終ノ段
翌日、第二王城シビュラで一夜を過ごしたイメツム、フィアナ、オマルの三人は王都メテオラへと辿り着いた。
信長との戦いで失ったイメツムの右眼には黒い眼帯が巻かれている。傷こそ魔法で癒えたが、視力が戻ることはなかった。だが彼に後悔はなく、覚悟の上での負傷としている。
「えらく不満そうだな、オマル」
横に並んで歩くオマルが頬を膨らませているのを見かねてイメツムが声をかけた。
「僕が気絶してる間に全部終わってるなんて、なんか納得いかないでつよ」
「そう言うな。フィアナにも色々と辛いことがあったからな」
ひとり前を歩くフィアナの背中を見つめてイメツムは言った。
「イメツム……僕はやっぱりあの皇女は許せないでつ」
「普通はそうだ。だが、彼女はもういない……死んだ者は何も答えてはくれん。だから人は思い出の中だけでも美しいままにしておきたいのだ」
賑わう繁華街を歩きながら二人が話していると、フィアナが振り返り近くの露店で買った果物を投げてよこした。
「ほら、二人とも! チンタラしてたら日が暮れるわよ!」
腰に手をあて不機嫌な面持ちでそう言ったフィアナは再び歩き出す。その後を追ってイメツムとオマルもまた歩き出した。
王都へ入ってから三〇分ほど歩いた頃、三人はドレイクの本城へと着いた。
下が河川になっている跳ね橋を渡り、城門の前まで来た三人だったが、門番はフィアナ一人を通すようにオルバスから指示を受けていたために、イメツムとオマルは城外で待つことにした。
門番に案内され城内へと入ったフィアナを待っていたのはメイドのメリルだった。
「フィアナ皇女、お待ちしておりました」
「あなた昨日の……」
「オルバス様から謁見の間へお連れするように言付かっております」
そしてフィアナはオルバスの待つ謁見の間へと案内された。
謁見の間の扉が開き、部屋の奥にはオルバスが座していた。他には誰もおらず、案内役のメリルも扉を閉めるとどこかへ行ってしまったようだ。
フィアナはオルバスの前で片膝をつき頭を垂れる。
「風の皇国ラ・シルが第一皇女フィアナ・ファラリアス……よくぞ参られた」
その言葉にフィアナは眉根を上げる。
「そうツンケンするなよ。嫌味で言ってるわけじゃないんだ」
「ドレイク王、私は……私がここまで来た理由はご理解していただけていますか?」
そう、フィアナの旅の目的は初めからたった一つだった。ドレイク王国と同盟を結び、他の二国との戦争を避けること。偽者だとばれていたとしても、それが自分の使命であることに変わりはないのだ。
「そのことだがな、まぁいくつか条件がある」
「私があなたの妻にということでしたら異存はありません」
オルバスの目から逸らすことなく見つめて、そう告げたフィアナだったが、彼は一つ溜め息を挟むと目を伏せて話し出した。
「異存はない……か。まぁいい、同盟についてはドレイクとしても助かることだしな」
「ひとつだけ聞いておきたいことがあります」
「分かっている……魔蒸機関のことだろ?」
国家間のパワーバランスを崩すほどの兵器である魔蒸機関。それについてフィアナは知らねばならなかった。
「安心してくれ。あれはまだ完成していないし、そもそも戦争に使うつもりもない。元々あれは国防のために研究させていた物だしな」
魔蒸機関は言うなれば巨大な魔導具を動かすための内燃機関であり、ルーンを動力源とした太古の機導兵器を動かすために造られたものだった。
大昔、古代アーステア人の遺したその兵器を現代に復活させるためのものだが、いまドレイクに現存している物は一〇機にも満たない。
「大体、機導兵器だけあっても動かないんじゃガラクタだしな。それを異端神問会の連中があることないこと吹いて回ってるせいで、グノームとオンディーヌが手を組んだわけだが、まぁそれがデマだと知れたらドレイクも危うい。だから牽制の意味でもラ・シルとの同盟はこっちにも利がある」
ドレイクの軍事力は四大国の中でも随一である。しかしグノームとオンディーヌの同盟軍が攻めてくれば、彼我兵力差を埋める手立てはない。無論、同盟国も無闇にちょっかいを出してくるほど愚かではないだろうが、それでも何がきっかけで戦争の火蓋が切り落とされるかは誰にも分からない。
「その言葉を信じてもいいですか?」
フィアナの問いにオルバスは無言で首を縦に振った。
フィアナが本城へ入ってから二時間ほどの時が経過し、城外で待っていたイメツムとオマルのもとへ彼女が戻ってきた。後ろにはドレイクの騎士であろう男が二名付いてきている。
歩いてきたフィアナの表情はイメツムの目から見るに、怒っているような呆れているような微妙なものだった。
「フィアナ?」
「あの男……何が『乳臭い小娘には興味がない』よ! やっぱり嫌いだわ!」
オルバスはラ・シルとの同盟は約束したものの、フィアナとの婚約を受け入れなかった。
「ぷぷっ、フラれたんでつか?」
「そこうっさい! ていうかイメツムは何でまた裸なのよ!」
「小腹が空いたので、そこの河川で魚を獲っていたのだ」
フィアナは顔を紅潮させて手に持っていた書簡を握り締めた。それに気づいたイメツムが彼女に尋ねる。
「それは?」
「同盟の証書よ……私はこれを持ってラ・シルへ戻るわ」
「そうか、それで拙が元の世界へ帰る手段はどうだったのだ?」
「うっ」
イメツムの問いに思わず声を漏らしたフィアナが固まる。
「よもや忘れたのではあるまいな?」
「あ……いや、それはちゃんと調べたわよ。一応」
フィアナはオルバスに異界人のこと、その帰還方法があるかどうか調べて欲しいと確かに頼んだ。そして城内の魔導院で専門の魔導士に事情を話した。
「帰る方法は見つからなかったのか」
「……ご、ごめんなさい」
申し訳なさそうに謝ったフィアナに対し、イメツムは目を眇める。
「まぁ、見つからなかったのなら、それはそれで仕方ないな。さてと、これからどうしたものか」
「僕はイメツムに付いてくでつよ。面白そうでつし!」
そう宣言したオマルは黒箱を背負いなおし、とてとてとイメツムの側へと駆け寄った。
「そういえばバハルスへ一緒に行くと約束したのだったな」
「そうでつ! これから色んな場所へ旅に出て色んなものを見るでつよ!」
イメツムはこのアーステアへ来てから見るもの全てが新鮮で、驚くことばかりだった。自分のいた世界とはまるで違う未知の生物、魔法、自然、そして
「何故だろうな。この世界は……不思議と心躍ることばかりだ」
そう呟いて天を見上げたイメツムの瞳には、蒼い空と輝く雲が広がっていた。頬を撫ぜる風が心地よく、戦乱の世にいた頃の血風がまるで遠い過去の出来事に思えた。
「では、諸国行脚の旅にでるとするか」
「ちょ、ちょっと!」
イメツムとオマルの間に割って入ってきたフィアナが二人の顔を交互に見やる。そして言い淀みながらもイメツムに向かって言った。
「イメツムがどっか行っちゃったら、わ、私はどうやって国へ帰ればいいのよ」
「ん? そこの騎士に送ってもらうのではないのか?」
「いや……それはそうなんだけど…………でも……私は」
ごにょごにょと聞き取りづらい小声でそう話すフィアナの頭上から、高らかな笑い声が響き渡った。
「はははははッ!」
そこには城のテラスから三人を見下ろし笑っていたオルバスがいた。
「いいじゃねーか! 一緒に連れてってやれよイメツム」
「オルバス殿……いや、しかしフィアナは皇女だろう。そんな流浪の旅に同行させるわけにはいかぬよ。それに皇国へ戻らなければ色々と問題も出るだろう」
イメツムは頭を掻きながら嘆息する。無理もない。自国の姫が他国へ出向いたにもかかわらず、そのまま帰還しないのでは国際問題に発展しかねない。
「それは心配するな。書簡は責任をもって届けさせるし、そこの皇女についてはもう偽者だってバレてるわけだしな。それに皇国のジジイどもには貸しもある」
オルバスの言う貸しとは、本物の皇女のことだった。彼女が自らの死を自演し国外へ出た事実を知る一部の皇族、官僚がなぜそのことを公にせずに影武者であったフィアナをそのままにしていたのか。それは彼らにとってその方は都合が良かったからである。
元々、国のお飾りに過ぎなかった皇女が異端神問会と繋がりを持ち、己の欲望のままに振舞う破綻者であったなどと周囲に知れれば、それこそ国の威信に関わる大問題だった。言わば体のいい厄介払いだったのだ。
オルバスが本当の意味で皇女に同情したのはその部分だった――。
「じゃ、じゃあ……私は」
「自由だ。好きに生きるといい」
オルバスの言葉にフィアナは胸の痞えが消えていくのを感じた。本物の皇女の遺志を継いだつもりで今まで必死になって生きてきたフィアナだったが、それは決して彼女自身が望んだことではなかった。心から信じ、慕い、仕えていた皇女はもういない。
「俺が言えたことじゃないが、お前はよくやった」
腕を組み微笑んだオルバスの顔を見上げていたフィアナは、その視線を横に立つイメツムとオマルへと移動させる。
「イメツム……オマル……」
オマルは腕を頭の後ろで組んでニヤニヤと笑っている。そしてたった一言――。
「僕たち仲間なんでつよね」
そのたった一言だけで、フィアナの顔はくしゃくしゃになってしまった。
「馬鹿…………オマルのくせに、うぅ……っ」
「それで、一緒に来るのか? フィアナよ」
イメツムの問いに涙を拭ったフィアナは、この旅で初めて見せる満面の笑顔で答えた。
「もちろん!」
「まぁ、拙は最初からフィアナに付いていこうと考えていたがな」
「はっ!? だってあなたさっき……」
浮かべた笑みを隠すように口布を上げたイメツムは、城下町に向かって歩き出した。
「あ、あなた……私を試したのね。ほんっと可愛くない! こら! 待ちなさい! 待てこのフリチン忍者――ッ!! 早く服を着ろぉ!」
「フィアナ、フリチンごときで大袈裟だぞ」
イメツムの後を追ってフィアナとオマルは走り出した。その背中を見届けたオルバスもまた薄く笑みを浮かべていた。
「本当によろしかったのですか? 彼女を行かせて」
後ろに控えていたメリルがオルバスへと尋ねた。
「皇国の連中は難癖つけてくるかもしれんがな……それでも何とかするさ」
「そうではなくて、オルバス様自身のお気持ちのことです」
オルバスは振り返りメリルの肩を軽く叩いて王宮の中へと戻っていった。
穏やかな空を見上げて深い溜め息を吐いたメリルは独りごちる。
「男の人ってどうしてこう素直じゃないのかしら」
城下町で旅支度を整えたイメツムたち三人は、コルンの待つドレイク王国外の関所にいた。
「では行くとするか」
「ええ!」
「出発するでつ!」
果てしなく広がる大地に三人と一匹は足を踏み出した。
彼らの次の目的地は、まだ決まっていない。
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