弐拾ノ段

 イメツムはすり鉢状に抉れた大地の真ん中に立っていた。そこに先ほどまで戦っていたバランシュナイヴの姿は跡形も無い。

「やはり……慣れたりはしないのだな」

 勝利の余韻などあるはずもなかった。自らの命が脅かされようと、仲間の大切な人が殺されようと、命を奪うことは虚しさだけが心に降り積もる。あれほど猛っていた怒りの炎も今はその虚しさによってくすぶっていた。

 イメツムはそんな気持ちを抱えたまま、フィアナ達の待つポンデ村まで歩き出した。


 村へと戻ったイメツムが最初に見たものは、泣きじゃくり横たわる人にすがりつくオマルの姿だった。オマルが先生と呼んでいた男は、バランシュナイヴによって全身の骨を砕かれていた。おそらく、フィアナを倒した魔法・星天爆縮を食らったのだろう。それも手加減無しの威力のものを。

「先生! リギウス先生! しっかりするでつ!」

 涙ながらに呼びかけるオマルの声に、リギウスと呼ばれた男は微かに目を開いた。

「……オマルか、おかえり……よく戻って……きたね」

 優しげな微笑を向けたリギウスはかろうじて動く左手をオマルの頬へと伸ばす。血にまみれたその手を握り、オマルは嗚咽を漏らした。

「そんなに泣くんじゃない。可愛い顔が台無しだ……お前だけでも無事で良かった」

 傷ついた身体を引きずりフィアナが二人の側まで歩み寄る。

「オマル……」

「フィアナ、このままじゃ先生死んじゃうでつ! 助けて! お願いだから助けて……うぐっ」

 その懇願に対しフィアナは何も答えられなかった。リギウスはもはや手遅れだと分かっていたからだ。

「オマル、もう……時間がない。最期に……君に話しておかなければ……ならないことがある」

「嫌でつ! 最期なんてそんなことないでつ!」

「君の……両親について……だ」

 

 今から八年前のこと、リギウスはドラゴンの鱗を採るために、禁踏地である竜峰バハルスへと赴いた。並の冒険者では決して辿り着けない一級危険地帯である。

 ドラゴンは知能の高い種族とそうでない種族がいる。人語を解し、人語を喋るほどのドラゴンもかなり希少だが確かに存在していたらしい。

 バハルスの奥地へと着いたリギウスは、そこでドラゴンの巣を発見した。ドラゴンは爬虫類と同じように脱皮を繰り返しその体を大きくしていく生物である。脱皮は巣で行うことが多く、その際に剥がれ落ちる鱗を拾いにきたリギウスは、そこで信じられない光景を目にした。

 柔らかな草が敷き詰められた巣の中心で、赤子が寝息を立てて眠っていたのである。

 その子供がオマルだった。

「僕が……ドラゴンの巣に?」

「そう、あれは君がまだ物心つく前のことだった」

 ドラゴンと人間の混血――。神話の時代に存在していたといわれる〝ドラゴニア〟と呼ばれる伝説の亜人種。それがオマルカ・ドラゴニャだった。

 リギウスは散々迷った挙句、その子供を連れて帰ることにした。

 まだ若かったリギウスは、伝説のドラゴニアの子供を前にその知的好奇心、探究心を抑えられずに攫ってしまった。

「本当に……すま……なかった。許して……欲しい」

 そう言い残し、リギウスは静かに息を引き取った。

 オマルは被っていたカボチャの帽子を脱ぐと、胸の前で握り締める。露わになった金色に輝く髪をかきあげ、額を見せた彼女は物言わなくなったリギウスに向かって呟いた。

「普通の人間じゃないってこと、僕は知ってたでつよ……先生。でもそんなことどうでもよかったんでつ……僕は村の皆が、リギウス先生が大好きだったでつから」

 オマルの額にはドラゴニアの証である竜の紋様が刻まれていた。そして頬を伝って流れ落ちる彼女の悲涙が、乾いた大地に吸い込まれるようにして消えていった――。


 それからどれくらいの時間が経っただろうか。フィアナがいくら話しかけようと、オマルは黙ったままリギウスの亡骸を茫然と眺めていた。

「イメツム……バランシュナイヴは?」

 フィアナは他に話すことがなく解っていることをイメツムに訊いた。

「殺した。手加減できる余裕などなくてな……」

 自分に言い聞かせるようにそう呟いたイメツムに対し、フィアナは首を左右に振る。

「あなたは正しいことをした。何も気に病む必要ないわ」

「そういう訳ではない。ただ……拙はあの戦いを心の何処かで楽しんでいたのだ。忍としても人間としても、やはりどこか欠けているらしい」

 黄昏に藍色が混じりはじめた時刻、フィアナが意を決したように立ち上がりオマルの目の前に立った。

「いつまでそこで塞いでるつもりなの?」

「もう放っておいてほしいでつ。どうせ僕には生きていく場所も意味もないでつし」

「それは先生が死んだから? 村の人達が死んだから? それともあなたがドラゴンの子供だから? 甘えるんじゃないわよ! そんなに死にたきゃ勝手に野垂れ死ねばいいわ!」

 フィアナの檄に脅えた表情をしながらも、オマルはその場で再びうずくまってしまった。

 そんな彼女に背を向けて村の外へ向かうフィアナ。そして少し歩いたところで立ち止まり、振り向くことなくオマルへ言葉をかけた。

「――さよなら」

 その言葉を聞いたイメツムが眉をひそめる。本当にフィアナはオマルに愛想を尽かしたのか? そんはずはない。短い付き合いだがイメツムにはそれが分かっていた。だからこそ彼女の言葉に少し驚いたのだが、小刻みに震えている肩を見て悟った。

「フィアナ」

「何よ……文句あるの?」

 イメツムは頭をがしがしと掻きながら溜め息をついた。

「はぁ……正直に言えばいいではないか。これ以上巻き込みたくはないのだと」

「べ、別にそんなんじゃないわよ」

 フィアナは顔を赤らめながら顔を背け歩き出した。

 やれやれというように溜め息を漏らしながらも、イメツムは彼女の後を追って歩みだす。

 オマルは遠ざかっていく二人の足音を聞き、俯いていた顔を上げる。村の惨状が目に入り改めて陰鬱な気分が彼女の心を苛んでいく中、同時に別の感情が芽生えた。そして、その感情がオマルを突き動かした。

「イメツム!!」

 オマルは大声でイメツムの名を叫ぶ。途中でつまづきながら、必死に彼のもとへ駆け寄ったオマルは涙を振り払い懇願した。

「先生を……村の皆を――弔って欲しいでつ!」

 大切な人達だったからこそ最後くらいちゃんと見送ってあげたい。

それが彼女の願いだった。

「……心得た」

 その迷いの無い瞳にイメツムは優しく微笑みを返す。

その後、イメツムは村の四隅に札の付いた苦無を刺し込むとオマルを連れて村の外へと出た。

 フィアナは先ほどの自分の暴言を気にしているのか、オマルと目を合わせづらいようだ。

「では始めるぞ」

 イメツムの言葉にオマルは無言で頷く。

 ――天凪流火遁術! 封光明火ふうこうめいび!!

 イメツムが印を組み、術を発動させると、村の周囲から火柱が立ち昇り村を包み込んだ。すべてを飲み込み燃え上がる炎、ヒリつくような熱さを肌に感じつつもオマルは目を逸らすことはなかった。そして――、彼女は叫んだ。

「ずっと皆と一緒にいたかったでつ! 優しくて、温かい皆が大好きでつた!! いつか皆に恩返ししたかった……!! うぅ……ぐっ…………今はまだ皆の所へはいけないでつが!! この先の僕を見守っていてくださいッ!!」

 惜別の言葉と共に、天へと昇る火の粉が藍色の空を焦がしていた。くしゃくしゃになった顔から涙をぼろぼろと流しながら、オマルは嗚咽を繰り返す。その姿を後ろから見ていたフィアナの瞳からも、一筋の涙が頬を伝い落ちていった。

「何か声をかけてやらんのか?」

「……大丈夫。あの子、私よりずっと強いもの。だからきっと大丈夫」

 赫焉たる炎が人も家も灰に変えていった。それはやがて風に運ばれ、還るべき場所へ還っていくだろう。燃え尽きた果てに新たな命の息吹となる生命の灰となって。

 静まり返った夜空に浮かぶ星々が、消えていった命のように瞬いていた。

「リギウス殿、輪廻転生……迷わずに逝かれよ」

「……イメツム、僕は新しい夢を見つけまつた」

「新しい夢?」

 オマルは手に持っていたカボチャ帽子を深く被りなおすと、俯いたまま語りだした。

「いつかバハルスに行ってパパとママに会ってみたいでつ……それで……先生のこと、僕の大切な人達のこと話して…………それで……それで」

 消え入りそうな声音でそう話すオマルの帽子にぽふっと手を乗せ、イメツムは空を見上げながら言った。

「その時は拙も共に行こう。ドラゴンも見てみたいしな」

 乗せた手からオマルの体と心の震えが伝わってくる。泣き顔を見せまいとしている少女から離れたイメツムが、フィアナとコルンの下へ歩み寄ろうとした時だった――。

「うっ……」

 突然の目眩と倦怠感に襲われ、イメツムはその場に倒れこんだ。

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