弐拾壱ノ段

 オルバスは王都メテオラの街灯りを王宮の中央棟にある寝室から見下ろしていた。点々と光る街灯は魔法によって消えることのない人工的な火だ。

「紛い物ばかりだな……」

 そう吐き捨て視線を上げたオルバスは、満天の星空をその瞳に映した。中でも一つの赤く光り輝く星が印象的だった。そして時を同じくして夜空を見上げていたイメツムのことを、当然だがオルバスは知らない。それでもその星が放つ輝きに、宿命的なものを感じずにはいられなかった。

 憂鬱な気分のまま過ぎていく時を紛らわすように、呷(あお)ったワイングラスを扉の方へ勢いよく投げつける。すると開いた扉から侵入してきた影にそのグラスが当たり砕け散った。

「くッ!」

 完全に不意を突いたと思い、オルバスの寝室へと踏み込んだ侵入者がグラスの破片にたじろいだ。その背中を押すような形で雪崩れ込んできた侵入者の仲間が、灯りの消えた室内で白銀の刃を振り上げる。

「オルバス、覚悟ォッ!」

 白刃の軌跡が暗闇と書机を斬り裂く。積まれていた書類が舞い上がり部屋中に散乱した。侵入者の斬撃を鞘に納めたままの大剣で受け止めると、オルバスは力任せに弾き返す。恐るべき膂力によって吹き飛んだ侵入者は、背後にいた仲間と共に本棚へと叩きつけられた。

「がはっ……!」

 床にうつ伏せになり呻き声をあげた侵入者に向かって、鞘から抜いた大剣の切っ先を突きつけたオルバスが髭をいじりながら口を開いた。

「随分と無作法な訪問者だな。確か、ラ・シルのガドラフ卿だったか?」

 窓から差し込む月明かりに照らされ、侵入者の顔が露わになった。

「き、貴様ァ……」

「立場を弁えろ。一国の王の寝室に無許可で入りこの所業、貴公の首がいくつ飛んでも足らんぞ?」

 オルバスは口の端を吊り上げ薄く笑みを浮かべながら言った。

 暗殺に失敗しもはや逃げ場はない。黙って自身の運命を受け入れるほかに術はなかった。そんなガドラフの顔を見下ろしながらオルバスは尋ねた。

「部屋の外に見張りがいたはずだ。彼らをどうした?」

「殺したに決まっているだろう」

 剣の切っ先をさらに喉元まで近づけるオルバス。一呼吸もすれば喉仏が先端に刺さりそうなほどの距離だった。その状態のままオルバスをさらに詰問を続ける。

「何人殺した?」

「……よ……四人だ」

 次の瞬間――身の毛がよだつほどの殺気と共に、オルバスに向かって剣を構えていたガドラフの部下達全員の首が飛んでいた。噴水のように血が立ち昇り、天井を赤く染める。

「ぐっ! おのれぇ!!」

ガドラフの首を掴み引き寄せたオルバスが囁くような声音で語りかけた。。

「これでイーブンだ……別に雑魚を何人斬ろうが面白くもなんともないが、オトシマエってやつはつけておかなきゃならない。俺が貴公を殺さないのは気まぐれ、ただのラッキーだ。分かったらさっさとラ・シルへ帰れ」


 オルバス・バレンスタインは渇いていた。強者に飢えていた。王の資質を持ちながら、父である前王ガリュンオルドの戦士としての血を色濃く受け継いだオルバス。

 周囲に王であることを求められ、王としての責務を果たすべく邁進してきた。決してそれが嫌だったわけではない。自分にしか成し得ない事だという自負もあった。

 しかし騎神と畏れられた父の勇姿、それを今も色褪せない記憶として脳裏に刻みこんでいたオルバスにとって、戦う相手が、宿敵が存在しないことがもどかしかった。

 自分と互角以上に渡り合える者が世にどれだけいるのか。存在するならばこの渇きと飢えを潤すために自分と戦って欲しい。そして出来ることならば、自分が井の中の蛙だったということを教えて欲しい。敗北を知りたいと心の底から願っていた。

(そうなれば俺はきっと全てを捨てられる。国も、親も……愛した女さえも)

「貴公ではまるで足りんよ、ガドラフ卿」

「ぐっ……私は皇国の為にこの身を捧げたのだ! そんな私の覚悟を踏みにじり、貴様らドレイクと同盟を結ぼうなどと考える馬鹿な者共がいるのだ! だから私は」

「それは自国を、そこに生きる臣民を想えばこその決断であろう。それに引き換え貴公が魂を捧げたのは国という名の偶像に過ぎんではないか」

 オルバスは口から出た言葉が、自身の願望からかけ離れていることを理解しながらも、目の前にいる男の妄執を否定せずにはいられなかった。

『オルバス、彼の処遇については私に任せていただけないかしら?』

 突如として背後から聞こえた声、その人物を見たガドラフは己の目を疑った。

「あ……あなたは――ッ!?」

 夜風に揺れるネグリジェの上からショールを羽織っていたその女は、蟲惑的な微笑を浮かべて扉の前に立っていた。

「…………好きにするがいい。殺す価値もない男だ」

『あらあら、相当ご機嫌斜めみたいね』

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