弐拾漆ノ段
日は完全に落ち、星の光だけが辺りを淡く照らしている。ガドラフたちが草原から去ってから一時間が経っていた。
「駄目よ……ガドラフのところへ行っては駄目」
フィアナはイメツムの前に立ち両腕を広げて彼を止めていた。
「何故だ」
「行く意味がないからよ。バイアステン砦を通らなくてもドレイクへは迂回して行けるし、わざわざ危険を冒す必要がないわ」
「しかし拙は果し合いを申し込まれた。逃げるわけにはいかぬ」
「どうして!? あなたとガドラフは何の関係もないじゃない!」
フィアナの言葉にイメツムは腕を組み答えた。
「あやつは……ガドラフという男は間違っている」
「どういうことでつか?」
イメツムの言葉の意味を理解できず、オマルが難しい顔をしながら尋ねた。
「口では上手く説明できん」
「何よそれ、意味がわからない! あなたは私をドレイクに着くまで護衛する約束でしょ!?」
確かにフィアナの言う通りだった。旅の目的であるフィアナを無事にドレイクへと送りとどけるという約束は守らなければならない。イメツムもそれは解っていた。しかし――。
「……約束は守る。だが、この決闘……逃げるわけにはいかぬのだ。頼む」
フィアナの顔を正面から見据えてイメツムは言った。
「な……何でそこまでして」
真剣な眼差しを向けられたフィアナが広げていた手を下げ閉口する。そんな彼女にオマルがおずおずと声をかけた。
「フィアナの言うこともわかるけど、あのガドラフって騎士にはフィアナも色々と聞きたいことあるんじゃないでつか? それにイメツムがあんなのに負けるとは僕は思えないでつ」
オマルはこれまでのイメツムの戦いぶりを見てきて思った。一対一の勝負において彼が負ける姿が想像できない。それはフィアナも同じだった。
「それは……そうだけど。でもわざわざ危険を」
「それは逃げてるだけじゃないんでつか? 知りたい真実から目を背けてなんになるんでつか」
オマルに自分の心を見透かされたフィアナだったが、言い返す言葉は見つからなかった。
「ガドラフを倒して砦を抜ける。それでは駄目か? フィアナよ」
「――じゃあ、もういっこ約束して」
「む?」
「絶対、死なないで――――」
自分の影を見るように下を向いたフィアナは消え入りそうな声で呟いた。
バイアステン砦はドレイク王国領にある砦の一つである。しかし、現在では新しく構築された魔力障壁を有する複数の砦が国を囲む形で配置されているために使われていない。
砦の前まで来たイメツムたちは、人気の無い正門から堂々と侵入しようとしていた。
そんな大胆な行動をするイメツムに対し、オマルがきょろきょろと辺りを見回しながら尋ねる。しかし、その声音は緊張感などまるでないものだった。
「こんな正面から乗り込んで大丈夫なんでつか?」
「それは心配なかろう。ガドラフは誇り……というか自尊心の強い男だからな。自分で拙を殺すと言った以上、小細工はしてこんだろう」
砦内に入り、何もない石造りの回廊を歩く三人。その中で、フィアナだけが緊張した面持ちで周囲を警戒しながら先頭を歩く。そんな彼女にイメツムは溜め息混じりで声をかけた。
「お主がそんなガチガチになってどうするのだ」
「う、うるさいわね。油断してる時が一番危ないんだから、こういう要塞砦は侵入者を阻む罠が……」
説教くさいイメツムの態度に反論し彼を睨みつけた時だった。
フィアナの足元でガコッと音を立てて石畳の一マスが床に沈む。
「おい……」
「え? 今の何の音でつか?」
オマルが不思議そうに床を眺めていると、回廊の後方から地鳴りの様な音が聴こえてきた。
「……何かゴゴゴゴって聴こえるんですけど」
「確かに聴こえるな」
「あと、少し揺れてまつね」
その音は次第に大きくなり、揺れは激しさを増していった。顔を見合わせた三人が音のする方をゆっくりと確認すると――。
「岩の塊とか……古典的だのう」
イメツムが迫り来る岩石に表情を曇らせた。
「イ……イメツム! あなたのせいだからね! あなたが余計な事いうから」
「罠踏んだのはフィアナじゃないでつか。人の所為はよくないでつ」
「とにかく走るぞ二人共」
イメツムの合図で三人は走り出した。
「くっ! 鎧が重い……ッ! リゼッタ!」
フィアナが鎧の解除魔法を口にすると、ルーンアーマーが燐光を放ち消失した。
どこまで続くかもわからない長い回廊の壁をガリガリと削りながら転がってくる岩石は、速度が落ちるどころか徐々に速くなっていた。
「妙だな。上に向かっているはずなのに、なぜ岩の速度が上がるのだ」
「はぁはぁ、魔法で運動制御してるのかも……しれないわね。はぁ」
「魔法か……ふむ」
余裕のイメツムとは違い、息を荒げて必死に走るフィアナの前にはオマルがいた。
オマルもフィアナ同様必死に走ってはいたが、あることに気がついた時にそれは起こった。
「ぶっ! ぶはは!! ちょ、それやめて! お腹痛いでつ――ぶははははは!!」
「ぜぇはぁ、ぜぇぜぇ……なに? 何がそんなにおかしいのよ」
「ぶはははははははははは――ッ!!」
走りながら笑いながら涙を流しながらオマルはフィアナを指差した。
「おっぱい揺れすぎ! ばるんばるんて! ぶっははははははははは!!」
「あ……あんたねぇ」
顔を紅潮させ拳を握るフィアナだったが、そんな彼女の怒りなどそっちのけでオマルは爆笑していた。どうやら変なツボに入ってしまったようだ。
「……はぁ、仕方ない」
イメツムは二人の様子に再び溜め息を吐くと、急停止をして岩の塊の前に立ちはだかった。
――天凪流抜刀術…………〝
鞘から抜き放った白刃が薄暗い回廊に真一文字の煌めきを疾らせる。その後、短い息を吐き鞘へと刀をゆっくりと納めると、丸い岩石はピタリとその回転を止めた。
「斬れて……ない?」
フィアナが唖然としながら岩肌に触れると、その岩石は緩やかに逆の方向へと転がりだした。
「斬ったのは魔力、というかルーンの流れだな」
「なるほど……ってそんなこと出来るならもっと早くやりなさいよ! あとそこ! いつまで笑ってんの!!」
「ぶはははははっ! ひぃひぃ……ふぅ、お腹痛いでつ」
オマルは走り切った疲労と、笑い切った疲労からか四つん這いになりぷるぷると震えていた。
当然、その後すぐにフィアナの拳骨がオマルの頭にコブを作ったわけだが。
バイアステン砦最上階、火蜥蜴の間にガドラフ・ラグ・ラビドリーはいた。
腕を組み、目を伏せ、やがて来るであろうイメツムたちを待つ。
「私は……あの小僧に勝つ。そして――」
ラビドリー家は代々皇室に仕える騎士、蒼天騎士団に所属する由緒ある家柄だった。
今から一〇年前――、ガドラフが一八歳の時のこと。
ラ・シル国内は飢饉と疫病によって荒れていた。そしてその隙を突きラ・シルの領地を侵略してきた隣国のオンディーヌによって、国内の兵士は戦争へ駆り出され、その兵糧や物資は増税という形で国民にのしかかった。
国民の怒りは皇室へと向き、国内の至る所で示威行為や暴動を引き起こした。それら国内の問題の処理に蒼天騎士団が宛てがわれた。
当時の団長だったガドラフの父・マクベスはその問題に際し、怒りの矛先をオンディーヌへと向けるために強制徴兵制を敷いた。しかし裏では富裕層が賄賂を払うことで徴兵を免除されており、国民の反感はさらに高まってしまった。
それから半年後、ガドラフにとって己の生き方を決定付ける出来事が起こる。
「来たか」
錆びついた鉄の扉が耳障りな音を響かせて開き、火蜥蜴の間にイメツムたち三人が現れた。
ガドラフは小階段の上から彼ら三人を見下ろす。
火蜥蜴の間は入り口から扇状に広がる空間で、奥には砦の将が座する椅子が設けられているが当然いまは空席となっている。
「待たせたな。来る途中に少々ゴタついた」
「ふん、余計な奴らまでついてきているようだが」
ガドラフはフィアナとオマルに目を向けると、不満そうに鼻を鳴らした。
「決闘に手は出させない。しかし、その前にお主に言っておきたいことがある」
そう言うとイメツムは一歩前に足を踏み出した。
「なんだ?」
「拙は全力で戦いには臨む。だが、命まで奪いたくはない。フィアナもお主に聞きたいことがあるようだしな」
その言葉を聞いたガドラフは耳を疑った。言葉の真意を自らの心に問いかけたが、次第に胸の内から湧き上がってくる怒りに身体が震えだした。
「フザケるなぁ!! この私を愚弄する気かッ!? 敵の命を気にかけて全力を出すことなどできるか! それで私が殺さぬよう手を抜くとでも思っているのか!」
抜いた剣をイメツムへ突きつけながらガドラフは鬼の様な形相でがなりたてた。
「全力で殺さずに戦う……確かに難解ではあるが曲げるつもりはない。お主は好きなように戦えばいい」
ガドラフの言い分はもっともだとイメツムは理解していた。それでも、命を奪うだけの戦いをするつもりはなかった。そんなことでは目の前の男の過ち、考え違いを正せはしない。イメツムはそう感じていた。
「ふぅ……ふぅ、大体はじめから貴様は気に食わなかったのだ。いいだろう、貴様にその気がなくとも私には関係ない」
どこか虚ろな声音でそう告げたガドラフは、剣の切っ先をゆらりと変えた。
「クロス・フェーデ…………転界」
「なッ!?」
瞬間、ガドラフの剣が二又に展開し青白い光の粒子が放射された。
その光線はフィアナへと向かっていく。
「くっ、フィアナ!」
すかさず手を伸ばし、フィアナを押し退けたイメツムだったが、クロス・フェーデの光は彼の背中へと直撃し閃光が迸った。
「そうするだろうと思ったぞ! 小僧ォ!!」
「イ、イメツムッ!!」
室内に目も眩むような激しい光が広がり、窓から漏れた光が夜の闇を穿ちぬいていた。
そして、光が収まったあと、火蜥蜴の間にはフィアナとオマルの二人だけが取り残され、ガドラフとイメツムの姿はどこにもなかった。
「嘘……」
膝を突き、イメツムの消えた場所を呆然と見つめながらフィアナは呟いた。
「イメツムはどうなったんでつか?」
「フェーデの……結界内に閉じ込められた。くっ、私は馬鹿だ。ガドラフがフェーデを使ってくることぐらい予想できたのに!」
フィアナは拳を床に叩きつけ悔しさを噛みしめる。
「大丈夫でつよ。イメツムなら……イメツムが負けるはずないでつ」
「そうじゃないのよ。結界は二人の内、どちらかが死なないと解放されない……イメツムが勝つってことはガドラフは……それに結界内での戦闘はギアもあるし、イメツムでも一筋縄ではいかないかもしれない。私は……もうあいつに誰も殺してほしくない」
イメツムの過去を知ってからフィアナはずっと思っていた。誰かの命を奪うたびに彼の心はきっと少しずつ壊れていってしまうと、そう感じていた。
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