参拾肆ノ段

「――――――――嘘」

「あなたにもさっき見せたでしょう? 私は投影魔法が使える。まぁ、人間を投影するのは剣の比ではないほど魔力を要するのだけれど……不可能ではないのよ」

 皇女は自らの欲望を満たすためだけに自分の複製を造った。

「そんなこと……有り得ない。出来るわけがない! デタラメよ!」

「あなた、鎧とかの構成魔法は得意だったでしょう? その才能は……私の切れ端みたいなものよ」

 思い出せない過去、魔法特性、そして瓜二つの顔……その全てがフィアナに残酷な真実を突きつけていた。視界が歪み、自然と涙が溢れてきた。

「…………」

 フィアナは虚ろな瞳で皇女を見つめる。その様子を横から黙視していたイメツムが口を開いた。その声音は静かでいながら小さな怒気を孕んでいた。

「それが真実だとして、何故お主はそんな真似をしたのだ。何故、命を弄ぶような行いをした」

「その子は私なのよ。私が自分の命をどうしようと自由じゃない。そう、自分を傷つけたくて…………私はその子を造ったのよ」

「なんだと?」

 本物の皇女フィアナ・ファラリアスの心は初めから歪んでいた。それは他者に対してではなく、自分自身を傷つけ、苦しめることに愉悦を覚えるというもの。それは肉体的精神的苦痛を嗜好としたものだったが、皇女はある時ふと思った。

「私が絶望の淵で苦しみながら死んだら……いえ、死ぬ間際はどんな顔しているのか、私はそれが知りたかった! でも自分じゃそれができないじゃない?! 一番悦びを感じる瞬間に死んで終わってしまっては意味がない。だから精巧な代替品が必要だった」

 瞳を潤ませ、頬を紅潮させ、嗜虐的な笑みを浮かべながら皇女は自らの指を濡れた唇にあてた。その様を一言で表すなら魔性、悪意の塊のような人間だった。

「狂っている……お主の都合でどれだけの命が失われ、どれだけの悲しみが生まれたと思っている!!」

「あっはははははは! 狂ってる? そんなこと言われなくても知っているわ。でも仕方ないでしょう?」

 皇女は自らの指の爪を噛むと、何の躊躇もなく引き剥がした。そして、血に染まる唇を舐めとり彼女は言った。

「『そう』生まれてきてしまったのだから――でも、人が生まれる時も場所も選べないように自分のことすら決められない愚かな生き物よ。犬猫と何も変わらない」

 人が人を傷つける動機としては余りに理不尽なものだった。常人には到底理解できないものであり、だからこそフィアナは心の底から恐怖していた。

「それは違う! あなたは欲望に負けただけじゃない! 自分の弱さを人間のせいにしないでよ!!」

「あはははは! 悲しそうな顔……辛そうな顔。あなたのそんな顔を見るのがたまらなく心地よかった」

 皇女にとって生きることとは痛みを感じること。自らの肉を裂き、血を流し、骨を砕いて泣き叫ぶことで得られるものが何よりも尊かった。そんな愚劣な自分を見ることもまた彼女にとっては愉しみであった。それは決して常人には理解できない類の狂気。

「私はあなたの人形じゃない!」

「だったら私を殺しなさい。それがあなたにできるのならね」

 フィアナは貫かれた左肩を抑えながら体をひきずるようにして祭壇へと足を運ぶ。そんな彼女の背中へイメツムは声をかけた。

「フィアナ、これはお主の戦いだ。ケジメは自分の手でつけろ」

「……分かってるわ」

 フィアナに応じるように皇女も祭壇から腰を上げる。同じ相貌を持つ二人の少女が向かい合い、視線を交錯させる。

「手負い同士、恨みっこなしの勝負ね」

 薄く笑みを浮かべた皇女はそう言いながら細剣を握る手に力を込める。

「すべての因縁を……今ここで断ち切る!」

 フィアナは己を奮い立たせるように片手で剣を構える。左腕はすでに上がらない、痛みと出血で身体も熱を帯び始めていた。

 長期戦は不利――、一撃必殺のもとに勝負を決するしかない。

 ――先に動いたのはフィアナ。

 皇女との距離はおよそ一〇メートル。

 それは全力の疾走から放たれた最速にして最大の刺突。

「ハッ! 真正面からなんて舐められたものね! 所詮あなたは私の模造品に過ぎない!」

 しかし、皇女の嘲りの声すら今のフィアナの耳には届いていなかった。

 踏み込んだ一歩目から、風の魔力を最大限まで高めて自らの背後に噴射、放出。二歩、三歩と石床を踏みしめる度に加速されていき、身体の周囲に発生したソニックブームがフィアナの全身を包み込むように形成されていく。そして――。

「ッ!?」

 ――疾槍散華セラス・サンファムッ!!

 それは巨大な一本の槍のような猛進、迅速果敢にして電光石火の一撃だった。

 音速を超えた際に発生した爆発音の中から飛び出してきたフィアナに皇女は戦慄した。予測よりも圧倒的な速さを備えた刺突を迎え撃つべく剣を正面に突き放つ。

「――――――――ッ!!」

 フィアナと皇女の体が重なり合った瞬間、折れた細剣の切っ先が宙を舞い、乾いた音を立てて床を転がっていた。

「ごふっ……」

 咳き込むと同時に血を吐いた皇女は、フィアナの肩に顔を乗せるような形で力を失っていた。細剣が皇女の胸を貫き、真紅に染まっている。

「はぁ、気持ちいい……今までで最高の…………痛み……ね」

 皇女の剣はフィアナに届くことなく、風の壁によって真っ二つにへし折れていた。

 フィアナの体を軽く押し、皇女は後方の祭壇にもたれ掛かるように背を預ける。

「何よ……その顔。勝ったのだから……もっと嬉しそうに……したら?」

「勝ち負けなんて……どうでもいい。イメツムが助けにこなかったら……私もオマルもあなたに殺されていたもの」

「……だから?」

「私が剣を手に取ったのは、これ以上あなたを見ていられなかったからよ」

 フィアナの胸には怒りや憎しみなどすでに無かった。それは皇女が心のどこかで苦しみを抱えていることを感じていたからだ。同じ人間だからこそ、理解こそできないが、心の痛みは伝わっていた。

「皇女よ……お主はフィアナが羨ましかったのだろう?」

 イメツムはフィアナの横に並んで声をかけた。

「ふ、ふふふふふ……ぐふっ! げほっ!」

 イメツムの言葉に失笑し、皇女はむせながら再び大量の血を吐きだした。

「――だって、おかしいでしょう? 本物の私がこんなに歪んでいるのに、どうして……複製であるはずのその娘が眩しく見えるの? 昔からそう、すべてが私より劣っていたはずなのにどこまでも真っ直ぐで、いつでも自分より他人を大切にしていた」

 血にまみれた自分の手を見つめながら皇女は尚も続ける。

「いつの頃からか分からなくなったわ。本当に自分が本物のフィアナ・ファラリアスなのかどうか。もう……ぐちゃぐちゃなのよ……全部」

「なぜ誰かに頼ろうとしなかった……そんな風になってしまう前に助けを求めていれば、このような結末を迎えることもなかったはずだ」

 やりきれない想いがイメツムの胸中に渦巻いていた。

「姫様……自分が何者であるかなんて、誰だって分からない。確かにあなたの言う通り、『そう』生まれてきてしまったのだとしたら……それはとても不幸なことです」

 どうすることも出来ない自分が悔しくて、フィアナはまた涙した。どんなに魔法や科学が発展しようとも、どんな賢者や大魔法使いだろうと皇女の苦しみを癒すことなどできはしないのだから。

「すべての物事に理由があるなんて……そんな……のは本当の苦しみを知らな……い奴らの戯言……よ。理由がないからこそ……答えが見つからないからこそ…………辛かっ……た」

 自分が本当は何がしたかったのかさえ、今ではもうわからない。そんな壊れてしまった彼女でも善悪の区別はついていた。ついていたからこそ苦しかった。破綻している自分は一体何の為に生まれてきたのか、皇女はずっと問いかけ続けて生きてきた。

「だからこのまま……終わらせはしない。私一人で……地獄へはいかないわ」

 皇女は最後の力を振り絞るようにして魔力を解放させる。そして先ほどのルーンブレイドの時と同じようにして、投影魔法の詠唱をはじめた。

『彼方と此方、聖者を嗤う不帰の客、主なき光が創りし大罪を許した給え』

 ルーンの煌きが虚空に人の像を作り出していく。

『禁呪〝セフィロト・メイガス〟』

 捧げられた祈りの言霊と共に燐光が迸り、顕現した存在にイメツムの両眼が大きく見開かれた。それは自身と同じ、この世界に本来在るべき命ではない存在だった。

「の……信長!」

 イメツムの前に立っていたのは、後に戦国の三英傑と呼ばれ、第六天魔王と畏れられた武将・織田信長だった。

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