参拾壱ノ段
イメツムとオルバスが戦っていた跳ね橋が崩落した時、フィアナとオマルは橋の先にある塔・ベルクフリートの螺旋階段を駆け上がっていた。
橋の崩落した衝撃による振動が壁越しに伝わってくる。不安に駆られ足を止めたフィアナだったが、窓もない石の壁に囲まれた階段からは外の様子を確認することなどできない。
(イメツム……大丈夫よね)
フィアナはイメツムの生死に不安を感じながらも、自分の胸の内に広がる幽暗とした感情はこの階段の先に待つ真実を知ることへの恐怖からくるものだということを理解していた。
「フィアナ、先に言っておくでつ。僕はこの先にいる人間を許さない。村の皆を、先生を殺した元凶がここにいるのなら、僕は躊躇うことなくそいつを殺すでつ」
「……オマル」
そして、二人は階段を昇りきった先にあった扉の前まで辿り着いた。ドレイクの守護神である〝炉のヘスティマ〟の絵が描かれた両開きの扉に触れたフィアナは息を飲んだ。
ゆっくりと開いた扉の先にはいくつもの柱が左右対称に並び、壁面には扉同様ヘスティマが描かれたフレスコ画が一面に広がっている。
「塔の上が聖堂? どうして」
ベルクフリートの最上階は通常、遠方を警戒するための見張り台や兵糧貯蔵庫になっている。それが見るも美しい内部の光景に二人は一瞬目を奪われた。
歩を進めると、その荘厳な様相を呈している礼拝堂の奥、祭壇の前にひざまずき祈りを捧げている人物が見えた。
「誰……?」
フィアナの消え入りそうな呟きが静けさに包まれた礼拝堂の中で響いた。その言葉に反応するように立ち上がった人物が二人の方へ振り返る。
「――久しぶりね」
「あ……あ、あなたは」
† † †
「おおおおおッ! らぁッ!!」
オルバスが雄叫びを上げながら振り下ろす斬撃を、イメツムは必死に避ける。降りしきる雨の中で繰り広げられるイメツムとオルバスの死闘。その力は一見、拮抗しているように見えた。
「どうした、こんなものかよォ!?」
光剣を回し円状の光輪を作ったオルバスはその中心に拳を穿った。そして弾かれて飛び出した無数の光の刃がイメツムに向かって飛来する。
「くっ!」
その刃を潜り抜けるように躱したイメツムだったが、それを読んでいたオルバスがイメツムの心臓めがけて剣を突き入れる。
「もらった!」
「まだだッ!」
イメツムはオルバスの光剣を脇に挟むようにして避け、組み合った勢いのまま頭突きを放った。オルバスもまたそれに応えるように頭を振りかぶり、鈍い衝撃音と共に二人の額がぶつかり合う。
「ぐっ!」
「ってぇな、この石頭が」
額から血を流し、たたらを踏んだ両者は間合いを広げて再び睨み合う。
「だったらこいつはどうだッ!」
オルバスは逆手に構えた剣を大地へと突き刺すと、刃で地面を掘りあげるようにして捲り上げた。
「
視界すべてを覆うほどの巨大な光の斬撃にイメツムは驚愕した。しかし彼はまたも、無意識の中で最速にして最善の行動をとっていた。
「うおらぁッ!!」
それはガドラフのフルキャリバーを切り裂いた赫焉での爪撃。真っ二つに裂かれた光はイメツムの両隣を駆け抜け城の外壁に直撃した。光の斬撃は外壁を削るどころか城の反対側まで突き抜けていき、それでも威力を失わずに遠く見えるいくつもの丘を崩壊させ、地平線の向こう側を照らしていた。
「な……なんという威力だ」
イメツムはその光景に体の芯から震えが走った。彼自身もすでに気づいている。力、技、速さ、そして経験において現時点でいえば全てオルバスの方が一枚も二枚も上手であることに。
イメツムにとって何より厄介だったのはフラガラッハだった。万物すべてを両断するその光剣のせいで、近接戦闘では回避以外の選択肢がない。忍術もすべて切り裂かれ攻め手を失っている状態だった。
(はぁ……はぁ、強い。これまで戦ってきた誰よりも)
距離が離れ安堵したのも束の間、オルバスの光剣が伸びイメツムの眼前へと急速に迫った。
「うっ!」
咄嗟に首を捻り躱した刃が口布をかすめ頬を裂いた。口元が露わになったイメツムの素顔を見たオルバスが苦笑する。
「驚いた……。本当にまだ子供なんだな」
イメツムは頬の傷口から流れる血を拭った己の手を見つめながら再び思考する。先ほど受けた不意打ちのことなどもはや頭の中にはなかった。仮にいまオルバスが攻撃を仕掛ければイメツムは確実に死んでいただろう。しかし、オルバスは隙だらけのイメツム相手に動けずにいた。
(こいつ、なんて目してやがる)
確かにオルバスから見れば隙だらけ、それどころか隙しかない状態だった。だが、イメツムの暗い瞳がオルバスを射殺すように見据えていた。
(忍の道を……見極める)
アーステアへ来てから一度は捨てたはずだった。この世界で忍としての生き方にこだわって何になるのかと――そうイメツムは考えていた。
それでも現在の自分を形作り、生かしてきたのは忍の道。
「お、おい……」
幽鬼のように歩いて近寄ってくるイメツムにオルバスがたじろいだ。それは完全にオルバスの間合い、死線の内側へと踏み込んできたイメツムのそれは自殺行為と同義だった。ここで斬らなければ今度はオルバス自身が、イメツムの間合いに入ることになる。
「馬鹿野郎がッ!」
振り下ろした光剣の刃がイメツムを斬り裂いたはずだった。しかしイメツムの姿はそこになく、依然オルバスの間合いの外にいた。
「俺が間合いを計り損ねた……だと?」
イメツムの脳裏には、忌まわしい過去の記憶がよみがえっていた。
天正七年。第一次伊賀の乱で敗北した織田軍はその二年後、大軍を率いて伊賀の里に再び攻め込んだ。織田軍が四万五千に対し伊賀衆は一万足らず、さらにその七割近くが非戦闘員であり、勝敗は火を見るより明らかだった。
一ヶ月近くに及ぶ戦い。序盤は夜襲などによって先手をとっていた伊賀だったが、織田軍の進撃を食い止めることができず徐々に後退を強いられた。形成を不利と見た一部の伊賀衆が離反する中、戦火は拡大し伊賀国のあらゆる場所で命が散っていった。しかし、イメツムはその戦いに参加していなかった。
この時、イメツムは母の仇を討つために師である幻波を暗殺しようとし、逆に囚われ幽閉されていた。その日から半月後、特殊な結界忍術によって洞窟の中に閉じ込められていたイメツムは、結界が消失したことを機に外へと出た。それが織田軍と伊賀衆の戦いの終わり、つまり幻波が死んだということを彼は後で知ることになる。
イメツムは幻波の足取りを追った。
そこで見た光景は今でも目に焼き付いている。
死屍累々――。
それは里の人間だけでなく、伊賀国にある村落、寺院の人間が無差別に殺された凄惨なものだった。伊賀で殺された人間の数は無関係な人々を含め三万にも達し、柏原城が開城した時点でようやく戦いが終わりを告げた。川には多くの死体が流れ、村や寺は容赦なく焼き払われ、惨たらしく首を晒された僧侶達の傍でカラスの群れが死肉をついばんでいた。
イメツムは故郷を守ることすら出来ず、多くの同胞を失い荒れ果てた大地に立ち尽くしていた。何の為に、誰の為に強さを求めたのか、あの時にもう分からなくなった。ただ己を鍛えることだけが、答えに辿り着く術だと漠然と考えるようになっていた。
「考え違いを……していたのだ」
「なに?」
この異世界の旅でフィアナたちと出逢い、そして友となった。幼い頃から修行に明け暮れずっと独りだったイメツムにとって、それは何よりも代えがたいものであり、守り通さなければならない絆となった。
――真の強さとは、己の未熟さを受け止め、それでも守りたい者の為に足掻ける者のことだ。
俯いていた顔を上げ、城の塔を見つめながらイメツムは小さく鼻を鳴らして微笑んだ。
「オルバス殿、今の拙がお主に敗北を喫することがあってはならないのだ」
「ほぉ、それは何故だ?」
「お主は求める強さの果てに孤独を望んでいる。それは、それこそが絶対強者の証だとしているからだ」
オルバスは乱世の象徴・織田信長という男に似ていた。
過ぎた力を求めた先にあるものをイメツムは知っている。捨ててきた想い、捨ててきた者に命を脅かされる男の末路だ。
「だから拙は……繋いだ絆を断ち切る暴力に、屈したりはしない!」
忍である前に、一人の人間として戦い生きる。忍の道は人の道。忍道と人道は表裏一体。忍とは元来、百姓や身分の低い地侍が自分の身や領土、同胞を守るために戦う術を身に着けた者たち。それが原点ならば、『護る力』こそが真髄だとイメツムは答えを得た。
「それこそ綺麗事だ。この世には捨てなければ得られん物がある!」
「それは違う。背負うことから逃げているだけだ」
二人はお互いに睨み合ったまま刃を構えた。
雨音が掻き消えたかのような張り詰めた静寂が二人を包み込む。僅かに覚えた苛立ち。しかしてそれはオルバスの燻っていた焔を猛らせた。
「……しち面倒くさい問答はもうヤメだ。次でケリつけようぜ」
「是非もなし」
(すべてにおいて今はオルバスの方が上。ならばどうする? 拙に活路はあるのか?)
『死中に活を見出すが天凪流の真髄。いずれお前にも乗り越えねばならぬ壁が必ず現れる……その時は奥拉の流れに全神経を傾けるがよい』
再び頭をよぎった師の言葉――。
「いざ尋常に――」
「勝負ッ!」
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