弐拾参ノ段
「イメツムどうしたの? ぼーっとして」
フィアナが訝しげに顔を覗き込んでいた。
「む……いや何でもない」
イメツムは陽菜の笑顔を思い出し、懐かしさと侘しさが綯い交ぜになった複雑な感情を瞳に宿して虚空を見つめていた。
髪も瞳の色も、肌の色も違っている。しかし、イメツムに見せた陽菜の笑顔と、リギウスや村の仲間のことを嬉しそうに話していたオマルの笑顔はとてもよく似ていた。
「なぁ、オマル」
「ん? なんでつか?」
「草笛吹けるか?」
「やったことないでつね」
その言葉を聞いたイメツムが目を伏せながら口の端を吊り上げた。
「ふっ、今度教えてやろう」
イメツムの含みのある微笑と言葉にオマルとフィアナは二人して首を傾げていた。
その後、三人が二時間ほど仮眠をとり起きた頃には朝日が昇り始めていた。
「それじゃあ、二人とも行くわよ!」
フィアナが眠気を覚まし、気を引き締めるように声を上げた。
「ちょっと待て、オマルは置いていくのではなかったのか?」
「意地の悪いやつ……な、仲間を置いていくわけないでしょバーカ」
「フィアナ……」
オマルはフィアナの言葉に少し呆けた表情のまま立ち尽くしていた。言葉の意味を咄嗟には理解できなかったのだろう。しかし、胸にじわじわと込み上げてくる熱いものを感じると次第に顔がほころびはじめた。
「しょ……しょうがないでつね! フィアナがそこまで言うなら一緒に行ってもいいでつよ。それにイメツムと二人きりにするとおっぱいで誘惑しそう――あでぇッ!」
フィアナの拳骨を頭に受けたオマルが涙目になっていた。
「調子に乗るんじゃないの」
その様子を見ていたイメツムが苦笑いを浮かべる。三人はそれぞれ違う人生を歩んできた。性別も立場も年齢も異なっており、イメツムにいたっては世界そのものが違う。それでも今はこうして仲間となり、共に行動している。イメツムにとっては奇妙な感覚だった。
「これが、友なのだな……」
「くっさ! もうそういうの恥ずかしいからやめてよね」
「あっはははは! イメツムは魔物の肉といい臭い物好きでつね」
「拙の国には納豆という豆を発酵させた食べ物があってな、あれは美味いぞ」
真顔で言葉を返したイメツムに二人の少女は顔を見合わせ呆れていた。
「まぁ、そういうキャラよね」
「でつね」
物置小屋を出た三人は近くにいたコルンのところへ集まると、今後の目的と道のりについての相談を始めた。
「ドレイクまではあとどれくらいなのだ?」
「足止めを食わなければ四日ぐらいかしら」
「この先に何かあるのか?」
イメツムはオウギュストの山脈、そしてアジダハカの森を抜けたことであとはドレイクへ直行できるものだと思っていた。以前、フィアナが彼に見せた地図にも、森を抜けたあとは特に障害となるようなものは描かれていなかった。
「ここから南へ二〇キロぐらい行ったところにある、ゲヘナ湿原を通らなければならないの」
ゲヘナ湿原には不可視の妖精・レプラクォーンが存在し、旅人に様々な問いかけをすると言われている。
「湿原にいる妖精が意地の悪い性格をしてるんでつよ。人のトラウマをほじくり返すような問いかけをしてくるから、別名『問いかけ湿原』て言われてるんでつ」
「妖精? あぁ、座敷童子のようなものか」
「言っておくけど、あなたの想像しているような可愛いものじゃないわよ。平気で人を騙すし、最悪殺しもするわ」
フィアナは険しい表情のまま出発の身支度を整える。そして、食料と水をコルンに備え付けてある麻袋の中に入れた後、祈るような所作で両手を合わせた。
『命は鋼……静寂の常闇を照らしだす一縷の光を今ここに導かん! コーリオプシス』
呪文を詠唱したフィアナの周りに、ルーンの青白い光の粒子が浮かび上がる。バランシュナイヴとの戦闘によってボロボロになっていた鎧が燐光を放ち迸った。
「よし」
光が散って消えたあと、フィアナの鎧は元通りになっていた。
「その甲冑はひょっとして魔法で出来ているのか?」
イメツムは少し驚いた様子でフィアナへ問いかける。
「そうよ、ルーンアーマーだから魔力さえあれば再構成できるわ」
「便利なものだな」
「これ習得するの大変なのよ。私はこういう系統の魔法だけは素質あったのだけど」
「鎧はいいでつけど体の傷は大丈夫なんでつか?」
オマルが少し遠慮がちに訊くと、フィアナが優しい微笑みを浮かべて言った。
「大丈夫よ。でもオマルが心配してくれるとは思わなかったわ」
「な……仲間でつから、一応」
「ふふ、ありがとう。それじゃあ出発しましょう」
三人はコルンに跨り、白く長い雲が流れていく蒼穹の下、一頭の獣が南へ向かって走り出した。
† † †
〈ぬふふふふ……来る……来るよ! 今まで嗅いだことのない臭いのする人間が来るよ〉
〈ものすげぇ血の臭いがするね。一体どれだけの命を奪ったらこんな糞みたいな臭いが染み付くんだろ?〉
〈いやいやいや、これはきっと量の問題じゃないよ。でもこんなモノを抱えて生きていられる人間がいるなんて、やっぱり人間て面白いなぁ〉
〈……この痛みは抉りがいがありそうだね皆。ぬふふふふ〉
イメツムたち三人はゲヘナ湿原の直前まで走ってきたところで止まっていた。湿原へ足を踏み入れる前に確認しておかなければならないことがいくつかあったからだ。
「とりあえずコルンから降りて歩かないとダメね」
「確かに、この霧では急いではぐれたりでもしたら危険だな」
湿原は濃霧のせいで視界が効かず、視程は入口ですら五〇メートル程度しかなかった。
「中に入る前にこれを繋いでおくでつ」
オマルは黒箱からロープを取り出すと、各々の腰に巻きつけるよう促した。
「それともう一つ、レプラクォーンについて忠告しておくでつ。基本的には彼らの問いかけに対しては無視してください。人を殺すことがあると言っても、それは物理的にというわけではなく、精神的に追い詰めた末に幻覚を見せたりして、底なし沼や崖に誘導するといった手口でつので」
「随分詳しいのね」
「昔一度だけリギウス先生に連れられて来たことがあるでつよ」
「なるほど……(だとしたらリギウスさん結構辛かったでしょうね)」
「僕が先頭で道を案内するでつので、続いてフィアナ、殿はイメツムにお願いするでつ。魔物も少ないでつが一応いるので気をつけて進むでつ」
「委細承知。魔物は拙に任されよ」
三人と一頭がゆっくりと霧の奥へと進んでいく。
湿原へ入ってから一時間ほど経った頃、視界はさらに悪くなっており目の前を歩くフィアナでさえも薄く影が見えるだけになっていた。時折そのフィアナがオマルとイメツムに声を掛けていたので、おおよその距離感は掴めている。
(にしても蒸すな)
イメツムが汗を拭いながらその言葉を口にしかけた時に異変に気づく。口は動く、体調も全快とはいかないまでも悪くはない。にも関わらず声が一切出ない。
(これはッ!?)
イメツムは前を歩くフィアナに伝えようと縄を引っ張った。しかし、つい先ほどまでいたはずの彼女の姿がそこには無く、ロープも何かしらの刃物で切断され途切れていた。
(マズイな……すでに術中にはまってしまったようだ。仕方ない――天凪流風遁術!)
〈かーごーめーかーごーめー、籠の中の鳥はー〉
(ッ!)
歌が聴こえた。耳のすぐそばで誰かが囁くような歌声。この世界にあるはずのない故郷の童謡が確かにイメツムには聴こえた。姿の見えない男とも女とも判らない中性的な声の主は歌い続ける。
〈いーつーいーつー出会ーう、夜明けの晩にーつーるとかーめが滑ったー〉
その歌声は透き通るように美しいものだった。しかし、イメツムの表情は苦しげなものへと変わっていく。体を強張らせ、耳を塞ぎ必死に歌声を止めようと叫ぶが、やはり声は出ない。
(やめろッ! ぐっ……歌うな! やめてくれぇ!!)
〈……後ろの正面――――――――――――〝母さん〟〉
「うああぁぁぁ――――――ッ!!」
その言葉を聞いたイメツムが膝を突き絶叫した。先ほどまで出なかった声が濁流のように感情と共に吐き出され、湿原へと響き渡った。
「イメツム!?」
フィアナとオマルはその声を聞き、ようやく切られているロープとイメツムが付いてきていないことに気がついた。
「嘘……ほんの二分前までいたはずなのに」
レプラクォーンは狡猾な妖精である。どんなに注意を払っていても心と記憶の読める彼らにとっては小さな隙を突くことなど造作もないことだった。
「オマル、あなたはコルンと先に湿原を抜けなさい」
「え!? い、嫌でつよ! 放っておけないでつ!」
「このロープがあればそれを辿っていけるわ。正直な話……魔物が出てきた場合、あなたを庇いながら戦える自信が無いの。イメツムが戦えない状態だったら尚更のことね」
「うっ……わかったでつ」
オマルは渋々といった表情でフィアナの言う事を聞くことにした。
「それじゃコルン、オマルを頼んだわよ」
コルンも心なしか不安そうな顔をしているように見える。それでも主人の命令に従いオマルの後について歩き出した。
(まさかイメツムが狙われるなんて……てっきり私かオマルに来るかと思ってたのに)
フィアナは小さく舌打ちをすると来た道を戻りだした。
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