拾漆ノ段

 バランシュナイヴの言葉の直後。オマルは怒りの咆哮と共に、素早い動作で担いでいた黒箱の中から銃を取り出し撃鉄を起こし引鉄を二度引く。狙いは完璧だった。二発の銃弾はバランシュナイヴの眉間と心臓めがけて飛んでいく。その刹那的な時の流れの中で、イメツムは銃弾の速度を目で追いながら、バランシュナイヴがほんの一瞬だけ放った殺気を感じた。

「オマルッ!」

「くっ!」

 叫ぶと同時にイメツムはオマルの肩を蹴り飛ばした。その直後、バランシュナイヴに着弾するはずだった銃弾が見えない何かに弾き返され、そのままオマルが元いた場所の地面を穿ち抜いた。

「……おや、外れてしまいましたか」

「イ、イメツム……ありがとでつ」

 イメツムは自分の背中を冷たい嫌な汗が流れていくのを感じながら、小刀の柄に手をかけた。

 そうして間合いを保ったまま隣にいるフィアナにだけ聞こえるように囁く。

「コルンを呼べ、今すぐに。オマルを逃がす」

フィアナは無言のまま頷くと、すぐさま指笛を鳴らしコルンを呼んだ。

「勘も鋭い、状況判断も的確、身のこなしも悪くない。中々やりますね少年」

「バランシュナイヴ……と言ったか、お主の目的は何だ。なぜ村人を皆殺しにした?」

「私はただ皇女殿下をここでお待ちしていただけですよ。別に村の皆さんを殺すつもりなどなかったのですが……」

 バランシュナイヴは服の裾を広げた。そこには小さな泥汚れが付いているのが見えた。

「酷いと思いませんか? この汚れを付けた子供の頭をちょっと吹き飛ばしたら、それはもう皆さんお怒りになられまして……えぇ」

 額に手をあて首を左右に振りながらバランシュナイヴは尚も言葉を続ける。

「あ、今『それだけの理由で』とお思いになられましたね? 私とて神に仕える身ですから、寛大な心でその子を赦すつもりでいましたよ。悪い事をしたら謝り、神への感謝を何時如何なる時も忘れずに日々を過ごし、前途ある若者が青春を謳歌できるようにと、心から願ってやみませんでした」

 顔を手で覆ったまま喋り続けていたバランシュナイヴは、溜め息をひとつ間に挟み、開いた指の間からイメツム達を見下ろした。

「――そしたらその子供は何て言ったと思います?」

 一転し暗くくぐもった声と共に空気が変わった。ぶつぶつと独り言のように、念仏のように、怨み言のように呟く口元がギリギリと歯軋りを立てて口の端からは血が滲み始めた。

「言うに事欠いて……ッ! エル・ディマティルがこの村の守り神だと言ったんですよォ! 聖典に記されたガガナ神の忌敵であるエルの名を! この私の前で出すなど理解できないッ! 死んで当然! 必然! 必定! 死して尚許されないッ!」

 礼節をわきまえ柔らかな物腰だった男は、人が変わったように目を血走らせ叫びだした。

「な……何なのだこやつは」

 演劇の舞台に立つ役者のように一人で悶え、怒りに打ち震えていたバランシュナイヴがぴたりと動きを止める。

「――おぉ、ガガナ神よ。迷える哀れな子羊の魂をあなたに……捧げます」

 何の前触れもなく、バランシュナイヴが振った腕から風が巻き起こった。突風の中から黒い風の刃が、先ほどイメツムに蹴飛ばされ未だ立ち上がっていないオマルへと襲いかかる。

「くそッ!」

 不意の攻撃に一瞬反応が遅れたイメツムの背後から大きな影が飛び出した。

 オマルを咥えてバランシュナイヴの刃を直前で避けたコルンが、爪でブレーキをかけるようにして反転する。

「コルン! オマルとフィアナを連れて逃げろ!」

 イメツムが叫ぶと、コルンはオマルを咥えたままフィアナの下へ駆けてくる。

「逃がすとお思いですかッ!」

 駆け寄るコルンの横合いからバランシュナイヴが追撃をかける。その腕がコルンの胴へ届きかけた時だった。

「むッ!」

 鋭い斬撃がその間に割って入り、バランシュナイヴは後ろへ飛び退いた。

「これ以上あなたの好き勝手にはさせない!」

 鞘から抜いた細剣を華麗に操り、切っ先をバランシュナイヴへと突きつけたフィアナがコルンとオマルの盾となって立ち塞がる。

「コルン、オマルを連れて村の外まで離れていなさい」

 指示を受けたコルンが全速力でもと来た道を引き返していく。オマルが何かを叫びながら暴れていたようだが、フィアナとイメツムは目の前にいる男から目を逸らす余裕などなかった。

「フィアナ……お主」

「この男は私が倒すわ。私が一人で倒してみせる!」

 決して激情に駆られての発言ではなかった。無論、バランシュナイヴに勝てる算段など持ち合わせてもいない。

(責任を……感じているのだな)

 フィアナの表情を横から見ていたイメツムが小刀から手を離した。

「その覚悟、見届けよう」

 血の臭いを運ぶ風が小さな旋風となって辺りに吹き荒んでいた。金色の髪を揺らめかせている少女の構えた剣が少し震えている。その後姿を数歩離れた場所からイメツムが腕組みをしながら見つめていた。

「あなたを倒す前に二つ訊いておきたいことがある」

 フィアナが問いかけたその言葉に、片方の眉を上げバランシュナイヴが返す。

「私が答えられることならば何なりと」

「何故、私のことを知っている? 私を待っていた理由は何?」

 バランシュナイヴはフィアナの問いに少し間を空けて語りだした。

「あなたを連れてくるよう依頼されたのですよ。おっと、依頼主に関しては守秘義務がございますのでお教えできませんが」

「連れて行くってどこによ」

「ドレイク王国でございます」

 その答えにフィアナは耳を疑った。

「私の目的はドレイクに行くことよ! あなたの行動は矛盾してるじゃない!」

 イメツムも同じことを思っていた。オウギュスト山脈での一件では確実にフィアナを殺そうとしていた男が今、目の前で再び立ちはだかっている。

「いいえ、矛盾などしておりません。私の受けた依頼はあなたをドレイク王国へ連れていくこと…………生死を問わずね」

 思い出し笑いをしたように、口元を歪めバランシュナイヴは答えた。

「殺せるのなら殺しても構わないと言われましたので、どれほどお強い姫君なのかと期待していたのですよ。ですが、こうして直接お会いしてみてよく解りました。あの方の買い被りだったということがね」

 挑発の言葉を意に介さずフィアナは二つ目の問いかけをする。

「異端神問会は何をしようというの? こんな事してあなた達に何の得がある」

 フィアナは目の前の男が金で動くような人間ではないことが直感的に分かっていた。傭兵や暗殺者紛いのことをして小銭を稼ぐ悪党などとは格が違うと。このバランシュナイヴという男の異常性はもっと狂気に満ちたものであるはずだと感じていた。

「その質問にお答えするために皇女殿下に私からも一つお聞きしたいことがございます。国……を創るには一体何が必要だとお思いですか?」

「――人よ。民あってこその国なのだから」

 教本に書かれたお手本のような答えにバランシュナイヴは手を叩いた。

「素晴らしい。望んだ通りの答えです。ただぁ……それは結果であって過程が抜けております。国を創る人が集まる為に必要なものがあるのでございます」

「必要なもの?」

 バランシュナイヴは自らのこめかみを人差し指でトントンと突いた。

「乱世ですよ。アーステアを支配している四国が戦争をし、戦いに疲れた者、住む土地を追われた者、腐敗した国に絶望した者、そんな彼らの求める新天地こそが世に再びアーカーシャを甦らせるのです!」

 希望を与え、希望にすがらせ、希望の担い手となる異端神問会が国家を創造する。乱れた世界の救世主として。それが彼らの描いているシナリオだった。

 バランシュナイヴはそんな夢物語を語りながら、嬉々として目を輝かせていた。

「もういい……訊いた私が馬鹿だったわ」

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