参拾弐ノ段
閃光と共に轟いた雷鳴を合図にしてオルバスが詰め寄った。同時にイメツムは握っていた小刀を空へと放り空手となる。
「ッ!?」
袈裟切りで振り下ろされた光剣に対し、イメツムは右手を外から内へと払うようにして剣の腹へと触れる。
(受け流すつもりか!? だが実体の無いオーラとルーンを混合させた剣には無意味だ!)
その刹那、乾いた破裂音が闘技場内に響き渡った。
「な……んだと」
赤い粒子が弾け、オルバスの剣は光を失っていた。散っていく光剣の粒子が残響と共に消えていく。
――天凪流忍術奥義〝
「オーラとルーンを同時にかき消したのか!? そんな寸分の狂いも許されない緻密な魔力制御を……この土壇場で成し遂げたというのか!!」
オルバスが驚いたことは無理もないことだった。魔力へと転換したルーンと体内で練りだしたオーラ、二種類のエネルギーを極限まで研ぎ澄まし混合させた光剣を打ち消したのだ。それは〇コンマ数秒の狂いも許されないタイミングで、流動的に迸る二種類のエネルギーに対し同質、同量の物をぶつけて対消滅させるという正に神業だった。
「栄枯盛衰……盛者必滅ッ!! おおおおおおおッ!!」
それは完璧なタイミングでの武器破壊だった。オルバスの重心は前方へと流れ、イメツムの繰り出す攻撃を回避することは不可能。左腕の赫焉が太陽のように輝きだし、腕を中心に光が広がっていく。やがて闘技場を覆うほど広がった光が瞬時に収束し赫焉が赤熱化、同時に蒸気のような煙を噴出しだした。
その〝溜め〟を見逃さず距離を離そうとしたオルバスが異変に気づく。
(か、身体が……うごかねぇ!)
僅かに動かせる首を捻り背後を確認したオルバスは驚愕した。先ほどイメツムが空へと放った小刀がオルバスの影に突き刺さっていたのだ。
「〝影縫い〟。忍術の基礎だ」
「お前……全部計算してたのかよ。その左腕でこの闇を照らして影が伸びることも」
「――忍道とは……護ることと見つけたり」
オルバスの腹に赫焉の拳が穿たれ、凄まじい衝撃音の後に赤い粒子が夜空へと突き抜けていった。それはまるで流星のように闇を裂いて、やがて光が途切れ消失した。
がくりと膝をつき倒れたオルバスが苦悶の表情を浮かべながら言った。
「あぁ、負けた。完璧に……俺の負けだ」
本当は知っていた。オルバスは自分の戦う理由が、亡き父の背中を追い求めていただけだったことを知っていたのだ。すでにこの世に存在しない人間の幻影を追う自分と、今ある絆を繋ぎとめようと足掻いたイメツム。生と死、過去と未来、どちらの想いが強いかなど比べるべくもなかった。
オルバスを一瞥し、イメツムは塔へと向かい歩きながら言葉を返した。
「フェーデを使えば結果は違っていたかもしれん」
「あんなのは自分の力じゃねぇ……サシの喧嘩に他人の用意した飯食って挑むなんてのは、粋じゃねえからな」
「オルバス殿、拙はお主に感謝している。その生き方すべてを否定するつもりもない」
「なぁ……イメツム」
「む?」
振り返ったイメツムにオルバスは笑いながら言った。
「また喧嘩……してくれよな。次は絶対負けねえ」
「そうだな。だが、次は腕の一本ぐらい覚悟しておくことだ」
悪戯気味に微笑みを返したイメツムは再び歩き出した。フィアナとオマルの待つ塔へと向かって――。
イメツムとオルバスの決着がついた頃、礼拝堂ではフィアナ、オマル、そして旅路の果てに辿りついたすべての元凶と呼べる人物が向かい合っていた。
「お久しぶりね」
その女は妖艶な微笑を浮かべてフィアナへ声をかけた。
「フィ……フィアナ・ファラリアス皇女――――」
「え? フィアナが…………二人?」
横にいるフィアナと祭壇の前に立つフィアナとを見比べ、困惑した表情をしながらオマルは呟いた。
「生きて……生きておられたのですか?」
それは紛れもなく、フィアナの知る本物の皇女だった。自分と瓜二つの顔を持ち、かつて皇国で自分が騎士として仕えていた姫君。
「幽霊なんかじゃないわよ? ほら、ちゃんと足だってあるもの」
ドレスの裾を少しだけ上げ、白い足を見せた皇女は微笑んだ。
フィアナは未だに信じられないものを見るような目で立ち尽くしていた。次第に大きくなっていく心臓の鼓動と、熱くなる目頭が複雑な感情を押し出すように歩を進ませた。
「姫様……よくぞ、ご無事で」
ふらふらと皇女のもとへ歩み寄るフィアナを止めたのはオマルの一声だった。
「フィアナ!」
「……オマル?」
オマルはフィアナの前に立ち、本物の皇女を睨みつけた。
「聞きたいことがあるでつ」
「あら、何かしら可愛いお嬢さん」
「異端神問会のバランシュナイヴという男を知ってまつか? その男にフィアナを襲わせたのはあなたじゃないんでつか?」
オマルの言葉に皇女は微笑みを絶やさずに答えた。
「ええ、そうよ」
拍子抜けするほどあっさりと暴露した皇女に、オマルは開いた口が塞がらなかった。そして去来する皇女との思い出が、目の前の現実を受け入れまいとフィアナの頭の中を支配していた。
「フィアナ、僕はもう我慢できないでつ……ッ!」
膠着していた時を振り払うようにオマルは銃口を皇女へと向ける。その指が引き鉄にかかる瞬間、フィアナがそれを遮った。
「何か、何か理由があるのよ! 姫様……答えてください。一体何があったのですか!?」
すがりつくように問いかけたフィアナに対し、皇女は溜め息を一つ吐いた。
「はぁ……、あなた変わらないのね。そうやっていつも他人の心の奥底から目を背けて、自分の都合のいい方向にばかり考えるところ」
「なっ……何が、あなたを変えてしまったのですか!?」
フィアナの言葉を聞いた皇女は、自らの髪の毛先を指でくるくると巻き取りながら、退屈そうに天井を見上げて答える。
「変わってなどいないわ。あなたと同じでね」
皇女は祭壇に立てかけていた細剣を掴む。それはフィアナが持っていたルーンブレイドだった。ルゼリオによってこの城へ攫われた際に奪われていたものだ。
「懐かしい……私の剣、まだあなたが持っていたのね」
鞘から抜いた剣を慈しむように指でなぞる。そして、フィアナもオマルさえも聞いたことのない呪文を皇女が唱えると、ルーンブレイドが光を放ち二つに分かれた。
「投影魔法……?」
驚き、震えた声でフィアナが呟いた。
皇女の唱えた呪文は、万物を投影するミスティリオン・グリモワールに記された禁呪魔法の一つだった。
「便利でしょ? その気になれば世界に一つしかない物でも複製できるのよ」
皇女はルーンブレイドの片方をフィアナへと放り投げた。礼拝堂内に音を響かせて床に転がる剣を見つめる。
「さて……始めましょうか。私が待ちわびたこの時を!」
抜いた白刃を構えた皇女が何の躊躇もなくフィアナへと斬りかかった。
「フィアナ! 下がるでつッ!」
「ッ!?」
オマルの声に正気を取り戻したフィアナが、剣を拾い皇女の斬撃を正面から受け止めた。剣の鍔競り合いが不快な金属音となって二人の間で鳴り響く。
「オマル! 手を出さないで……お願いよ」
横から銃を構えたオマルを再びフィアナが制止させる。
「
「言ったところであなたには理解できないもの。それに――ッ!」
肩を押し付けるようにして接近した皇女がフィアナの眼前で囁いた。
「戦う気力を失っては楽しめないじゃない」
力任せにフィアナの剣を弾き、壁際まで押しこんだ皇女が立て続けに刺突を繰り出した。それはフィアナの腕、太腿、肩をかすめて鮮血を散らせていく。
「くっ、風散華ッ!」
「風散華」
まったく同じ構えからの連突きが二人の間で無数の火花を煌かせていた。だがそれもほんの数秒のこと――。皇女の剣がフィアナの左肩を貫き、嵐の夜に悲鳴が轟いた。
「うああああああああああああ――ッ! う……あっ…………あ」
「脇が甘いし、剣筋にも迷いがある。本当に昔と変わっていないのね。そもそも、あなたが私に剣で勝てたことが一度でもあったかしら?」
本物の皇女とフィアナの二人は、皇族として振る舞い、魔法、武の道、学問にいたるまで同じ教育を受けていた。しかし、そのすべてにおいてフィアナは本物の皇女よりも下の評価を受けていた。
「う……うぁ……くっ」
「痛いかしら?」
肩口から滴る血が石の床を赤く染めていく。フィアナの呻き声に恍惚な表情を浮かべた皇女が剣の柄を捻じった。
「くっ、あぁ――――ッ!!」
悲痛な叫びが堂内に響き渡る。
「ふふっ、良い声で啼くわね」
「フィアナ!! このぉ、やめるでつ!」
痺れを切らしたオマルが皇女に向かって発砲した。放たれた銃弾が皇女の顔面を貫く直前、その勢いを失い空中で止まった。
「そ……それは、バランシュナイヴの――」
皇女の身体はバランシュナイヴと同じ風の鎧に包まれていた。
「邪魔……しないでくれるかしら。――
「がッ!!」
空いている左手から放たれた突風をまともに喰らい、吹き飛んだオマルは壁面へ叩きつけられ意識を失ってしまった。
「オマル! そんな……」
「あぁ、そっか。あの子を殺した方があなたはもっと苦しむかしら?」
「え……、ぐッ!」
細剣をフィアナの肩から引き抜き、オマルの倒れている方へ皇女は歩き出した。
点々と床に血痕を残しながら忍び寄る死神の足音に、気を失っているオマルが出来ることなどなかった。
「やめて……やめ…………止まって、止まりなさいッ!! フィアナ・ファラリアス!!」
恐怖からか、あるいは痛みと出血のためか、フィアナはその場から動けなかった。
倒れ伏すオマルの前で剣の血を振り払った皇女は胡乱な瞳をフィアナへと向けた。
「殺すなら私を殺しなさいよ! その子は関係ないでしょ!?」
「ふ、ふふふ……あははははははは!」
醜悪な嗤い声と共に振り下ろされた凶刃――。その瞬間にフィアナはその名を呼んでいた。
「イメツム――――ッ!!」
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