参拾ノ段

 長い通路を歩き続けると、やがて月明かりが差し込む外への出口へと辿り着いた。

 城の別棟、高く聳え立つ塔・ベルクフリートへと続く跳ね橋の先には一人の男が待ち構えていた。

「よぉ、遅かったじゃないか。待ちくたびれたぜ」

「あなたは……」

 橋の中央に立っていたその男は身の丈ほどもある大剣を肩にかけ、星屑の空の下で悠然とした姿を三人の前に晒しながら、手に持っていた酒瓶を投げ捨てた。

「我が名はオルバス・バレンスタイン。ドレイクの現国王なり」

「う……そ……」

 何の前触れもなく突如現れた一国の王を前にフィアナは唖然とした。

「どうした? 王が夜の散歩に出ているのがそんなに珍しいか? フィアナ姫よ」

「何であなたが此処に、ううん、そうじゃなくて……あなたが私たちをここへ導いたの?」

「さぁて、どうだろうな。そう言えなくもないが、真実を知りたければこの先へ進むがいい。姫の望む答えがそこにある」

 背後にある塔を親指で指しながらオルバスは不敵な笑みを浮かべた。

「私はドレイクと同盟を結びに来たのよ! あなたが――」

「その件と今の状況に関しては別問題だ。俺はそこの少年に用がある」

 大剣の切っ先をイメツムへと向けたオルバスがフィアナの言葉を遮り言った。

「拙にお主と戦えと? 戦わなければならない理由はなんだ」

「強いんだろう? 理由などそれだけで十分だ」

 いくつもの死線をくぐり抜けてきたイメツムは感じていた。目の前に立つ男が、これまで戦ってきた者たちとは比較にならないほど漲る闘気を身に纏っていることを。

「フィアナ、オマル、先に行け」

「――わかったわ」

 跳ね橋を吹き抜ける夜風に、金色の髪をなびかせながらフィアナは前へと足を踏み出した。

「フィアナ! なんでイメツムを止めないんでつか!」

「止めても無駄なことくらい、短い付き合いだけどもう解かるでしょ? ほら、あんたも早く来なさい」

「でも……」

「私たちはきっと邪魔になる」

 オルバスという男の強さをオマル、そしてフィアナも感じていた。イメツムとフィアナが戦った異端神問会のバランシュナイヴ、彼とはまた異質の強さ――。

 王、そして英雄の血を受け継ぐ絶対的なカリスマが他者へ与えるヌミノース。人の身でありながら神にすら届き得る聖騎士。それがオルバス・バレンスタインという男だった。故に彼が人の世界に渇きを覚えてしまうのも無理からぬことだったのかもしれない。

「イメツム……まだ約束は終わってないんだから、ちゃっちゃと倒して追いついてきなさいよ」

「応、委細承知ッ!」

 フィアナとオマルがオルバスの横を走り抜ける。その擦れ違いざま、オルバスはフィアナにだけ聞こえるよう呟いた。

「――強くなったな」

「え……?」

 立ち止まりオルバスの背中を見つめたフィアナだったが、彼が振り返り言葉を紡ぐことはなかった。

「フィアナ、行くでつよ!」

「え、えぇ」


 いつの間にか降りだした雨が木造の跳ね橋を黒く染めていく。あつらえた様に走った稲光が二人の男の間に亀裂を創った。

「さぁて、久々の喧嘩だ……名を訊いておこう」

「天凪流忍術第三代伝承者、イメツム…………推して参る!!」

「なかなか良い眼をしているな、イメツム」

 肌を打ちつける雨粒と風の音、そして雷鳴が轟く中で二人は睨み合っていた。それは時間にしてほんの数十秒ほど。

 オルバスは大剣を自分の足元へと突き立てた。

「イメツム、お前ッ! 腕が折れてるじゃねえか、馬鹿野郎!」

「あぁ……」

 イメツムは折れている右腕を悟られぬようにしていた。しかし、それすら一瞬で見破ったオルバスの眼力に心が冷えていくのを感じる。無論、それを表情に出すことはなかったが。

 オルバスは懐から透明な小瓶を取り出すと、それをイメツムに向かって放り投げた。

「これは?」

「霊薬メフティスって代物でな、騙されたと思って飲んでみな」

 イメツムは小瓶の中に入っている水色の液体をしばらく見つめ、蓋になっている尖った部分をパキっとへし折り中身を飲み干した。

「苦いな……――――ッ!?」

 霊薬が喉を通り、胃の中へと収まった直後だった。折れた右腕の痛みと腫れは瞬く間に消えていき、砕かれた骨までも完璧に繋がった状態に戻っていた。

「……負けた時の言い訳は聞かぬぞ」

「万全のお前とやって勝つ! そうでなけりゃ意味がないからな」

 どこまでも真っ直ぐな王の眼差しは、ただ強者を求めて覇道を進む。それは忍であるイメツムとは真逆に位置する人間の眼だった。忍は弱者を利用し、強者の隙を突く。敵に己の存在すら感じさせずに屠ることを第一に考え、死神のように背後から命を刈り取る。

 イメツムは思っていた。

(殺した者の顔を思い出さなくなったのはいつからだろう)

「いくぞッ! 失望させるなよ……イメツム!!」

 突き立てた大剣を引き抜き、そのままイメツムに向かって駆け出したオルバス。二〇メートルほどの距離が瞬時に詰まり、両手持ちから振り下ろされる鉄塊の刃。

 イメツムはその大剣を小刀で受け流そうとした。その刹那、彼の脳裏には〇・五秒後の自分の姿が浮かんだ。

「くッ!」

 咄嗟に小刀の持ち手を替え、左腕の赫焉と小刀を交差させて完全防御へとまわる。

「うおらぁッ!!」

 巨大な岩石が圧し掛かってきたような斬撃に、イメツムの足場の橋木がみしみしと音を立てた。鍛え上げられたイメツムの身体も同様に悲鳴をあげる。

(ぐ、重い……ッ! だが受け流そうとしていれば両断されていた)

そのまま体重を乗せて肉薄してくるオルバスの瞳には嬉々とした焔が宿っている。

「すげぇ! 俺の本気の剣をまともに防いだ奴なんざ親父以来だ!」

 イメツムは受け止めた大剣を押しのけ、後方へ飛び退き距離をとった。そして、すぐさま印を組みはじめる。

 ――天凪流水遁術〝水影牢塵すいえいろうじん〟壱ノ段!〟

「破ッ!」

 イメツムの両手から視えざるオーラの膜が広がっていく。そしてその範囲内に降り注ぐ雨が、鋭い針状へと変化しオルバスへ襲い掛かった。それは正しく千本手裏剣の雨。

「しゃらくせぇ!」

 オルバスは身体を限界まで捻り大剣を横薙ぎに払う。刃風が旋風を巻きおこし水の針を吹き飛ばした。しかし次の瞬間にオルバスは自分の足元に違和感、そして上空からの殺気に意識が分断された。

「何だ!?」

 オルバスは殺気の迫る上空を見上げた瞬間、両足ががくりと沈み込んだ。足場を中心に広がる影の中に体が飲み込まれていく。

 ――弐ノ段!

「覚悟」

「ははッ! おもしれぇ!!」

 冷たい声音と共に上空から刃を振り下ろしたイメツムに対し、オルバスは自らの足元へ大剣を突きたて叫んだ。

「――爆ぜやがれッ! 原初にして終焉ネガシオン・グラスパーの聖杯!!」

 オルバスが突き立てた大剣が赤い光を放つと、両足を飲み込んでいた影の中から幾つもの光の柱が噴き出す。容量の限界を超えた力を注ぎ込まれた影は、膨れ上がった風船のように弾けて破裂した。

「まだまだぁ!! 第二リヴ・聖餐エウカリオン!!」

 さらに魔力を増大させ解き放たれた衝撃で、橋はオルバスの立っていた位置から崩壊し、瓦礫となって地面へと落下していった。

「やっべ……やりすぎた」

 イメツムはオルバスの放った衝撃波で体勢を崩したが、落下していく瓦礫を飛び移り地面へと着地した。

「うおおおおおおおおおおッ!」

 オルバスは足場が完全に崩れ、落下が始まる前に城の外壁まで跳ぶと、大剣を壁に突き刺して落下速度を抑えようと試みる。それでも彼の持つ大剣の切れ味が良すぎるのか、途中で止まらずにがりがりと外壁を削りながら地面へと激突した。そして、飛び散る瓦礫の破片と土煙。常人ならば確実に死んでいただろう。しかし土煙の中の人影は、すぐさま跳躍してイメツムの前に降り立った。

「悪いな、加減てやつが苦手でよ」

 落下した際の衝撃など意に介することなく、オルバスはケロリとした顔でおどけてみせた。

「ここは……」

「闘技場だな。ずいぶんと御誂え向きな場所じゃないか。親父の生きていた時代の悪習でな、ここで囚人たちを闘わせていたんだっけか」

 闘技場は城の中央、本来は中庭がある場所をくり抜くように造られ、周囲が石壁に囲まれた空間だった。

「オルバス殿、お主は何故そうまでして争いを望む」

「いいや……戦争に興味はない。国盗り合戦なんて閣僚のジジイたちに任せておけばいいんだ。イメツム……俺はな、お前みたいな奴に会いたくて仕方なかったんだよ」

「王たる者なら――」

「務めは果たしてきたッ! だがそれでは俺自身がなぜこの世に生まれてきたのか答えが出ない! 上辺だけ取り繕っても、どんな御託を並べたとしても、俺の生きる意味は王としてではなく、一人の武人としてしか見出すことが出来んのだ!」

 オルバスの言葉にイメツムは眉根を上げた。

「お主の無聊を慰めるだけの戦いなど御免だ」

「戦いの中でしか生を実感できないのはお前も同じだろう。死線をくぐるほど自分の魂の形ってもんが見えてくることに気づいたはずだ!」

「違う! 魂に形など有りはしない、死ねば人は冷たい骸になるだけだ!」

「だったら俺が魂の輝きってやつを……見せてやるよォ!!」

 直後、オルバスが握る大剣から目の眩むような閃光が放たれた。剣身がひび割れ、そこから漏れ出した赤い粒子がエネルギー状の刃を形成し迸っている。薄暗い闘技場の中で煌々と輝く光剣を左右に振ると、赤い揺らめきが軌跡を描いていた。

「――〝耀刃ようじんフラガラッハ〟、こいつが俺の剣の真の姿だ」

「これは……まさか、オーラ!?」

「オーラ? そうか、お前はそう呼んでいるのか。まさか俺以外にルーンとこの力を同時に扱える奴がいるなんてな」

 イメツムはオルバスの持つ剣から迸る光がオーラであることに気づいた。本来、術を発動させるために体内で作り出すオーラは目に視えないもの。しかしオーラを自在に扱えるイメツムには、それが確かにオーラが持つ特有の波動であることが解かった。

「このアーステアに生きている人間は、ルーンをまるで神からの賜り物のように神聖視している。ルーンにばかり拘り、すがり付いて自分の中に眠っている力に目を向けようとしない。だが俺は違う……人間の本質的な強さ、その可能性、その根源に辿り着いたのだ!」

 拳を握り締めてそう語るオルバスの言葉にイメツムの心は揺さぶられた。

「本質的な強さ……根源」

 イメツムはずっと考えていた。戦国最強を謳う天凪流忍術の真髄にある強さとは何か。師・幻波が幼い頃に聞かせてくれたことが脳裏をよぎる。

『忍の強さとは術の強力さや多彩さに非ず。忍の道を見極めるのだ――、さすれば真の強さというものが理解できようぞ』

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