弐拾捌ノ段

 イメツムはガドラフのクロス・フェーデによって結界の中に引きずり込まれ、気がつくと見知らぬ荒地に立っていた。

「ここが、結界内か……? 想像していたものと大分違うな」

 その場所は見渡す限り、草木一本ない一面灰色の大地だった。

 大小様々な円状のくぼみがそこらかしこにあり、空は漆黒に覆われている。そして遥か遠く、彼方に見える蒼い星。そう、クロス・フェーデとは月面へと空間転移する魔法なのである。

 しかしイメツムは当然のこと、フェーデを使う騎士や魔導士でさえこの場所について知っていることは少ない。解っているのはルーンが膨大にあるということのみ。

 結界は月面上に存在し、特殊な魔法術式で張られた障壁によって重力も酸素もアーステアのそれと同じものになっている。


「小僧、ここが貴様の墓となる地だ」

「ガドラフ……お主は何処で道を誤ったのだ?」

 イメツムの言葉にガドラフは目を眇めた。

「貴様は何を言っている。まるで意味が解らん」

「……そうか」

 イメツムは諦めたように息を小さく吐くと、口布を上げて小刀を構えた。

「やる気は……あるようだな。ならば私も全開でいかせてもらうぞ」

 ガドラフは肩幅くらいに足を開くと、剣を真上にかざした。

 イメツムは見たことのない構えと肌に突き刺さるような闘気に警戒心を高める。


『狂える賢者、九つの断罪、天衣真鎧てんいしんがいの輝きを……今ここに! 装星錬武ギア・エフェクト!!』

 ガドラフが呪文の詠唱を終えた瞬間、螺旋状に広がるルーンの光が彼の身体を包み込んだ。そしてその光が消えた後、ガドラフが先ほどまで身に纏っていた鎧がまったく別の物へと変化していた。

「これが……『ぎあ』か」

 頭部まで覆われた重厚なフルプレートアーマーはルーンの輝きを放ちながら、各関節部から蒸気を噴出している。そのいかめしい形貌はガドラフの端整な顔立ちからは想像もできないほど豪侠なものだった。

「さぁ……始めるぞ小僧。これが私の本当の力だ」

 新たな鎧によって全体的な重量が増したのか、踏みしめた大地がひび割れている。その足元を一瞬確認したイメツムは考えた。

「あの時の汚名を今ここで晴らす! ゆくぞ小僧ッ!」

 重戦車のように猛然とイメツムへと駆け出すガドラフ。それを迎え撃つ形でイメツムは逆手に構えた小刀越しに、フルヘルムの奥に燃えるガドラフの瞳を見据えた。

「ウオオオオッ!!」

 ガドラフの袈裟斬りが空を切り、刃風が砂埃を巻き上げる。

 黒い影がガドラフの周囲を縦横無尽に駆け抜け、その速度は徐々に増していった。

「ガドラフ、あの時と同じだ。お主の動きは止まって見える!」

「チッ! 相も変わらず害虫のように動き回る奴だなァ!」

 イメツムの動きを目で追おうとするガドラフだったが、小回りの利かない重装備ではそれが困難だった。影がガドラフの死角からすれ違い様に刃を切り抜く。小刀と鎧のカチ合う金属音が幾度となく響き続けた。しかし、イメツムの斬撃をいくら受けてもガドラフの鎧には傷一つとしてつくことはなかった。

(硬いな、ならば多少の深手は致し方あるまい。急所を外し、一撃で戦闘不能にする!)

 イメツムは途中であえて速度を落とし、ガドラフに自分の場所を視認させた。

「そこかぁ――ッ!」

 ガドラフの剣が再び空を切り、同時に背後から黒い影が忍びよる。

「終わりだ。天凪流雷遁術〝疾封塵雷〟!」

 小刀に纏わせた紫電の刃がガドラフの背中を貫く……はずだった。

しかし――。

「な……ッ!?」

 アジダハカの鋼皮すら容易く貫いた刃は、またもガドラフの鎧に一筋の傷すらつけることが出来ずに弾かれた。想定外の頑丈さに、狼狽したイメツムの腕をがしりと掴んだガドラフがほくそ笑む。

「ふっ……これでちょこまか出来まい。貴様の方が速度で優れていることぐらい解っている。なればこそ、速さを捨ててこの鎧を身に纏ったのだからな」

 次の瞬間、掴まれた腕を引き離そうとしたイメツムの腹部に鈍い衝撃が走った。

「ごほっ……」

 ガドラフの膝蹴りが深く突き刺さり、胃液が喉奥から溢れてくる。腕を掴まれたまま続けて二発目の膝蹴り。その後、耳を覆いたくなるような不快な音と共に右腕の骨がへし折られた。

「ぐがっ……ぐぉ……くそッ!」

「どうした? お得意のニンジュツとやらは使わないのか?」

 片腕が折られた状態ではイメツムは術を使えない。それを知ってか知らずか、ガドラフはそのままイメツムを岩場へと叩きつけるように放り投げた。

「がっは……ッ!」

「言っておくが、この鎧には魔法の類は一切通用しない。つまり貴様は私と生身で戦わなくてはならないのだ」

 ガドラフが身に纏っている鎧の名は〝ゼオラ・スキン〟という耐魔法用のマジックアーマーで、別名・冥王の鏡と呼ばれる防具である。

 イメツムの忍術はオーラ、そしてルーンというエネルギーを元に発動される技である以上、魔法と同じ扱いになる。よって先の雷遁すらゼオラ・スキンによって打ち消され刃を弾かれた。

「このフェーデの結界内に入った時点で貴様に勝ち目はない」

「はぁ……はぁ、くっ」

 イメツムは岩の破片をどけよろよろと立ち上がり、口から垂れた血を拭った。

「さぁ、どうする? 小僧」

(赫焉を使うか? いや……あの力はまだ御しきれておらん。器用に外装だけ切り裂くことなど無理だ)

 乾いた大地に足跡を残しながら、悠々と近づいてくるガドラフに対し、イメツムは意を決したように小刀を鞘へ納めて姿勢を低く構えた。

「諦めた……わけではなさそうだな」

「ガドラフ、拙がこれから使う術でお主は最悪、再起不能になるやもしれん。覚悟はいいか?」

「くはは……何を今更、この戦いに生き残れるのは一人だけだと知っているだろう。まだ俺の命を奪うことを躊躇しているのか? 虫唾が走るんだよォ! この偽善者が!!」

 フルヘルム越しにくぐもった怒声を上げたガドラフが剣をなぎ払い衝撃波を放つ。

「ガドラフ……どこまでも阿呆だなお主は!」

 左腕の赫焉で衝撃波を弾き逸らすと、イメツムは口布を下げて鋭い眼光をガドラフへ向ける。そして、目を伏せて片手でゆっくりと印を組んだ。

 ――天凪流陰陽術奥義、憑神の段〝五行装克ごぎょうそうこく〟!!

 イメツムの身体から迸る光が周囲に広がっていく。やがて光が収束し、その姿があらわになった。その姿にガドラフが思わず声を漏らす。

「な……んだ……その姿は」

 白髪だった頭部は炎にように燃え盛り、身体全体はバチバチと音を立てて紫電を纏っている。瞳を赤く爛々と輝かせたイメツムは、さながら鬼神のごとき形相で闘気を放っていた。

「この状態になれば上手く手加減はできん。頼むから死んでくれるなよ……ガドラフ!」

「ハッ、嘘仮おどしのつもりか、やれるものならやってみろォ!」

 ガドラフは剣を振り上げイメツムの身体を真っ二つに裂いた。しかし、手応えはない。陽炎のように揺らめいて消えたイメツムの姿に慌てた様子で辺りを見回した。

「まやかしを――――ッ!? なんだというのだコイツは!」

「滅」

 目の前から消えたはずのイメツムが再びその像を形作った。そのままガドラフの腹めがけて繰り出された左拳が唸りを上げる。

「だから通じんと言っ――ぐぼッ!! なぜ……」

 あるはずの無い痛みの元を確認したガドラフは、ゼオラ・スキンが砕け、めり込む拳に驚愕した。魔法は通用しない、かと言って生身の拳で鎧を砕くことなど考えられない。

「そのガントレットの力なのか!?」

「乱ッ!」

 ガドラフの問いを無視し、イメツムは続けざまに拳を繰り出した。まるで煉瓦でも砕くかのように次々の鎧の各部位が破壊されていく。何が起きているのか理解出来ないまま追い詰められていくガドラフはひどく混乱した。

「ふ……ふざっ! 一体なんなのだお前はァ!!」

 咆哮を上げながらがむしゃらに剣を振るう。そのすべては目の前にいるはずのイメツムを素通りし、空を切った。その後も、躱されては殴打を浴び続ける。

「この私が……貴様などにッ! 貴様のような卑賤な輩に負けるはずがない! そんなことあってはならぬのだ!」

「絶」

 脇腹を抉る拳にガドラフの身体がくの字に折れ曲がる。その直後、左足を軸にして放たれた回し蹴りがガドラフの頭部に直撃しヘルムを半壊させた。

 後ずさったガドラフは怒りと苦悶の表情を浮かべながら膝を突いた。

「負けを認めろ」

「……私は負けられない。貴様にだけは……負けられぬ」

 イメツムを睨み付け、歯を食いしばりながらガドラフは再び立ち上がった。そして、今はもう力を失った腕で剣を振るった。

「なぜそうまでして拙を憎む?」

「うるさい……、その目が気に食わんのだ!!」

 剣が虚しく空を切ることが解っていながら、ガドラフはそれでも攻撃の手を緩めなかった。

 イメツムはその姿がとても哀れだと感じると同時に、答えの無い泥沼の中であがく自分と重なって見え、心が奮えるのを感じていた。


 ガドラフの父・マクベスが敷いた徴兵制によって高まった国民の怒りは、その責任者であるマクベスへと向けられた。そして事件は起きた。

 ラビドリー家に暴徒が押し込み、ガドラフの母、そして妹を人質にとり立て籠もった。犯人側の要求は身代金、そしてマクベスの自害だった。

 ガドラフはその当時、軍の分隊長として遠征に出ており皇国にはいなかった。実行犯たちはすべて徴兵制によって家族を失った者たちばかりで、貧民街出身の貧しい家の者たちだった。

 彼らの要求に対し、マクベスは人質だった妻と娘の命を顧みずに屋敷内へと侵入した。その判断は今にしてみれば正しい事だとガドラフには解かる。テロに屈することは許されないのだと。しかし、心で解ってはいても怒りと悲しみのおろしどころはなかった。

『父上ッ! 何故、奴らを生かして捕えたのですか!? あいつらは母上を……アメリアの命を奪った悪党なんだぞ!』

『……皇妃の命令だ』

『なっ……なぜそこで皇妃がでしゃばってくるのですか!?』

『口が過ぎるぞ、ガドラフ』

 当時、ラ・シルの皇妃であるメイリオ・ファラリアスは国の荒れ様を酷く憂いていた。誰も彼もが争い、憎み、陥れようとして傷つけ合う。その原因の根本が自分たち皇族であることも理解していた。だからこそ、民の上に立つ人間として民の命を奪うことを禁じ死刑制を廃した。それは騎士団や衛兵にも徹底され、重い罪を犯した者は二〇年以上の牢獄生活や国外追放といった処置がとられていた。

 その後、ガドラフは国外へ追放される実行犯の一団を見た。まだ年端もいかない子供も中にいた。それが彼にはとてもおぞましかった。

『あんな子供が……妹を殺したのか……?』

 その少年はガドラフに昏い瞳を向けると、しばらく立ち止まったままずっとこちらを見ていた。ただ見続けながら、やがて興味を失ったように再び歩き出した。

 その少年は何を思い、何を憎み自分の家族を手にかけたのか、ガドラフはずっと考えていた。ただ一つわかっていることは、こんな仕打ちを受ける為に戦っているのではないこと。その思いだけが胸の中で渦巻いていた。


「お前たち下民はいつもそうだ! 自分たちの努力が足りないことを言い訳に国への奉仕もせずに要求ばかりする! 受け入れられなければ暴れ、同胞の命すら奪い、挙句の果てに母と妹の命を奪ったのだ! 私がどんな思いで戦ってきたのかも知らずに! 国の為だッ! ひいては奴らの為でもあったのだぞッ!」

「自分の戦う理由を他人に求めるのか? それで上手くいかなければそいつのせいにするのか? それではお主も同じではないか!」

 イメツムの言葉でガドラフはさらに激昂した。

「ならば母と妹の命の代償はなんだ! 償わせられずに終わった私の怒りはどうなる!?」

「それで皇妃の子であるフィアナへ怒りの矛先を向けていたのか? さらにフィアナが偽の皇女だと知った途端、お前の言う下民として見下したのか!」

「そうだ! 所詮は爵位も持たぬ貧民街の薄汚れた娘だ!」

「拙から言わせれば、お主のような考え方をする人間がいるからこそ、争いはなくならぬのだ。身分の違いで善悪を判ずることなどまこと愚かの極み!」

 全体重を乗せた鉄拳がガドラフの頬へと直撃し、その巨体を吹き飛ばした。


「な……なぜだ。どうしてゼオラ・スキンが砕けるのだ」

 黒い空を見上げながらガドラフは呟いた。

「ガドラフ……お主は間違っている。しかし、全てではない。お主の気持ちもわかるのだ」

「ぐっ……! 貴様に私の何が」

「お主の戦う理由がどんな形であれ、自国の平和を願っているからだ。そしてそれが自分の近しい者たちを守ることに繋がるからこそ、その剣を手に取ったのだろう。それは武士の鑑だ」

 イメツムは自らの胸に手をあて言葉を続けた。

「そういう意味では拙とお主は同じだ。ただ、取り返しのつかない過ちをしてしまった拙とは違い、お主はまだやり直せる」

 そう語るイメツムは、自らの母を手にかけ血に染まった己の姿が脳裏に甦った。

「……人間がそんな簡単に変われるものか」

 仰向けのまま鼻を鳴らし、悪態をついたガドラフは目を閉じた。

「さぁ、殺せ……そうしなければどの道ここからは出られんのだからな」

ガドラフにはもう戦う意思も力も残されていなかった。しかし、なぜか心は晴れていた。独りで抱えていたものを吐き出したせいだろうか。いや、ガドラフ本人も本当は最初からわかっていたのだ。復讐に復讐を重ねることの無意味さも、自らの力が足りないことを他人のせいにして生きていたことも。ただ身分の違いという空虚なものを憎むことで己を支えていたにすぎないのだ。イメツムを目の敵にしていたのも、母と妹を殺した一団にいた少年に似ていたという他愛のない理由だった。

「母上、アメリア……私はどこで間違ったのだろうな」

 おもむろに溢れてきた涙が虚空を見つめるガドラフの視界を滲ませていた。

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