弐拾陸ノ段

「フィアナ! イメツム!」

 湿原を抜けた先にある湖の畔で、コルンと共にフィアナたちを待っていたオマルが二人に駆け寄る。

「オマル、無事だったのね」

「それはこっちのセリフでつよ! まったく心配させて……精霊石の代金払ってもらいまつからね」

 オマルはそう言いながら腕を組みフィアナの前で口を尖らせていた。

「遅れてスマンな。中々に厄介な連中だった」

 フィアナの後を少し遅れて付いてきたイメツムが目を伏せる。

「そのガントレット……普通の魔導具じゃないわよね。オマルの説明だと装着者が魔力転換をし易くなるって話だったけど、ひょっとしてヤバイ代物なんじゃないのかしら?」

「うっ……」

 オマルは明らかに動揺した様子で一歩後ずさった。

「んー? やっぱり何か隠してるわね」

「別に隠してた……わけじゃないでつ」

 人差し指を突き合わせて目を泳がせているオマルが、渋々といった風に口を開いた。

「むぅ、その篭手は……リギウス先生に僕が無理言って貰ったものなんでつ」

「無理言って貰った? 一体何なの?」

「――賢者の月(トライムーン)の欠片で造られた魔導具でつ」

 賢者の月とは、アーステアの空に浮かぶ三つの月のことを指す。

 古い伝承によれば、ルーンがこの世界にもたらされた原因が賢者の月にあるとされている。

 月の欠片には膨大な量のルーンが秘められており、かつて古代アーステア人は月へ行き来できる舟を使いそれらを回収し持ち帰ったという伝説がある。

「そ……そんな神話級の物を……有り得ない。リギウスさんてまさか古代アーステア人の末裔なんじゃ?」

「僕もそこまでは知らないでつ。それに赫焉のことは詳しくは聞いてなくて、ただ……先生は言ってまつた。『この力は必要とし、される者に渡っていく』って」

 イメツムは赫焉を見つめながら呟く。

「必要とし、される者……か」

「それにしたって……あんなの人間業を超えてるわよ」

 フィアナは先のイメツムの変貌ぶりを思い出し、体の震えを感じる。それは次元を切り裂き異空間にいたレプラクォーンを屠ったあの力でさえ、まだその片鱗に過ぎないことを直感的に理解していたからだった。

「まぁ、よいではないか。別にいまさらオマルを責めても栓無きことだ」

「イメツム、あなたさっきのこと憶えてるの?」

「朧げだがな」


 湖畔で小休止をとり、湿原での疲れを癒した三人はドレイク王国を目指して歩き出した。

「そういえば、フィアナたちは何でドレイクへ行くんでつか?」

 オマルが歩きながらフィアナへと尋ねる。

「え……? あなた知らなかったんだっけ」

「知らないでつよ」

 今さら隠すことでもないので、フィアナは旅の経緯を話した。

「えええッ!? フィ……フィアナ、お姫様だったんでつか……全然見えないでつ」

「失礼ね! いや……間違ってはいないけど」

 ドレイクへ行く理由については話したが、自分が本物の皇女ではないことはオマルに言わなかった。別に彼女を信頼していないからということではないが、自分の過去を話して変に気を遣われることがフィアナは嫌だった。

「そうか? 拙は綺麗だと思うが。まさに一国の姫君にふさわしい美しさだ」

「なッ……ななな」

 イメツムの言葉を聞いたフィアナが耳まで真っ赤にしながら言葉を詰まらせる。

「どうした?」

「そそそそういう恥ずかしい台詞を真顔で言うんじゃないわよ! 馬鹿ッ! ていうか服を着ろ! 裸族かアンタは!」

「お主が湿原で拙を泥沼に叩き落した所為だろう……」

 イメツムはフィアナがなぜ怒っているのか理解できずに小首を傾げた。


                † † †


 そこからの道中は特に危険な地帯もなく、しばらくは平穏無事なものだった。そして、日が傾きかけた黄昏時、三人はベルリ丘陵と呼ばれる場所にいた。

「なんだ?」

 イメツムが丘の上に立ち見下ろした先の草原には米粒のような人の群れがあった。

 遅れてついてきていたフィアナとオマルもそれを目撃する。

「ん……」

 遠くに見えるそれを目を細め見たフィアナが驚きの声をあげた。

「あれは……確かバロウ族!」

「バロウ族? なんだそれは」

 丘を登ってきたオマルが汗を拭い、一息入れるとバロウ族について語りだした。

「バロウ族はアーステアに存在する四つの国家のどこにも属さない人間種族の一つでつ。僕たち機巧魔士は商売の関係上そうしていまつが、あいつらはもっと別の理由でつ」

 眉間にシワを集め、苦々しい表情をしたオマルが親指の爪を噛んだ。

「別の理由とは?」

 オマルに問いかけたイメツムの横でフィアナの顔も険しくなった。そして、フィアナがオマルの代わりに答えた。

「――人間を…………喰う蛮族なのよ」

 バロウ族はアーステアの歴史上もっとも野蛮な部族として悪名を残してきている。野盗のように旅人を集団で襲い、女子供であろうが容赦なく殺し陵辱し喰らう。およそ人間性の欠片も持ち合わせてはいない彼らだったが、時代が進むにつれ国家によって纏め上げられた武力、騎士団の力に対抗できずに住まう場所を追われていた。

 そして、それは今この瞬間も――――。

 北側にはおよそ三〇人余りのバロウ族、そして南側には鎧に身を包んだ謎の騎士たちが一〇人いた。人数の上では圧倒的に有利な状況にも関わらず、怯え竦んでいるのはバロウ族の戦士たち側だった。吹き荒ぶ風で草原が波のように揺らめく。そこに一筋の光が騎士たちの頭上で煌き地面へと墜ちた。

「あっ!? あの光は……クロス・フェーデの」

 フィアナが丘から身を乗り出すようにして見た先には、ルーンの輝きの中から現れた一人の騎士が悠然とした姿で立っていた。

「ガドラフ!!」

 白銀の鎧に緋色のマントを羽織った男は、フィアナの護衛騎士団長のガドラフだった。

「生きていたようだな。しかし……様子がおかしいな」

 イメツムの言葉の直後、ガドラフは剣を天へとかざした。

「汚らわしいバロウの民か。所詮貴様らは旧時代の原始人に過ぎん!」

 光の中から現れたガドラフが、ゴミでも見るかのような見下した冷たい視線と言葉を吐き捨てる。

「ヴァアアアアアアアアアアアアアア!!」

 怯えていたバロウ族の戦士たちは己を奮い立たせるように雄叫びをあげた。そして、一斉にガドラフたち騎士団へ突撃をはじめる。

「駆逐してやる」

 西日を浴びて輝く剣の切っ先はよく見ると、紅く染まり血を滴らせていた。

『許されざる聖者、招かれざる隠者、創世神話を滅する天烈の波浪よ――』

 ガドラフが呪文の詠唱をはじめると、イメツムたちのいる丘からでも目に見えるほど濃密なルーンの粒子が渦巻きだした。

「もうフェーデによる条件が整ってる! この位置は、不味いッ!!」

 イメツムたちのいる丘からではガドラフの詠唱した呪文が聞こえたわけではなかった。しかし、フィアナはいまの状況下で放たれる魔法の恐ろしさを、震え始めた大気と同時に察した。

「イメツム! オマル! いますぐここから離れ――ッ!!」

『我に牙を向けし闇を払えッ! フェーデ・フルキャリバー界放!!』

 瞬間、横薙ぎに払われた剣から魔力の波濤が洪水のようにすべてを飲みこんでいく。その光景は最早、戦いと呼べるものではない圧倒的、一方的な蹂躙だった。

「ガアァ――ゴボッアアアアアアアアアア!!」

 蒼く輝く激流に飲み込まれたバロウ族の戦士たちの身体は、その波が持つ特殊な魔力震動によって粉微塵に分解され消滅していった。そして、その余波は津波のように広がり物凄い速さでイメツムたちのいる丘にまで迫ってきていた。

「間に合わない!」

 フィアナが叫び声をあげた刹那――。

「二人共下がっていろ!!」

イメツムは押し寄せる魔力の波の前に立ちはだかり身構える。

(あの時の感覚は体で覚えている!)

 オーラを体内で極限まで練り上げ、周囲にあるルーンを最大限取り込み赫焉に集中させる。

 イメツムは赤い輝きを放ちはじめた左腕を下からすくい上げ、地面を抉るように振りあげた。

「切り裂けぇ――――ッ!!」

 巻き上げられた衝撃波は、湿原でレプラクォーンたちを引き裂いた時よりも大きな空間の断裂を創り上げ魔力の波を真っ二つに割り一直線に飛んでいった。

「ハァ……ハァハァハッ……ハァ…………ふぅ、危なかった。何なのだ今のは」

「あれがフェーデ本来の使い方なのよ」

「以前に言っていたものか。だが今のは……」

 フェーデの真価、それは結界での強制戦闘後にあった。

 それは結界内での戦闘で勝利した報酬として、結界内部に充満していたルーンをすべて現実世界へと術者が持ち帰り、その魔力を一斉解放することができるというものである。

「クロス・フェーデが戦術級の魔法とするなら、フルキャリバーは戦略級の魔法なの。この魔法のせいで〝戦争は数〟という概念が崩れ去ってしまったわ」

「成る程な。確かにあんな魔法を前にすれば雑兵など戦場に出すだけ無意味だ。逆に『ふるきゃりばー』とやらを発動させる為の贄にしかならんか」

「ぼ、僕も話では聞いたことあったけど、初めて見たでつ」

 フェーデ・フルキャリバーが初めて実戦で使用されたのは六〇年前のことだった。

 水の神国オンディーヌの神将ヴォジャは、当時最強と呼び声の高かったドレイク王国の剛天騎士団一五〇〇人を一撃のもとに壊滅せしめたという記録が残っている。その戦いを皮切りに各国がフェーデの研究を進め、現在のフルキャリバーになったと云われている。

 そして魔力の塊が波となっているのは、水の神国で確立された魔力発動イメージが元になっているからだった。

「ガドラフ殿、任務はこれで終わりだ。戻るぞ」

「あぁ」

 ガドラフが仲間の騎士に促され、その場を立ち去ろうとした時だった。

 イメツムの放った空間の断裂が、騎士団の前方の大地を抉り傷痕を残していた。

「これは……」

 コルン背に乗り、イメツムたち三人がなだらかな崖を降りてくる。

「ガドラフ!」

「ッ!? あなたは……」

 ガドラフの前に立ったフィアナが疑心に満ちた視線を彼に向けた。

「ガドラフ、あなたここで何してるの? ダラスやミハエルたちはどこ? その騎士たちは誰?」

 糾弾するような問いかけを続けたフィアナに対し、ガドラフは眉ひとつ動かさず答えた。

「答える義務はない」

「な……何を」

 ガドラフはフィアナにはまったく興味を示さずに一瞥をくれると、横に控えていたイメツムへと視線を移した。

「生きていたのか小僧」

「お主こそ……主君をほったらかしにしておいてよく言う」

 剥き出しの敵意を向けられたイメツムは眉根を上げて答えた。ビリビリと肌に感じる一触即発の重い空気に、オマルがあわあわとしながらコルンの影に隠れている。

「主君か……ふん、そこの偽者に今や興味はないが、生きていたのなら消しておかねばなるまいな。皇国のために」

「――ッ!?」

 ガドラフの言葉にフィアナの顔が一瞬で青ざめた。

「何を言っている。お主、気は確かか?」

「シラを切ろうが勝手にしろ。貴様には借りもある。どのみち全員殺す」

 鞘から抜いた剣を構えたガドラフの肩を掴み、仲間らしき一人の騎士が彼を制止した。

「ガドラフ殿、勝手なことをされては困る。皇女にはあの方から手を出してはならないと言われているはずだろう」

「しかし!」

「勘違いするなよ。貴公は我ら騎士団にあの方の情けで、一時的に加わっているに過ぎないのだぞ。出過ぎた真似をすれば……わかっているな?」

「くっ……」

 脅迫に近い仲間の言葉にガドラフは俯き歯噛みする。

 フィアナはその様子に困惑した。ポンデ村で戦ったバランシュナイヴが誰かに自分をドレイクへ連れてくるように命じ動いていたこと、そして今度は謎の騎士団も自分を〝あの方〟と呼ばれる人間のもとへ導こうとしている。

(誰なの? あの方って……それに何でガドラフがこんな得体の知れない騎士団と)

その後、ガドラフを除いた騎士たちが踵を返し、その場から去ろうとした時だった。

 ガドラフを諭した騎士が振り返り、イメツムを一瞥し再びガドラフに声をかけた。

「皇女に手を出すことは許されないが、他の奴らをどうしようと我々は関与しない」

 その言葉を聞いたガドラフが驚喜の表情を浮かべ、去り行く騎士団の方へと向き直る。

「フッ……フハハハハハハ!」

 ガドラフはフィアナとイメツムに背を向けながら嗤った。そして振り返り剣の切っ先をイメツムへと向け言い放った。

「小僧! 私はこの先にあるバイアステン砦で待っている。逃げずに来ることだ」

「…………果し合いというわけか。是非もなし」

 イメツムの返事に対し冷笑を湛えたガドラフは、ドローミに乗り去っていった。

「待ちなさい! ガドラフ!! あなたは…………くっ」

 自分を中心に何かが動いている。にも関わらずフィアナ自身にはその自覚がない。彼女はそれが悔しくて仕方なかった。

 拳を握り締め、下唇を噛んで打ち震えるフィアナを遠目に、オマルはかける言葉が見つけられずにいた。落日が燃える茜空の下、取り残されたイメツムたち三人はそれぞれの想いを胸に立ち尽くしていた。

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