陸ノ段

「くっ! フィアナ!」

 イメツムは落下するフィアナの腕を空中で掴み抱き寄せた。

(気絶!?)

 フィアナは落下の際、真空波で爆ぜた石が頭に当たり気を失っていた。

「ちっ……この状態では」

 イメツムは自分がアーステアへ来た際に使った風遁を使い、落下速度を緩和しようと考えたが、ある事情からそれが出来なかった。

「ならば……天凪流風水術! 〝暗剣転身〟」

 天凪流風水術〝暗剣転身〟は吉方位と凶方位を逆転させる術である。これによって落下していく二人の凶方位は吉方位と逆になり、生存率が大きく跳ね上がった。

 水柱が上がり、イメツムとフィアナは川の中へと落下。川の流れが速く、押し流されそうになるのを堪え、イメツムはフィアナを抱え川辺へと泳ぎ着いた。

「はぁ……はぁはぁ」

 二人は一歩間違えば、中洲に浮かぶ岩山へ激突していた。

 水没した際に意識を取り戻したフィアナが、目をゆっくりと開き辺りを見渡す。

 石で打ったこめかみから流れる血を滴らせ、虚ろな瞳が近くの岩にもたれ掛かっていたイメツムを見つける。

「……ありがとう、助けてくれたのね。――ッ!?」

「済まぬ……ドジを踏んだ」

 左腕を失い、血を流しているイメツム。その凄惨な姿を前にフィアナは口を覆った。

 イメツムはフィアナを助ける為に彼女を突き飛ばした際、風の刃に裂かれ左腕を失った。そのせいで風遁の印が組めなかったのだ。苦肉の策として片手でも発動可能な風水術を使ったわけだが、この判断は結果的に正しかった。先日のように風遁の制御に失敗していた場合、イメツムは愚かフィアナも無事では済まなかっただろう。

「私を……助けたから…………私のせいで」

 唇が、身体が目の前の現実を受け入れられずに震えだす。目的のために駒として利用すると言った。それでも取り返しのつかない傷口を見ればその意思も揺らぐ。

「そんな顔をするな。忍は遅かれ早かれこういう時がくる」

「そ、そんな簡単に割り切れないわよ! 馬鹿!」

 フィアナはイメツムのもとへ駆け寄ると、傷口に手をかざして呪文を唱えだした。

『八仙花の碧さ、神癒の誓いをもって彼の者に清浄なる光を与えよ。ハイドレンジア』

 淡い翡翠色の光がイメツムの千切れた腕を包み込む。

「痛みが……引いていく?」

「ごめんなさい。私には痛みを和らげることぐらいしか……。再生魔法は聖導協会の機密だから私にも分からないのよ」

 聖導協会とは、ルーンを研究するための機関。そこではルーンを魔力へ転換する技術、つまり魔法による産業の発達を目的とした組織が存在している。当然、軍需産業も含まれており魔蒸機関の開発も聖導協会が絡んでいるが、そういった協会の闇は各国家に絶妙な配慮がされており、不文律として見て見ぬ振りをしているのが現状である。

 その原因となっているのが、〝ミスティリオン・グリモワール〟と呼ばれる魔導書の存在だった。

 アーステアの叡智が記されたその書物には、世界そのものを変えるほどの力があるらしく、その魔法の一端が再生魔法といった禁魔法の類である。フェーデもその昔は禁魔法の一つでもあったが、術の解析がされた近年ではその波及を止める手段が無いために黙認されていた。


 イメツムの応急処置を終えたフィアナは深い溜め息と共にうなだれた。

「水汲んでくるから、少し横になっていて」

 立ち上がり川辺へ歩いていこうとするフィアナ。その背中にイメツムは声をかけた。

「もう拙を置いて行け。今ならまだガドラフ達もお主を探しているはずだ」

「何言ってるのよ! こんな状態のあなたを置い」

「成すべき事があるのだろう!」

 イメツムの檄にフィアナは口をつぐんだ。その目には今にも溢れそうな涙が見える。

「この腕ではもうこの先、お主を守ることは難しい」

「何よ……最強のシノビなんでしょ!? 片腕が失くなったくらいで、そんな弱気になる最強なんて聞いて呆れるわよ!」

 水筒を地面に叩きつけ、涙を払うように首を振り俯いたフィアナはその場にへたり込んでしまった。自分のミスでイメツムが怪我を負ってしまったというのに、その言葉を口にしたことがどれだけ身勝手かは彼女自身解ってはいる。それでも、捨てきれない情がイメツムを見放すことを許しはしないのだ。

「私はいつもそう……結局、誰も救えずに私だけが生き残る」

「――解らん。お主は何故そうも誰彼構わずに救おうとする? およそ人の上に立つ者の考え方ではない」

 イメツムは知っている。将たる者は常に孤独に生き、孤独を糧に高みを目指すこと。それは世界が変わっても同じなのだと。織田信長が正にそれを体現したような人物だった。高みを目指したが故に、捨ててきた想い、捨ててきた者に足元をすくわれたのだ。

 訝しげなイメツムの視線から逃げるように、顔を逸らしたフィアナが静かに語りだした。

「それは、私が……本物の皇女じゃないからよ」

「……?」

「私は皇女の影、それだけのはずだった――」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る