拾玖ノ段

 バランシュナイヴはポンデ村から一キロ程離れた荒野まで吹き飛ばされていた。

 地面への激突は風の鎧によって衝撃を抑え、受け身もとったことでさしたる問題は無かった。しかし、イメツムから肘鉄を受けた脇腹に触れ苦い表情をする。

「九番の肋骨にひび、一〇番は完全に砕かれましたか。あの矮躯で恐るべき力……」

 そしてバランシュナイヴの背後に黒い影が降り立った。

 陽炎の中に揺らめき立つその影がゆっくりと近づいてくる。

「少年、君は……何者なのですか? とても姫に仕える騎士には見えませんが」

「忍だ……闇に生き、闇を糧に、闇と共に滅する」

「シノビ? 賞金稼ぎの類ですかな? まぁいいでしょう。あなたはここで……殺しますので」

 服の汚れを払いながら、バランシュナイヴはそうイメツムへと告げた。風下にいたイメツムの方へと土埃が流れてくる。それはイメツムが瞬きをしたほんの僅かな時間、朗らかな笑顔のまま離れて立っていたバランシュナイヴの顔が目の前にあった。

(しまっ……!)

「接近戦がお得意のようですね。実は私も嫌いじゃないんです」

 そっと胸にあてられた掌から、心臓が一瞬停止するほどの衝撃が放たれた。

「かはっ……!」

 イメツムはバランシュナイヴの掌打によって前方へよろめき、さらに追撃の後ろ回し蹴りを頭部に食らい、大地を抉りながら身体を滑らせていった。しかしその状態からすぐに受け身をとり、上空へ跳ぶと再びバランシュナイヴの背後に着地――。

 着地の反動を逃さず弾丸のようにバランシュナイヴの背中へ向かって突進すると、その勢いのまま右拳を振り抜く。

 バランシュナイヴはイメツムの拳を前に倒れ込む形で避け、そのまま後ろも振り向かずに踵で顎を蹴りあげた。

「がっ! ぐ……ぅ」

「はははっ! 私のことを軟弱な魔法使いだとでもお思いだったのですか?」

(体術自体は互角、速さは拙の方が僅かにだが上。しかし尋(リーチ)の差はいかんともし難い)

 イメツムは片膝を突きかけるのを気力で堪え、切れた口の中から流れる血を地面へ吐き捨てる。

 この時、イメツムはあえて忍術を使っていなかった。生半可な術は通用しないことは解っていたというのもあるが、それ以外にも一つ理由がある。

「いくぞ!」

(この少年……心が読めませんね)

 不利だと分からせたはずの格闘戦を再び挑んでくるイメツム。それが不可解だった――。

 彼はそこまで愚かではないはず。ならば他に狙いがある。そう考えていたバランシュナイヴは、自らもあえて魔法を使わずにいた。魔法を使わせること、それ自体がイメツムの狙いである可能性を危惧していたからだ。

「うおおおおおおぉぉ――ッ!!」

「ハアアァァ――ッ!!」

 打撃、乱打の応酬が二人の間で響き続けた。その殴打戦、序盤は完全に互角だった。しかし、打ち合うに連れてイメツムの防御頻度が多くなっていく。次第に一発、二発と拳を食らう数が増えていった。

「どうしましたぁ!? 何か策があるのではないのですか! このまま嬲られて終わるおつもりですかぁ!」

 イメツムの頭部が四方八方に踊らされ、もはや一方的な状態になっていた。

「これでぇ! お別れです!!」

 渾身の一撃を振るうべく、バランシュナイヴは右拳を大きく振りかぶった。

 ――ここだ! 天凪流体術奥義〝破邪拳正はじゃけんせい〟!

 まったく同じ体勢から振り抜いたイメツムの右拳が、バランシュナイヴの顔面を捉え、凄まじい衝撃音と共に鮮血が飛び散る。

「ぶふっ……馬鹿な」

 鼻からぼたぼたと血を垂らしながら、一歩、二歩とよろめき膝を突くバランシュナイヴ。

「く……ッ! この一発の為だけに私の拳を食らい続けたというのですか。そんなこと――」

「ハァ……ハァ、拙にも解らん。ただ……殴っとかないと何故か気が済まなかったものでな」

 バランシュナイヴの深読みはイメツムにとっては好都合だった。ただ感情の赴くままに戦い、忍としての性(さが)など打ち捨てていた自分を愚かしく思いながらも、人間として間違ってはいないことを実感している。それだけで放った拳には、得も言われぬ充足感があった。

「それだけの強さを持ちながら、情に絆されたというのですか……なんたる愚かしさ」

「今、この世界で忍の生き方に拘って何になるのだ。拙は……自分の生き方すら決められず足踏みをするほど世界のことを知らぬ!」

 そして、睨み合ったまま二人の男達は薄く笑みを浮かべていた。強さという一点においてのみ、イメツムとバランシュナイヴはお互いを認め合っていた。

「私の全力を尽くして君を殺す! 神罰を受けよ!!」

 バランシュナイヴは両掌を合わせると、フィアナを倒した術を発動させた。先との違いはその大きさ。直径三メートル近くに膨らんだ玉を右手の上に浮遊させ投擲体勢に入る。

「これは先ほどの物と同じ威力とは考えないでいただきたい。触れれば即、塵と化す!」

 バランシュナイヴがイメツムの恐怖に怯えた表情を見ようと、顔を上げた時だった。

 左手を天に掲げているイメツムの上には、自らが創り出した玉とまったく同じ物があった。但し、大きさはその一〇倍を遥かに凌ぐ巨大な玉。

「なっ……んですか、それは……」

「お主の使うその魔法と原理は同じだろうな。天凪流忍術奥義・破空の段〝我竜天星がりょうてんせい〟」

 イメツムの術・我竜天星は超高密度に圧縮した空気の塊である。その中に体内で増幅させ、積層化させたオーラを織り込むことで対象の周囲にオーラの膜が形成される。オーラ膜の内側では空振と爆縮が連鎖的に発生し、範囲内にいる者を粉微塵にする破壊力を生み出す。この術はイメツムが信長を屠ろうとした際に使おうとした術でもあった。

「馬鹿な……そんな強大な力をどこから?」

 我竜天星はオーラにルーンの効果が加わり、バランシュナイヴの魔法よりも超々高密度に圧縮された空気と、それを安定させる為の膜を生成できたことで大きさも威力も、もはやバランシュナイヴのそれとは次元の違う術にまで昇華されていた。

「――有り得ない。こんなことが……有り得ない――――ッ!!」

「お主は負けるのだ! オマルが与えてくれたこの赫焉に!! オマル自身に!!」

 イメツムは上空へ高く跳躍すると、我竜天星の玉を頭上からバランシュナイヴめがけて撃ち放った。

「盛者必滅ッ! 灰燼に帰せええええええ!!」

「があああぁぁぁぁ――――――――――――――――!!」

 すり鉢状に抉られていく大地。そして、青白い球状の膜の中で耳を劈く轟音と共に風が迸る。

 その中心から聞こえる男の断末魔が、この戦いの決着を告げていた――。

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