拾捌ノ段
濡れた輝きを放つ細剣を正面に構えたフィアナは、鋭い目をバランシュナイヴへと向ける。
「ご理解頂けませんか……残念です」
「ハァ!」
目にも止まらぬ速さで繰り出された刺突の連撃が、風を裂いて目の前に立つ男を襲った。
(フィアナは強い。およそ女人とは思えぬほどに)
イメツムは決してフィアナを過小評価していたわけではない。技術だけならば相対しているバランシュナイヴに劣っているとも思ってはない。しかし実戦経験が天と地ほど違うことは、血の臭いでわかっていた。
「驚きましたよ」
刺突を躱しながらバランシュナイヴは薄く笑みを浮かべる。
「大した御方だ。先ほどの失礼な物言いは訂正致しましょう」
「訂正しなくていいわ。その代わりにあなたの命を貰う!」
まさに神速。フィアナは自分の立っていた場所に僅かな土埃だけを残し、一瞬にしてバランシュナイヴの側面へと回り込んだ。
(さらに加速しましたか!?)
頭部をめがけて繰り出された突きを、身体を後方へと反らし避けたバランシュナイヴ。体勢はここで完全に崩された。その機を見逃さずにフィアナは追撃を加えようと刃を振りおろす。
「その首獲った!」
白刃がバランシュナイヴの首に届く直前だった。オマルの銃弾を弾いた時と同様に見えない何かに阻まれ、剣の軌道が首から肩へとずれる。
「なッ!」
バランシュナイヴの左肩を裂き剣先が赤く染まる。確実に捉えていたはずの斬撃が逸らされ、フィアナは警戒して距離をとった。
「浅いか……」
服の裾からぽたぽたと血を滴らせながら、男は自らの傷口を見やり虚ろな顔をしていた。やがて低い嗤い声を漏らすと、バランシュナイヴの瞳から一筋の涙が流れた。
「美しい……素晴らしい。そんな陳腐な言葉では言い表すことなどできないほどに」
バランシュナイヴは左手の血を舐めとると、フィアナに向かって言い放った。
「皇女殿下、あなたこそ我等が創造する新たなアーカーシャに必要な姫君です。殺すのは辞めましょう」
(剣が何かに逸らされた。障壁魔法の類?)
「生きたままあの方の前に連れていき、私が直接あなたを推挙致しましょう。うむ、それが良いと思います。ガガナ神もさぞお喜びになられる」
バランシュナイヴは一人芝居のように淡々と喋り、自らが出した結論に納得した。
「……例えそれが、仮初の姫君だったとしても」
「ッ!?」
この男は知っている。フィアナが本物の皇女ではない事実を。その事実は彼女を動揺させ、戸惑いが怒りを鈍らせていた。
「フィアナ、惑わされるな」
そんな心中を慮ってか、イメツムは彼女の背中から声をかける。
そう、今は目の前の男を倒す。今はそれのみに集中する。そう思い直したフィアナが再び柄を強く握り締めた。
『風の導き手よ、我が願いを叶え共に黒き哀しみを討ち果たせ! ハイアシンス!』
フィアナは唱えた呪文と共に駆け出した。彼女の残像が幾重にも重なり、高速で動くたびそれが追従する。
(分け身の術か。フィアナの速さを活かす良い技だな)
「
先の連突きの一〇倍はあろうかという弾幕がバランシュナイヴの回避場所を奪った。まるで一面に咲く花の如き剣の舞。しかし、それら全てを三度見えない障壁が阻む。乾いた金属音に似た剣と壁のぶつかり合いの中で、フィアナはそれを見た。
「これは風? 空気の壁か!?」
「如何にも、私の周囲は常に風の加護が働いております。異端神問会の同志は私のことを〝
突きの弾幕を防ぎきったバランシュナイヴが、右手に集めた黒い風を勢いよく投げ飛ばした。
不規則な軌道を描き飛んでくる風の玉。それが地を這うようにしてフィアナの足元から胴へ向かって浮き上がってくる。
「くっ!」
「なに……!」
「風を操れるのが、あなただけだなんて思わないことね。バランシュナイヴ」
斬り裂いた風をまるで綿菓子のように剣で巻き取り、剣全体にその黒い風を纏わせた。
「この剣は風の精霊石を鍛えて造りだしたルーンブレイド。あなたの風は私には届かない!」
そう宣言したフィアナが剣を振るうと、纏っていた黒い風が突風となってバランシュナイヴを吹き飛ばす。
「ぬぅッ!」
両手を交差させ、突風に耐えながらも一〇メートル近く後退させられたバランシュナイヴ。
戦いが始まってから初めて見せる曇った表情。その眼光は些かも戦意を失ってはいないものの、フィアナに感じた才能、潜在する力を甘く見過ぎていたことに歯噛みした。
「その罪を悔いて大人しく地獄へ逝きなさい。あなたの信じる神がそこにいるわよ」
「一つ……勘違いをなさっているようなので、僭越ながら忠告させていただきます」
バランシュナイヴは手の平をフィアナの方へ向けた。
「私の力が風を操ることと思っていらっしゃるのならば、それは見当違いです」
差し出した手の平からシャボン玉のようなものが突如浮き上がる。
「なに……?」
「さて、なんでしょうか?」
不敵に笑うバランシュナイヴがその玉を人差し指で弾くと、フィアナに向かってのろのろと飛んできた。
「何よ、こんなもの!」
フィアナがその玉を先ほどと同じように剣で斬ろうとした瞬間。
「フィアナ! それに触れるなッ!」
イメツムが制止を呼びかけるも、時すでに遅く、鋭い斬撃がその玉を斬り裂いた後だった。
フィアナはその一瞬、自分の周り一帯の音が全てかき消えたように感じた。地に足をつけているはずなのに、宙に浮いている奇妙な感覚に囚われ、耳鳴りが遠く聴こえ視界が急激に狭くなった。その直後――。
消失した玉のあった場所から地面が円状に押し潰されるように広がり、フィアナの身体がその中心に引きずられていく。
「体が勝手に! どうして!?」
「……
その言葉と同時にバランシュナイヴが指を鳴らした。その破裂音と共に気が付くとフィアナの身体が仰向けのまま空高く打ち上げられていた。
ズタズタになった鎧、その下に着ていた衣服と共に鮮血が飛び散っている。意識はあるものの何が起きたのか理解できずに、数秒前までよりもほんの少し近づいた太陽を見つめる。
薄い雲の隙間から差し込む陽光のせいか視界が滲んでいく。
「――――そっか、負けたんだ…………私」
瞳から零れた涙を置き去りにして、体は地面へと向かい落ちていく。このまま地面へと激突して、死を待つことしかできない自分が悔しくてさらに大粒の涙が零れた。
それはほんの数秒のことだったはずだが、走馬灯という時間の矛盾が彼女の頭の中を支配していた。死を覚悟して閉じた瞼。しかし、彼女の体は硬い地面にぶつかることなく、柔らかな、それでいて力強い両腕で支えられていた。
「良い闘いだったぞ」
フィアナを抱きかかえ、その顔を見下ろしたイメツムが彼女に声をかけた。
ゆっくりと開いた目に映る彼の顔はどこか誇りに満ちている。
イメツムのその言葉と顔が敗北したことを再認識させたのか、命が助かったことに安堵している自分が情けなくなったのか、再びフィアナの瞳から涙が溢れてきた。
「私……負けちゃった。負けちゃったよイメツム」
「あぁ、今はまだ奴の方が強かった」
フィアナは両手で顔を覆いながら泣きじゃくる。
「オマルの大切な人達の仇とりたかった……私のせいで、私のせいで殺された皆の仇を。う……ぐぅ……うぅ」
イメツムは地面へ優しくフィアナを寝かせると、バランシュナイヴの下へ歩き出した。
「感謝していただきたいですね」
バランシュナイヴがニヤけた顔をしながら呟いた。
「私がその気だったなら、皇女殿下はそこらに転がっている者達と同様バラバラになっていたのですから」
「だろうな……」
バランシュナイヴに素っ気無く言葉を返したイメツムは、一つ深呼吸をすると口布を上げた。
「さてと、皇女の腕でも一本切り取っておきましょうか。暴れられても面倒ですし、新生アーカーシャの御輿となる御方だ。名誉の負傷の一つでもあった方が様になるでしょう」
そう雄弁に語るバランシュナイヴの前に立っていたイメツムの姿が霞のように消えた。
「ッ!?」
気が付くと背中合わせにしてイメツムがバランシュナイヴの背後に立っていた。
「村人の亡骸を巻き込みたくはない。場所を変えさせてもらうぞ」
――天凪流体術……
戦慄を感じる間もなく内臓が圧迫される衝撃に襲われる。
「がッ……ふ!」
バランシュナイヴの脇腹に深く突き刺さった肘鉄は、鈍い音を立てて彼の足を地面からわずかに浮かせた。そしてその〇・五秒後……、肘鉄の衝撃が遅れた時間を取り戻すようにして、バランシュナイヴの身体を斜め上空へ想像を絶する速さで吹き飛ばした。
「ぐぅおおおおおおおぉ――――ッ!!」
ぐんぐんと飛ばされていくバランシュナイヴの身体は、風圧で身動きがとれずに村から遠ざかっていく。その後を追うべく、跳躍体勢に入ったイメツムがフィアナに声をかける。
「あとは拙に任せろ」
そう言い残し、イメツムは屋根を飛び移りながらフィアナの視界から遠ざかっていった。
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