二ノ段

 その後、フィアナはイメツムがこの世界へ来た時と同じように、ユウタにもう一度現状を丁寧に説明した。ユウタは説明の最中にもフィアナには理解できないリアクションをとり続けていた。

「よし! では港町オフィリアまで行くんだおー! そこで装備なんかも整えないと」

 意気揚々と先頭を歩くユウタに、フィアナはその背中を睨むように歩きながらぼやいた。

「なんであいつが仕切ってるのよ……」

「いいではないか。変にグズられるよりはマシだろう」

「大体目つきがいちいち嫌らしいのよ。人が親切で説明してやってるのに、ちらちらと人の胸元ばっかり――」

「それは仕方ないでつよ。無駄にデカいでつし……っあでぇ!」

 横を歩くオマルに対し、流れるような拳骨を頭に落としフィアナは鼻息を荒げる。

「何してるんだお! 先を急ぐんだおー!」

 ユウタはフィアナたちを急かすように手を振りながら山道を進んでいく。しかし、一時間ほど歩いたときのこと。ユウタはすでに一行の最後尾を息を切らしながらだらだらと歩いていた。

「こら、あんた遅いわよ」

「そ……そんなこと言ったって、ニートにこの山道はキツイんだお。ぜぇぜぇ」

 一番体力の無いオマルですらまだいくらかの余裕があるにも関わらず、男であり年長のユウタがこの体たらくである。そのことにイメツムは溜め息を漏らす。

「ユウタよ、女子おなごより先にバテるなど自分が情けないとは思わんのか」

 イメツムの一言が気に障ったのか、ユウタは小さく舌打ちをした。それにイメツムは気づいていたがあえて何も言わなかった。その後も一行のペースが上がることなく、ユウタは途中で足を痛めただの、お腹が空いただのと言い訳を重ねては休憩を挟み、予定よりも大分遅れた夕刻過ぎに港町オフィリアへと到着した。その間、運が良かったことといえば魔獣に遭遇しなかったことくらいだ。

 宿に着くなりユウタは急に元気を取り戻し、ぺらぺらとご機嫌にしゃべりだした。

「フィ、フィアナたんはどこかの国のお姫様なんだよね? そうでしょ?」

「元……だけど、何であんたが知ってるのよ」

 四人はテーブルを囲みながら遅めの夕食を摂る。しかし、道中のユウタの行動や態度に機嫌を損ねていたフィアナは彼と目を合わせようとはしなかった。それを察してか、イメツムとオマルもどこか重たい雰囲気を感じ取っていたが、原因であるユウタ自身はまるで気にしていない様子だった。

「やっぱりだお! こういう展開だとパーティーにお姫様は必須なんだお! ふひひ」

「時にユウタよ、お主のいた世界はどういうところなのだ? アーステアへ来たことにあまり戸惑っていないようだが」

 フィアナとの会話を邪魔されたのが気に食わなかったのか、ユウタは面倒臭そうにイメツムの問いに答えた。

「ボクのいた世界ではこういうファンタジー系の漫画やアニメが一種の王道モノとして流行してたんだお」

「ふぁんたじー? まんが? それらは何だ? 芝居の類か?」

「どうせ説明しても理解できないからいいお。とにかく!」

 ユウタはフィアナへと向き直り、声を上げて熱弁を始める。

「ボクはこの世界の救世主として召喚された勇者なんだお! だからボクとフィアナたんは結ばれる運命なんだおー! 伝説の武器や手強いモンスターとの死闘なんていうイベントも目白押し!」

「……いや無理。あなた趣味じゃないもの」

 フィアナが真顔でそう言葉を返したが、ユウタはさらに興奮した様子で口を開いた。

「ツンデレキター!」

 ユウタの言葉をフィアナたちはまるで理解できずに、食卓は静まり返っていた。そして、フィアナが席を立ち一言。

「ごめん、気分悪いから先に寝るわ」

「フィアナ……大丈夫でつか?」

 心配そうな声でオマルがそう尋ねたが、フィアナは無言で自室へと戻っていった。その様子にイメツムは再び深い溜め息を吐いた。

(何やらおかしなことになってきてしまったな……)

 宿の自室へと戻ったフィアナは年季の入った木製のベッドへと腰を掛けた。そして月明かりが差し込む窓の外を眺めながら物思いにふける。

 なぜユウタを見ていると腹が立つのだろうか。それはきっと外見や言動だけの問題ではない。もっと心の奥底にある何かがフィアナには解からないでいた。

「ふぅ……」

 フィアナは小さく息を吐くと、乱れた心を落ち着かせるために祖国であるラ・シルの民謡を歌いだした。皇国に暮らす人間ならば誰でも歌える世俗的な歌だが、フィアナはこの歌が好きだった。

 大地の恵みも人の命も、やがて風に運ばれて空へと還っていく。そして、皇国の守護神であるエアリエルが空から再び命の息吹を与えくれる。その風に揺れる黄金の麦畑から生まれた黄金の騎士、その冒険譚を詞にした歌をフィアナは歌う。

 フィアナの清らかな歌声は静寂の夜に安穏と響き渡っていた。

「良い歌だな」

「きゃっ!!」

 窓の外からコウモリのように逆さまの格好で顔を出したイメツムにフィアナがぎょっとした。

「びっくりしたじゃない! 普通に入り口から入りなさいよ、まったく」

「腹ごなしに夜の腹筋をしていたら歌が聴こえたのでな」

「腹筋なら室内でできるでしょうに……」

 イメツムはその体勢のまま目を眇めてフィアナの顔を伺っていたかと思えば、おもむろに尋ねた。

「ユウタが苦手か?」

「……苦手というか、むしろ嫌いね」

「ユウタは拙と同じ国からアーステアへ来た。ただ、時代が異なるのか、世界が酷似しているだけなのかは分からぬが、平和なところだったのだろう。それ故にこの地をおとぎ話の世界や何かと勘違いをしているようだな」

 イメツムはユウタに何の能力も、技術もないことは一目見た時から気づいていた。身のこなし、周囲への警戒心、内包しているオーラの量と流れが素人のそれだったからだ。

「平和な世界か……。ねぇ、イメツム」

「む?」

「ユウタを見てると、人々が安心して暮らせる世界って人間の堕落を生むんじゃないかって思えるわ」

 フィアナは視線を室内に灯るロウソクへと流しながら呟いた。

「それは飛躍しすぎではないか? すべての人間がユウタと同じではないはずだ」

「そうね。それに、彼にもきっと良いところはあるわよね。同じ人間だもの」

 翌日、ユウタが旅を続ける上で装備が欲しいと言い出したこともあり、フィアナとイメツム、そしてオマルの三人は船旅の準備も兼ねて町の繁華街へと出かけた。

「それで、あなた武の心得はあるのかしら?」

「ボ、ボクは剣道には自信あるんだお! 都内の大会に出場した経験もあるお!」

 ユウタは素振りをするジェスチャーをしながらフィアナの問いに答えた。

「剣? 本当に?」

「ホントだお! はっ、ははは」

 ジト目でそう聞き返したフィアナに対し、ユウタは目を泳がせて途切れがちに笑った。その態度を訝しんだフィアナはイメツムを見やる。しかし、イメツムは瞑目したまま何も答えなかった。

「じゃあ買うのは剣でいいのね。でも、あんまりお金に余裕ないから高いのは無理よ」

「ふひひ、最初はブロンズソードとかしょぼいのでいいお! どうせ後で伝説の剣をゲットできるイベントが発生するんだし。エクスカリバーとかラグナロクあたりキボンヌ。あ、マイナーなところでレーヴァテインとかもいいかも」

 ユウタはぶつぶつと独り言のように今後の行く末を夢見ているのを無視して、オマルはあちこちの売店を物色していた。

「オマル、随分と熱心に品定めをしているな。何か探している物でもあるのか?」

「んー、僕も新しい武器欲しいんでつよ。戦闘になるとあまり役に立てないけど、せめていま使ってる銃を改造したいんでつ」

 オマルはバランシュナイヴと皇女に自分の銃が全く通用しなかったことを思い出していた。もとより戦闘タイプではないにしても、あの時の無力な自分が悔しかったのだ。

「自分の身は自分で守るぐらいはしたいんでつ。だから何か良い材料とかないかなって」

「殊勝だな」

 その後、一通りの物資を揃えた四人は波止場へと向かった。ユウタに見習い騎士が使うショートソードと皮製の鎧一式を買い与え、オマルは銃の改造用に魔導具をいくつか購入した。この買い物の最中も、ユウタはどれを選ぶかに無駄な時間を費やした挙句、自分では決められずにフィアナに選ばせたりしていた。

「はぁ、イメツムは何も要らなかったの?」

 意気揚々と先頭を歩くユウタの後ろを歩き、フィアナがイメツムへと話しかけた。

「拙はこの徒花(あだばな)と忍具だけで十分だ」

「そういえば、クナイとかシュリケンだっけ? それどっから出してるのよ」

「あぁ、あれらは天凪流練金術で精製しているのだ。こんな風にな」

 イメツムは片手で簡単な印を組むと、手品のように手裏剣を出した。

「でも錬金術っていうからには素材が必要なわけでしょ?」

「それは血中の鉄分とオーラを練り合わせているのだ。だからあまり使いすぎると貧血を起こしたりもするぞ」

 真面目な顔でそう語るイメツムに、フィアナは心配そうな表情を浮かべる。しかし、イメツムは視線を進行方向に向けたまま言った。

「冗談だ」

「へ?」

「血中の鉄分を利用することも不可能ではないが、普段は地中や落ちている石などに含まれている鉄分を使っている」

 からかわれたことに気づき、フィアナは頬を膨らませた。そもそも血中の鉄分を使い武器の練成などを行えば、体の血液の大半を失い死んでしまうのは自明の理である。

「うー、分かりづらい冗談言わないでよね」

「ふっ」

 口を尖らせて言ったフィアナにイメツムは鼻を鳴らして小さく笑う。そして、そんな二人の様子を振り返って見ていたユウタは、明らかに不機嫌そうな表情でイメツムを睨みつけていた。

「無駄話してないで早く船のところに行くんだお」

「む、無駄って、あなたね! 武器屋でどれだけ時間かかったと思ってるのよ!? 大体、優柔不断すぎるのがいけないんじゃない! 人が選んだ物にやれ装飾部分が気に入らないだの、もっと短い方が使いやすいだの! おまけに扱えもしない重盾まで買わせようとしたでしょ!」

 溜まっていたフラストレーションが限界に達しフィアナが声を荒げた。

「そ、そんなに怒らなくても……ボクは旅の支度は念入りにするタイプなんだお」

「はっ? その割りに朝はイメツムが何度起こしにいっても部屋から出ようとしないし、食事も子供じゃあるまいし好き嫌い多くて食べ残してるくせに間食ばかりして、あと片付けも全部わたし達に押し付けてたじゃない。あなた自分がどれだけ身勝手なことしてるのか自覚あるの?」

 矢継ぎ早にまくしたてるフィアナに、ユウタは言い訳すらできずに閉口してしまった。

「フィアナ、そのくらいにしておいたらどうだ」

「だってこいつが!」

 イメツムがフィアナをなだめたものの、彼女の機嫌は昨日にも増して悪くなってしまった。

「ユウタよ、フィアナの言い分はもっともなことだ。少し自分を顧みてはどうだ?」

「…………悪かったお」

 俯いたまま小さく呟いたユウタに、イメツムは頷きフィアナの肩を軽く叩いた。まだ納得などしていないフィアナだったが、それでもこれ以上の厄介ごとはご免だとばかりに先頭に立って歩き出した。そして、それに続くイメツムとオマル。


「ちっ、あの忍者……超ウゼぇ」

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