拾壱ノ段
イメツムたち三人はコルンに乗り、山道を走っていた。三人乗りはコルンへの負担が大きいことからペースは大分抑えていた。
やがて峠を越え、悠然と広がるアジダハカの森が三人の視界に入る。
フィアナは懐中時計を確認する。時刻は午後二時、オマルと出会ってからほぼ丸一日、山を走りようやく辿り着いた森の入り口。
「ここがアジダハカの森か」
漂う瘴気が森全体に広がり、その禍々しさはイメツムがこれまで感じたことのないものだった。近くまで来てわかったことだが、森はまだ夕方にも関わらず奥が見えないほど暗く淀んでいる。
「オマル、あなた本当にここを通ってきたの?」
フィアナが森の様子を目の当たりにしてその顔を強張らせていた。
「そのことでつけど、ここから先はワン公を連れていけないので、置いていくか迂回させないとダメでつ」
「どういうこと?」
「森の魔物は臭いに敏感でつので、ワン公がいたらすぐに気づかれるでつ」
オマルの話では、臭いに敏感な魔物〝ビンクス〟は個の力こそ弱いが、他の魔物を呼び寄せる奇声をあげ自分の代わりに襲わせるのだという。
「それならば拙達が森へ入っても同じなのではないか?」
「僕たち人間は獣ほど体臭が無いから、消臭剤を使って決められた道を通れば安全でつよ」
そう言うとオマルは懐から小瓶を取り出した。
「これが僕の特製消臭剤、名付けてニオイトレルーンでつ!」
(ネーミングセンス無いのね……親譲りなのかしら)
そんなフィアナの心の言葉と表情を勘違いして受け取ったのか、オマルはニオイトレルーンの効果のほどを得意気に語りだした。
ニオイトレルーンはその名の通り、ルーンを特別な液体に混ぜ、消臭効果を高めたものである。ただ一度に作れる量の関係上、コルンの巨体の臭いを消すには足りないらしい。
「コルン、あなたなら森を迂回してもさほど時間は掛からないけど、気をつけて行くのよ」
コルンはフィアナの言葉に喉を鳴らして答える。
ドローミの知能は普通の犬や狼と違い、言葉こそ話せないが人語はほぼ理解出来ている。
「ちょっと待て。ならば拙達も森へ入らずに迂回していけばよくないか?」
「それは無理。森の東を迂回するには遠すぎるし、西側はグノームの国境線を越えることになるもの。コルンだけなら西側を通っても咎められることはないわ。野生のドローミなんてアーステアでは珍しくないしね」
イメツムの疑問が解消されたところで、コルンは西の国境線沿いを目指し走り出した。
「さぁ、僕たちも出発するでつ!」
オマルを先頭にフィアナ、イメツムの順に森の中へ入っていく。
アジダハカの森は緑豊かな木々が生えているわけではなく、よく見ると木の表面には人の顔ような紋様が浮かんでいたり、枝や葉にはカビのような胞子がたくさん付着している。正に魔の森と呼ぶに相応しい様相を呈していた。
「気味悪いわねぇ……ルーンが薄いせいか何か肌寒いし。――――ひッ!」
「おっぱいちゃん、静かに歩くでつ。魔物に見つかるでつよ」
「私こういうのホント駄目なのよぉ……それよりこの消臭剤ちゃんと効いてるんでしょうね? 私はそれが一番不安だわ」
フィアナは自分の腕を鼻に近づけ臭いを確認していた。その様子を後ろから見ていたイメツムが話しかける。
「安心せい、確かに臭いは消えている。一番臭っていたフィアナも拙の鼻で判別出来ないほどだ」
「ちょっと! 私の体臭キツいみたいな言い方しないでよ!」
「うっ……失敬」
「ぷぷぷ、おっぱいで蒸れてるんじゃないでつか?」
などと割と緊張感に欠けたやりとりをしつつ、森の奥へと歩を進める三人。そして異変が起きたのは森の中間辺りまで進んだ時のことだった。いや正確にはこの場所まで二時間ほど歩いてきたにも関わらず、何も起きていなかったこと自体が異変だったのだ。その事にオマルが一番初めに感づいた。
「おかしいでつ……」
「どうかしたの?」
前を歩いていたオマルが辺りを見回している。
「いくらなんでも静かすぎでつよ。普通なら弱っちい魔物の一匹や二匹ぐらい出てくるものでつ。臭いを嗅ぎつけられなくても偶然通りかかることすらないなんて」
「別にいいじゃない。遭遇しないに越したことはないわよ」
「フィアナは胸に栄養いきすぎて思考停止してるんじゃ……ん?」
後ろのフィアナに冷めた視線を向けていたオマルが、何か柔らかい物を踏んだ。
「――――――ッ!?」
オマルは思わず上げそうになった悲鳴を必死で堪えた。
彼女の前にはおびただしい血と、裂かれた肉片が一帯を赤く染めていた。踏んだのは目玉らしいもので、嫌な感触が靴底に残っている。
「魔物の死骸か? まだ新しいようだが」
「こ、こりは……多分アジ……ダハカの死骸でつ」
オマルが震えた声でそう言った。
アジダハカは、この森に棲息する邪竜種の魔物。ほとんどの個体が番(つが)いで行動し、好戦的で人肉を好む。この森がアジダハカの森と呼ばれるのは、一番凶悪で手強い魔物がアジダハカだからである。邪竜といっても見た目は鳥に近いが、翼部分は退化しており空は飛べない。
ルーンが薄く、高位の魔法が使えない森の中ではアジダハカ一匹を仕留めるのに、騎士クラスの人間が五人以上は必要なほど厄介な魔物である。目の前の肉片は鋭利な刃物か何かで切り裂かれたようにバラバラになっており、魔物特有の異臭を発していた。
「人間業とは思えないでつ……でもこの森でアジダハカをこんな状態にする魔物なんて」
「イメツム、私気分悪くなってきた……うぷっ」
「気をしっかり持たんか。お主も武人の端くれであろう」
その時だった――。
三人の前に茂みからトコトコと出てきた生物。その生物は枯れ木のような細い体と足に、底の見えない暗い目をした植物のような見た目をしていた。その姿を見たオマルが戦慄する。
「ビ、ビンクス!」
「なッ! こやつが!? チィ!」
『ミギャアァァ――――――――ッ!!』
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