弐拾玖ノ段

「……それはここから出てゆっくりと考え、探せばいい」

 イメツムはそう言うと、九字を切った。

 ガドラフは薄れかけていた意識がはっきりとしたものへと変わり気がつくと、イメツムと向かい合いながら立ち尽くしていた。

「――ッ!? これは……私は確かに、鎧を砕かれていたはず……」

「幻術だ。天凪流陰陽術〝五行装克〟は五行五官、つまり人間の持つ五つの感覚器官に影響を及ぼし幻影、幻聴、そして幻覚を体感させるものだ」

 鎧は一切の傷もなく、ガドラフ自身も多少の倦怠感はあるものの体に異常はなかった。

「再起不能というのは……?」

「術をかける相手によっては、そのまま精神が崩壊する者も少なからずいる。自らの過ちを受け入れることが出来ずに、永久に囚われてしまうこともあるからな」

「だが……どうやってここから脱出するつもりだ。不可能だ……」

 ガドラフの言葉に対し、イメツムは口端を上げて答えた。

「出口が無いのなら作ればいい。ここにはそれだけのルーンがあるからな」

「……何故だろうな。お前が言うと妙な説得力がある」

 両手を広げ小さな息を吐いたガドラフが首を振った。

「いやまだ安心はできん。ガドラフ、お主はこの場所でフェーデを使ったことはあるか?」

「無いな……そんなことをする意味も無い」

 イメツムは顎に手をあて少し考え込むと、人差し指を立てて説明を始めた。

「拙の推測ではフェーデという術は、この場所へ飛ばす一種の転送魔法なのだと思う」

「……? それは見たままだろう」

「そうだ。だがもしも、フェーデの転送が不可逆なものでなかったとすればどうだ」

「魔法のベクトルを反転させれば元の場所への道を開くことができると?」

「その『べくとる』は知らんが、まぁそんな感じだ」

 フェーデという魔法を使える騎士及び魔導士は少なくない。しかしこの魔法を深く理解している者はほとんどいないと言っていい。それはアーステアにおいてフェーデという魔法があくまで戦闘に使われる技としての認識でしかなく、必要な術式と魔力量、そして効果だけを把握できていれば何の支障も無いからだ。

「可能性として無いとは言えないが、魔法術式の反転など私はやったことがないぞ」

「そこは拙に任せろ。お主は普通にフェーデを使ってくれればいい」

 ガドラフはイメツムに言われた通り剣を構え魔法の詠唱を始めた。

『刻むは聖痕、穿つは魔弾、剣に宿りし夢幻神話の星天をもって我に仇なす虚空をその回廊へと誘え――』

 同時にガドラフの前でイメツムも片手で印を組み、術の発動を始める。

 ――天凪流陰陽術〝天地無妖てんちむよう〟!

『いくぞ……クロス・フェーデ転界ッ!』

 ガドラフの剣から放たれた光をイメツムは左腕の赫焉で受け止めた。

 イメツムは左腕の赫焉を介して魔法の術式を瞬時に解析する。以前、オマルが言っていたように、ルーンとオーラが本質的に同じ物なのだとすれば、忍術の発動イメージをそのままルーンに置き換え反転させれば、本来の働きとは逆の効果を発揮できると考えたのだ。無論それは常人に容易くできることではない。しかし幼い頃からオーラの扱い方を学んできたイメツムにとっては、然程むずかしい芸当ではなかった。

「陽道は陰道へ、陰道は陽道へと繋がる永劫回帰の矛盾螺旋。天地が無くば、虚空を拓きて覇道を征く。翻転滅絶ッ!」

 受け止めたフェーデの光条で円の軌跡を描く。すると、その先には新たな次元の扉が開かれていた。

「ふぅ、やってみるものだな。閉じきる前に行くぞ」

「あ、あぁ……まったく、大した奴だ」

 その後、光の道を走り抜けた二人はバイアステン砦の火蜥蜴の間へと辿り着いた。

 広がる光の中から飛び出し、火蜥蜴の間に戻ってきたイメツムは軽やかに石造りの床へと着地した。後から続くようにしてガドラフも帰還。

「まさか本当にフェーデの結界から二人共出られるとはな」

 ガドラフが感心しつつも呆れたような表情で言った。

「フィアナたちがおらんな……」

「ふん、見捨てられたのではないのか?」

 火蜥蜴の間は静まり返っており、フィアナとオマルの姿はどこにも見当たらなかった。

「二人は仲間を見捨てるようなことはせんよ」

 イメツムは部屋の中を歩き、フィアナたちの手掛かりを探していた。

「何者だッ!」

 いつの間にか入り口付近には男が一人立っていた。黒い鎧に身を包んだ騎士風の男は手を叩きながら歩いてくる。

「いやはや、まさかお二人でご帰還とは」

「ルゼリオ卿……」

 ガドラフがルゼリオと呼んだ騎士は飄々とした糸目の男で、およそ騎士には見えない軽薄そうな人物だった。冷たい床にかつかつと足音を響かせ近づいてくるルゼリオに対し、イメツムは手の平を向けて言った。

「寄るな」

「そんなに警戒しないでくださいよ。ほら、ボクは丸腰です」

 ルゼリオは手をぶらぶらと振り、その場で回って見せ武器を持っていないことをアピールしている。

「フィアナとオマルを何処へやった」

「皇女とお連れの子供でしたら、先ほどドレイク城へ案内いたしました。えっと……イメツム殿でしたっけ? 貴殿も行かれますか?」

「案内したのではなく連れ去ったのだろうが」

 ガドラフが少しイラついた様子で横から口を挟む。

「いえいえ、皇女も望まれていたことですし!」

 慌てた素振りを見せたルゼリオを横目にガドラフは舌打ちをした。

「とにかく、フィアナのところへ拙も連れていってくれ」

「いいのか? 高確率で罠だぞ」

「どの道いくしかないのなら早い方がいいだろう。このルゼリオという男……全面的に信用はできんが、信頼はするしかあるまい」

「うわぁ……さっきからボクの扱いひどくないですか、お二人とも」

 ルゼリオは頬を掻きながら苦笑いを浮かべる。そして、とぼとぼと部屋の奥へと歩いていき壁に掛けてある燭台に火を灯すと、その真下にある色が一つだけ異なる石造りの床を手でなぞった。すると魔法陣が青白い光を発しながら浮かび上がる。

「ささ、こちらがドレイク城への入り口でございますよ」

「かたじけない」

 イメツムが魔法陣の方へと歩き出すと同時に、ガドラフは背を向けて出口へと歩き出した。

「む、お主は行かぬのか?」

「私はラ・シルへ帰る。これ以上ここに用はない。別に構わぬだろう? ルゼリオ卿よ」

 問いかけられたルゼリオは少し考えた末に返答する。

「そうですね。ガドラフ殿は提示したバウル族掃討任務も終えましたし、引き留める理由はございません」

「だそうだ。後は好きにやってくれ」

「協調性の無いやつだの……フィアナに何か言うことはないのか?」

「ふん、偽者はどこまでいっても偽者に過ぎん。義理も忠義も最早ない」

 そう言い扉へ手をかけたガドラフは、少し間を空けて独り言のように呟いた。

「二つだけ忠告しておく。その先にある真実を知ればあいつは壊れるかもしれん。そして……お前は…………いや、これは無意味だな」

 最後に何かを言いかけたままガドラフは扉の奥へと消えた。その言葉の意味するところが何なのか、イメツムには分からなかった。ただ夜の静寂が何か不吉なことが起こる前兆のように思えてならなかった。

(フィアナ……)


                  † † †


 イメツムがルゼリオの用意した転移魔法陣に入る数分前――。

「フィアナ……! 起きるでつフィアナ!」

「ん……」

 オマルに体を揺さぶられ、まろどみから目覚めたフィアナは辺りを見渡した。

「ここは……どこ?」

「どっかのお城みたいでつ」

 三〇分前、フィアナとオマルはバイアステン砦でイメツムの帰りを待っていた。しかしルゼリオの操る傀儡に隙を突かれ眠らされた。油断していたとはいえ、あっさりと敵の手中に落ちてしまった自分が情けなく思え、フィアナは頭を抱える。

「またイメツムにお説教されそうね。まったく」

 二人がいた部屋は牢屋ではなく、一見普通の客間のようなところだった。窓の外からは街並みも一望できる。部屋の扉を確認したところ、一応鍵はかけられているものの、魔法などで障壁が張られているわけではない。無理やりこじ開けようと思えば、フィアナとオマルにも容易く破れるだろう。

 柔らかなベッドの上から降りたフィアナは自分の格好に気づく。

「な……なにこれ」

 フィアナの体を包んでいたのはルーンアーマーではなく、胸元の大きく開いた真紅のローブ・デコルテ。晩餐会や夜会などで使われるドレスに変わっていた。眠っている間に誰かに着替えさせられたようだ。

「もう何なのよ!」

 ルーンアーマーを纏うためにドレスを破ろうとした時だった。ドアをノックする音が聞こえ、二人はその方向に振り返る。すると、ドアの向こう側から女の声が聞こえた。若い女の声だ。

『皇女殿下、お目覚めになられましたでしょうか?』

 鍵を回す音と共に開かれたドアの先には一人のメイドが立っていた。

「あなたは……?」

「私は皇女の身の回りのお世話させていただきます、メリルと申します」

 慎ましくお辞儀をした女はそう名乗ると、無表情のままフィアナの足元から視線を上半身へと上げていく。

「この状況はなんなの!? 何処よここ!」

「ドレイク城でございます」

 愛想なく答えたメリルの言葉にフィアナ、そしてオマルは驚いた。

「ド、ドレイク……ここが?」

「正確にはドレイク第二王城シビュラ。本城から南東に位置する城でして、先代の王ガリュンオルド様が建てられた旧王宮になります。ちなみにこの部屋はかつて王妃がお使いに」

「あぁ! だからそうじゃなくて、なんで私がドレイクの城にいてこんな格好させられているのか状況の説明をお願い!」

 メリルは目を瞬かせる。

「さぁ……詳しいことは私も存じ上げません」

「ここが本当にドレイクなのだとしたら、私はドレイク王に会わなければ……彼に会えばこの状況も、私の周りで起きていたことも全てはっきりするはず」

「んー……僕はイメツムの方も気になるでつよ」

「お連れの方でしたらもうじき来られるかと思います。先ほどルゼリオ様からご連絡がありましたので」

 メリルが部屋の扉を開き、出るように促されたフィアナとオマルは警戒しながらも外へと足を運んだ。そしてメリルの後に続いて廊下を歩き、階段を昇っていく。

 星の明かりと灯篭だけが周囲を照らす薄暗い渡り廊下を進んだ先、バイアステン砦にあった火蜥蜴の間と同じような一室に入った二人は、床に描かれた魔法陣の前に立った。

「これは……転移魔法の術式」

 フィアナがそう呟いた瞬間、描かれた魔法陣からルーンの光が淡く輝きだした。

「ッ!?」

 やがて光の中から人影が浮かび上がる。

「イメツム!」

 片膝を突き、魔法陣から現れたイメツムはきょろきょろと周りを確認する。

「どうやら無事だったようだな二人とも」

「それはこっちの台詞でつよ! って何か前にも同じこと言った気がするでつ」

「あなた……その右腕」

 だらりと下がるイメツムの右腕を見たフィアナが口元を覆う。

「あぁ、これか。ガドラフとやりあった際に折れてしまってな」

「それで……ガドラフは?」

 イメツムは二人にガドラフとの戦いと、その後の経緯を端的に話すと、フィアナは胸を撫で下ろした。

「フェーデの結界から脱出するとか……もうデタラメすぎて言葉もないけど、とりあえず無事で良かったわ」

「死なぬ……そう約束したからな」

 イメツムがそう言いながら微笑みを浮かべた時、フィアナはその懐へ顔を埋めた。

「お、おい……フィアナ?」

「馬鹿――、心配させすぎなのよあなた。ほんとに……馬鹿なんだから」

「それはお互い様だと思うのだが、やれやれ」

 その様子を傍で見ていたオマルが頬を膨らませていた。

「むぅ……」

 咳払いをしたメリルに気づいたフィアナがハッとしたようにイメツムから離れる。

「皇女殿下、それとお連れのお二方。この先に進んでいただくように私は命じられておりますが、準備の方はよろしいでしょうか?」

「この先に何が?」

 一応確認をしたフィアナだったが、案の定メリルは首を左右に振った。

「行くしかないようね」

「是非もなし」

 三人が扉の奥へと進むのを見送り、メリルは深々と頭を下げて呟いた。

「いってらっしゃいませ」

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