれていることなど気付けるはずもなかった。イメツムがユウタに対しあえて遠回しな助言をしたのは、彼の改心を期待していたわけではない。どちらかと言えば面倒事を避けるためだろう。それでもイメツムが少しでも気を掛けていることは、ユウタにとってこれ以上なく心強いことのはずだった。ただし、彼自身にまったくその認識がないのは危ういことだろう。

「それじゃ、行ってくるぞ」

 イメツムは飄々とした態度でフィアナとオマルにそう告げた。

「あぁもう! 行くわよ! 行けばいいんでしょ!!」

「まぁ、こうなりまつよね……はぁ」

 こうして四人はエルドラド島へと向かう船に乗り込んでいった。


 青天、海は穏やかなれど波高し――。



 イメツムら四人を乗せた船が港を離れてから二時間ほどが経っていた。船頭の話によれば、エルドラドへは半日ほどかかるらしい。

 船首にあぐらをかいて座っていたイメツムは、手に持った八面体のクリスタルをじっと眺めながら潮風に当たっていた。そこへフィアナが来た。

「イメツム、それどうしたの?」

「ドレイクを発つ直前にオルバス殿から渡されたのだ」

 イメツムの持つクリスタルは琥珀色をした精霊石によく似た石だった。ただ、どの精霊石とも色が異なる。

 精霊石は、アーステアに存在する鉱石の一種。風の精霊石は白色、火は赤、水は青、そして地は緑、純度の違いで多少色味が変わることもあるが、イメツムの持つ石はそれらとは違う不思議な輝きを放っていた。

「それで、その石なんなの?」

「わからぬ。オルバス殿が『どうしてもヤバくなったら使え』と言って持たせてくれたのだが」

 その時のオルバスの顔をイメツムは鮮明に覚えている。

「――多分……ロクなことにならんだろうな。ニヤけていたし」

「まぁ、使わないにこしたことはなさそうね」

 イメツムはクリスタルを懐にしまい立ち上がる。そして大きく溜め息を吐いた。

「フィアナよ……あの二人はどうにかならんのか」

 目を伏せてフィアナにそう尋ねたイメツムの後方一〇メートルでは、オマルとユウタが船から身を乗り出した状態で青い顔をしていた。その直後に今朝の朝食だった物が海へと流れていった。

「うっ……ぷぇっおろろろろろろろろろろろ」

「何回目だったか」

「二人とも三回目ね」

 イメツムは忍として平衡感覚を養う修行をしてきたので、初めて乗った船にも酔うことはなかった。フィアナは皇女として他国へ行くことも多かったために船旅は慣れていた。

「こればっかりは慣れるしかないわ」

 フィアナがお手上げといったように首を左右へと振る。


「おほー! ホントにいるぜぇ!」

 イメツムとフィアナが甲板で話をしている時だった。船内から出てきた男が近づいてくるなり騒いでいる。

「こんな所にこんな上玉の女がいるなんてよ。なぁ、嬢ちゃん暇なら俺らの相手してくれよ。ヒヒヒ」

 男は品性のかけらも無い語り口でフィアナの側に寄ってきた。その背後にはさらに六人ほど仲間がいる。どの男も似たり寄ったりな風体の、賞金稼ぎか盗賊といったところだろう。

 フィアナは明らかに不機嫌な表情をしてみせたが、そんなことなどお構いなしに男はさらに詰め寄ってきた。

「そんな顔しないで、ちょっと酒の相手してくれりゃいいんだよ。でないと」

 男は舌を出しながらフィアナの顔の目の前まで近づけて言う。

「――ひんむくぞ」

 冗談半分、本音半分といったところだろうか。そんな舐めきった男の言動にフィアナは無視を決め込んだ。

「あっはははひゃはー! あれ? 怒っちゃった? ひひひ、こりゃ参ったぜ」

「ぶはっ! ガッド、お前いつも女にフラれてんじゃねえか! そんなんだからいつも無理矢理になっちまうんだ! ぶははははは」

 その後も男たちは下劣な自慢話をしながら笑い合っていた。

「なっ? ちょっとぐらい遊ばうぜ嬢ちゃん」

 フィアナはガッドと呼ばれた男に掴まれた自分の腕を見ながら呟いた。その声は波音にかき消され、周りの人間にはほとんど聞こえなかった。しかし、一番近くにいたガッドだけは微かにその言葉を捉えていた。

「あ? なんだって? わりぃけど、もう一遍でかい声で言ってみろや」

 明らかに怒気を溜め込んだガッドの言葉に、周りの仲間の表情が変わった。そして、フィアナが俯いていた顔を上げて言った。

「下郎共の分際で――、口が臭いから私に話しかけるな」

 フィアナの言葉に男たちは一瞬固まった。そして言葉の意味を反芻し、理解したところで場の空気が変わる。それは、まさに一色触発だった。

「おい、女ぁ……ちょっと優しくしてりゃ随分とつけあがるじゃねえか。だらしねぇ乳しやがって」

「それで優しくしているつもりなら、あなたの脳ミソどうかしてるわね」

 男たちがこめかみに青筋を立てていた状況で、火に油を注ぐフィアナの発言は尚も続いた。

「大体、何なのそのセンスの無い髪型。モヒカンに似合わないヒゲ面、むさっ苦しいったらないわ。あなたに声を掛けられた女性は、その汚点を生涯かかえていかなければならないのよ。女が誰からでも誘われたら嬉しいだなんて思ってるんじゃないでしょうね? お生憎様、人間以下の畜生は論外よ」

 フィアナの罵る言葉に完全にキレたガッドが無言で裏拳を放った。その拳がフィアナの頬に当たる直前、イメツムがその腕を掴む。ぎりぎりと音を立てて震える腕の先にいた少年を見下ろし、ガッドは口を開いた。

「んだぁ、このガキはッ! 邪魔するならお前からブチ殺すぞコラ!!」

「その辺にしておけ、さもなくば」

「さもなくば何だ!? がっ――ッ!」

 鈍い音が鳴り、ガッドの腕の骨が折られていた。何が起きたのか理解できず、ガッドは走る腕の痛みにその場からよろめき後退した。

「ぐっ……ふ、ふざけやがって! お前らやっちまえッ!!」

 ガッドの合図で六人の男たちが一斉にイメツムへと襲いかかってきた。

(そういえばフィアナはもともと気の強い女子だったな。皇女の件で最近は少し落ち込んでいたようだが)

 イメツムは迫り来る凶賊を前にしてそんなことを考えていた。ハンマーや大剣、ナイフにショーテルといった凶器を握り締めた男たちが、ほぼ同時にそれらを振り上げてイメツムに打ち下ろした。

 ――天凪流骨法術〝骨頚洒脱こっけいしゃだつ”!

 目にも止まらぬ速さで、六人の男たちへ当身を打ったイメツムが残心と共に呼吸を整える。

「ふぅ……」

「何だぁ? こんなの痛くも痒くももももお……ッ!?」

 六人の男たちは何故かイメツムから遠ざかるようにして逆走していた。自分の意思とは関係なく動く足を止めらずに、船尾へと駆けていく。

「ちょ! 止まっれあああああ――――ッ!!」

 そのまま六人は全速力で海へと飛び込んでいってしまった。そして残されたガッドは、その光景を口を開けたまま呆けて眺めていた。

「さて、お主はまだ続けるか?」

「こ……このガキ、魔法使いだったのかぁ!? くたばりさらせや!」

「やれやれ」

 その後、ガッドも海へ身を投げ出すハメになったのは言うまでもない。その後、溺れかけていた七人を仕方なく引き上げたイメツムとフィアナの前に、正座をさせられた彼らが並んでいた。

「いやー、ホントすんませんでした。自分らチョーシこいてました」

「「さーせんした!」」

 先ほどまで息巻いていた男たちは人が変わったように小さくなっている。その様子を前にフィアナは腕を組み仁王立ちをしながら瞳に怒りの焔を燃やしていた。

「さて、さっきは随分と舐めた口聞いてくれたわね。私の何がだらしないって?」

「あいややや! さっきのはほんの弾みで……姉さんみたいなどえらい美人見たらテンション上がっちゃいまして、あははは」

 掌を返すように揉み手をするガッドの顔面を足蹴にしてフィアナが言った。

「どの口が言うのかしら。どの口が」

「それくらいで許してやってはどうだ」

 イメツムが助け舟を出すと、ガッドがフィアナの足をどかして足元にすがってきた。

「さすがイメツムの兄貴、話がわかるぜ!」

 馴れ馴れしいと思いつつ嘆息したイメツムがあることに気づいた。

「フィアナ、そういえばさっきの洒落は中々よかったな」

「え? 洒落? なんのことよ」

「下郎とゲロを掛けたやつだ。口が臭い男という意味合いから繋げるとはな」

 真顔でそう言ったイメツムにフィアナは呆れていた。

「そんなの偶然よ。私がそんなオヤジみたいなこと言うわけないでしょ……。あなたって時々見当違いなこと言うわね。そういうの天然ていうのよ」

「むぅ、そうなのか。面白いと思ったのだがな」

 そんなやり取りをしていたイメツムの肩に腕を回し、ガッドが耳打ちをしてきた。

「兄貴、フィアナの姉貴は兄貴のコレですかい?」

 小指を立ててそう尋ねるガッドにイメツムは言葉を返した。

「お主はそういう下衆な考えしかできんからフィアナを怒らせるのだ。あと口臭いから寄るでない」

 虫を払うようにガッドを遠ざけたイメツムは、再び船首へと飛び乗り座った。そして、フィアナへ一通り謝罪を終えた男たちは船内へと戻っていった。

 それから数分後、海の先を眺めていたイメツムの鼻が異変を感知した。


「何か来る」

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