参拾伍ノ段
「ふふふっ、完全な投影はできなかったけど……この男があなた達を殺す切り札」
「こんな真似をして一体何になるのだッ!!」
湿原でレプラクォーンによって暴かれたイメツムの過去。その記憶の残滓はフィアナを通して、オリジナルである皇女にも伝わっていた。ただ一人、イメツムが決着をつけることができなかった存在であり、師と同胞の命を奪った不倶戴天の敵として投影された男。
その男と宿命という名の回廊で再び合間見えるのは、必然であったのかもしれない。
『グゥ……ギギ……ギッ!』
魔人と呼ぶに相応しい殺意を漲らせ、信長は獣のような低く重たい唸り声をあげる。皇女の魔力不足による投影によって、信長の人格と理性は忘却の彼方へと消えていた。
「……哀れなものだ」
「イメツム」
「ここからは拙の闘いだ。彼奴の魂を還さねばならぬ」
「でも……あいつは」
「案ずるな。もう憎しみに囚われたりはせぬよ」
彼なりに見つけた本当の強さ。そして生きる意味は他の誰でもない、フィアナという一人の少女を守るために在った。それを上手く言い表せない不器用さもまた、忍であるイメツムらしさといえよう。
「ゆくぞ」
――天凪流火遁術〝双夙双飛〟!
イメツムは本能寺での戦いと同じ術を繰り出し、信長へと火球を撃ち出した。
『ガァ――ッ!!』
「っ!」
信長が放った咆哮のみで火球が掻き消され、衝撃波が堂内に吹き荒れる。明らかに以前戦った時よりも、禍々しい気を纏う魔人に対しイメツムは表情を引き締めた。次の瞬間、人間では有り得ない速度の突進によって、瞬時に間合いを詰めた信長が太刀による斬撃を繰り出す。
「ぐっ!」
刃がイメツムの左上腕を切り裂き鮮血が舞う。咄嗟に上体を反らして致命の一撃を避けたものの、一瞬でも反応が遅れていれば両断されていただろう。
オルバスとの戦いでほとんどのオーラを使い果たし、満身創痍の状態であったイメツムだが、その事実を差し引いても今の信長は圧倒的な力を秘めていた。
左肩の傷は思いのほか深く、血が止め処なく流れていく。
(くっ、左腕が上がらぬ……筋を断たれたか)
これで赫焉を使うことはもう出来ない。しかし別にそれは構わなかった。イメツムにとって赫焉はこのアーステアで手に入れた力。だがいま眼前に立ち塞がっているのは、同じ戦国の世に生を授かりし者。故にこの戦いは異物を交えては貫徹しえない果し合いだった。
二人にはこの場所が燃え盛る本能寺のそれに見えていた。
「互いに万全とは言えぬが、それが拙らの乱世であるならば是非に及ばず」
『グォオオルァ――ッ!!』
獣の如く振るわれる凶刃は、すべてイメツムの急所を正確に攻め立ててくる。殺意と本能に突き動かされて尚、武人として身体に染み込んだ剣術の冴えは衰えていなかった。
(術は使えてあと一度が限界)
オルバス同様に小細工は通用しない。ならば自身の限界を超え、敵の反応速度を上回る以外に勝機はない。
信長の猛攻を刹那の見切りで躱し続けていたイメツムは、針の穴を通すような空隙を縫って反撃の掌打を放った。
『グッ!』
「信長……見せて進ぜよう。戦国最強である天凪流忍者を、そしてその真髄を――」
――天凪流對術奥義・招雷の段〝
組まれた印の直後、電撃が右腕に纏われ迸る。そし右腕を上げたイメツムは、そのまま自らの腹に親指を突き入れた。
「ハァ!」
天威無縫は丹田に雷遁を流し込み、肉体を活性化させる秘術。天凪流の強さとは、幻波が説いたように術の多彩さや威力そのものではなく、極限まで鍛え上げられた己の肉体をオーラで以って制御することを目的とした、絶対無敗の忍術流派。
『ジジ、ジャ、……邪魔ヲスルナァ――ッ!!』
正眼から振り下ろされた太刀を恐れることなく、イメツムは信長の間合いに踏み込んだ。死線を越えることになる、この一歩分だけはどうしても必要だったのだ。
イメツムは刃の軸線上から僅かに身体を開き、最小限の回避動作だけで接近する。
フィアナには一見するとただ歩いて近づいているだけのように視えた。それだけ無駄の無い洗練された所作だったのだ。だがしかし、信長が振るった刃の切っ先がイメツムの顔面を捉えていた。右目を薄く裂かれ、視界の半分が血に染まり滲んでいく。
「右眼はくれてやる」
死線を越えるための代償に得た一歩分――。
その一歩が正に、織田信長という男をイメツムが凌駕した瞬間だった。
『大儀であった…………見事也』
勝敗の決を察した信長に理性が戻っていた。そして満足そうな表情でイメツムに別れを告げ、刀を床へと落とした。
「さらばだ……天魔伏滅」
小刀を信長の首筋に当て、イメツムは刃を滑らせるようにして引き裂いた。そして続けざまに無数の刃を返す。
「づぇあぁ――――ッ!!」
裂帛の気合と共に流れる剣閃は、信長の全身を切り刻む無慈悲の斬撃であった。
戦国時代にあって、具足を纏う武士同士の戦いは、介者剣術と呼ばれる鎧の隙間を狙う戦法が用いられていた。それは敵の戦闘能力を殺ぐことを第一とし、執拗に急所のみを突く原始的な殺人剣。
そして決着へと到る――。
「冥府魔道で……いずれまた相見えようぞ」
刻まれた信長はルーンの光を放ち霧散していく。そしてその光景を目の当たりにした皇女はすべてを諦め、光無き虚ろな瞳で天を仰いでいた。
「これで……終わり…………か。まぁ……悪く……ないかな」
そう最期に言い残して皇女は静かに目を閉じた。その死に顔は、礼拝堂内を照らす淡い光の中で眠る、さながら
月を覆い隠していた暗雲が晴れ、いつの間にか雨も止んでいた。窓の外に見える星空を眺めながら壁に背を預けていたイメツムは聞こえた足音の方を見やる。
礼拝堂の扉を開き入ってきたのはオルバス・バレンスタインだった。
「オルバス殿……」
「終わったようだな」
横たわる皇女を目にしてそう言ったオルバスの表情は切ないものだった。そんな彼の顔を見ずに俯いたままフィアナが糾弾した。
「どうして! あなたは皇女の傍にいたんでしょ!? なぜ彼女を助けてあげなかったのよ!!」
「フィアナ……それは」
口を挟もうとしたイメツムを手で遮り、オルバスが彼女に答える。
「それが彼女の願いだったからだ」
「ッ! こんな終わり方が!? これのどこに人の願いがあるっていうのよ!!」
オルバスは皇女が裏でバランシュナイヴと繋がり、魔蒸機関の情報を流していたことにも気づいていた。そして彼女の心の歪みも、フィアナへの執着もすべて分かっていた。
「俺は自分の欲望のために生きようとしていた。強者を求め、国を捨てようとしていた。そんな俺が彼女の行動を咎める資格などあるはずがない」
それはオルバスにとっての矜持だった。自分に成せないことを他人に強要することは決してしない。例えそれが当人に破滅の道を歩ませることになったとしても。
「……」
フィアナにはもう何も言えなかった。そもそも皇女を追い詰めたのは自分自身なのだから、それが皇女にとって自業自得だったとしても。
「この城は自由に使っていい。心の整理がついたらドレイク本城へ来るがいい」
オルバスはフィアナへそう告げると、真紅のマントを翻し去っていった。
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