伍ノ段

 ガドラフは他の騎士達を呼び寄せると、全員ドローミに跨り山中へと駆け出した。

 始めの内は木々が生い茂る暗い林道だったが、その林を抜けると蒼白い月が辺りの岩山を淡く照らす崖道となった。舗装などは一切されておらず、一歩間違えば谷底へ落ち命は無いであろう断崖。そんな危険な道をドローミが駆けていく。動物のバランス感覚は人間のそれとは違い、四足歩行の狼にとって通れる幅がある道ならば速度を保ったまま走り抜けることなど容易なのだ。徒歩なら一昼夜かかる道程を、わずか二時間足らずでその頂へ到達した。

 月光が降り注ぐ中、大陸の果てが見えるかと思えるほどの荘厳な景色が目の前に広がっている。高所のせいか風がかなり冷たかったものの、吐いた白い息にすら気付かないほどイメツムは目を奪われていた。

「絶景……だな」

「イメツム、あなたのいた世界ってどんな所だったの?」

「小さな島国で日々争いの絶えない戦乱の世であった。そこで忍として生きていた拙に世界を語れるほどの知見は無いな」

 自分よりも幼いこの少年が、忍という生き方に縛られ、どれほど他者の命を奪い、自らの命を懸けて生きてきたのかフィアナには想像ができない。それでも、側にいる少年を怖いとは思わなかった。それは彼女自身が、命を奪う、つまり人を殺すということに関して抱く感情が恐怖ではなく、覚悟と呼べるものだったからだ。殺人を肯定しているわけではない。殺さなければ殺される、そんな日常の中で心を滅し、敵を敵として討つことは難しい。その覚悟を強さとして感じたからこそ、フィアナはイメツムを恐れることはしなかった。彼の年齢でそれが出来てしまうことが、とても悲しいことだとは理解しつつも。

 そんなことを考えながらフィアナは風に揺れる髪を耳へとかけた。

「そんな故郷、本当に帰りたいと思えるの?」

 イメツムはその問いに答えなかった。ただただ遠くを見つめる瞳が映すアーステアの広大な大地と、記憶の中にある戦国の世とを重ね、未練があるのか自らに問いかける。いっそこのまま、この世界で新たな人生を歩むことも悪くないのではないか? そんな考え方をしている自分に戸惑っていた。しかし、他に生き方を知らない自分に一体何ができるのかと再び問いかける。何かが引っ掛かっている。それが何なのか……今はまだ少年には分からなかった。

 ただ奇妙な予感があった。いや、この時点ではただの願望だったのかもしれない。

 この新たな旅路が、己の求めた〝真の強さ〟とは何か? その命題に答えてくれるような気がしていた。

「急ごう、ドレイクへ」

「――そうね」

(この未知なる世界。ここでなら掴めそうな気がする)


 オウギュストの険しい山々を駆ける六頭のドローミの足音。それが先頭を走るガドラフの指示で一斉に止まった。

「止まってください!」

 急停止したドローミの足元の石ころが崖下へと転がっていく。しばらくするとボチャンと水の中に落ちる音が聞こえた。

「どうしたの? ガドラフ」

 ガドラフは自分たちのいる崖の反対側を見やり答えた。

「山賊がいます。しかも数が多い」

 白み始めた空のおかげで明るくはなってきたものの、代わりに出てきた霧のせいで視界は悪い。その霧の向こう側に薄っすらと点る火と横穴があり、見張りとおぼしき山賊が二名ほど立ち話をしているのが見えた。

「このまま進めば見つかるわね」

 フィアナが顎に手をあて少し考え込む。アジトになっているであろう横穴の前には、木材で作られたバリケードが設置されており、ドローミで強引に突破することは難しい。やがて横穴の中からは、頭目とおぼしき大男を先頭に続々と山賊達が出てきた。

「ひい、ふう、みい――――、厄介ね。見えるだけで一五人はいるわ」

 皮鞄から取り出した単眼鏡を覗き込み、フィアナは山賊の数を確認した。

「仕方ありませんね。殲滅しましょう」

「全員殺す必要はないでしょ!」

 ガドラフの言葉に対しフィアナは声を荒げた。

「そんな甘いことを言ってられる状況ですか? 山賊の命と我らの使命を天秤に掛けることなど有り得ません!」

 ガドラフの反論に苦々しく歯噛みしたフィアナの肩に、イメツムは軽く手を乗せる。

「拙がやろう。あの程度の数ならば問題ない」

 覚悟を持って国を出たはずだったにも関わらず、いざとなると心が大きく揺らいだ。それが例え山賊相手だとしても、振り下ろす刃が赤く染まることに変わりはない。

 恐れを切り捨てるように拭った涙と共にフィアナは口を開いた。

「フェーデを使うわ。犠牲を最小限に奴等に力の差を見せ付ければそれでいい」

「ここで使うのは尚早です! アジダハカの森はルーンが薄い。いざという時の為に魔力は温存すべきですッ!」

「森はイメツムに任せるわ。ダラス、ミハエル、二人はフェーデを転界」

 フィアナは二名の騎士に指示を出すとドローミに跨った。

「姫様ッ! あなたは森で二人に死ねと申されるのか!?」

 尚も食い下がるガドラフの喉元に、フィアナは抜いた細剣を突きつけた。

「責任は私が取ります。やりなさい」

「ぐっ……くそォ! ダラス! ミハエル! フェーデ転界準備! 確実に仕留めろよ!」

「りょ、了解」

 崖の前に立ったダラスとミハエルが鞘から剣を抜く。その剣先を山賊達のいる方角へ向け、右頬の横で柄を交差させた両手で持ち剣を構える。西洋剣術でいう雄牛オクスの構えをとった二人は同時に言葉を紡ぎ始めた。

『刻むは聖痕、穿つは魔弾、剣に宿りし夢幻神話の星天をもって、我に仇なす虚空をその回廊へと誘え! クロス・フェーデ転界!!』

 二人の騎士が呪文の詠唱を終えた瞬間、構えていた剣が二又に展開し分かれ、青白い光が放射された。その光線が一直線に飛び出していく。それは正に光の速さで、アジトから出てきた大男とその横にいた長身の山賊に当たり、その刹那――。

 剣を構えていたダラスとミハエル、そして二人の山賊が視界から掻き消えた。

 目の前で起きた不可思議な現象。それをフィアナに尋ねようとしたイメツムだったが、その問いかけを待たずして光の中から二人の騎士が戻ってきた。

「成功です」「同じく」

 よく見ると二人の剣先が紅く染まっていることにイメツムは気付く。

(この距離から仕留めたのか……便利な術だ)

「〝ギア〟は使ってないだろうな?」

「勿論ですよ。山賊相手に使うまでもありません」

 ガドラフは二人にギアというものの使用有無を確認すると、ミハエルが剣の血を払いながら答えた。ダラスも物静かに首を縦に振る。

 クロス・フェーデは本来、決闘用に使われる結界魔法術式である。

 自らの剣から放った魔法結界に任意で他人を引きずりこみ、その結界内での戦闘を相手に強いる。結界に入ったが最後、どちらかの命が尽きるまでは脱出することは不可能。

 先日、イメツムが指摘した通り戦争は兵士の数が多い方が有利だった。しかし、それはフェーデが戦場で使われ始める以前の話だ。

 この結界魔法によって数的有利の状況が意味を成さなくなり、数よりも質、つまり騎士としての実力が勝敗を分け、戦争の在り方を大きく変えた。無論、戦況によっては数で押し切れることもある。フェーデの習得は才能が必要だが、発動するのに通常の魔法よりも多めの魔力を要することを除けばこれほど有効な戦術はない。一般の兵士からすれば騎士クラスの敵と強制的に一対一の戦いを強いられる状況では成す術はなく、先の山賊との戦闘がそれを物語っていた。しかしそれだけでは、絶対的な数の有利を覆すことは出来ない。フェーデの真の恐ろしさは実は、その副産物にあたるものなのだ。


 山賊達は頭目と仲間が突然消えたことで戦慄していた。そしてすぐに結界による攻撃を受けたことに気付き、アジトの周りから蜘蛛の子を散らすように逃げていく。その様子を見ていたフィアナは複雑な表情をしながらも、ドローミの手綱を握り締め声を発した。

「今のうちに突破するわよ!」

「はっ!」

 一気に崖道を走り抜け、Uターンするように向かい側の絶壁を目指す。その道はドローミがギリギリ一頭通れるほどしかなく、先頭をガドラフ、続いてダラス達四人の騎士、最後尾をフィアナとイメツムが続く。そして、山賊達のアジトだった横穴を通り過ぎる。

 その時だった――――。

「フィアナ! 止まれッ!」

「え?」

 ちょうど最後尾を走っていたフィアナ達が横穴を通り過ぎようとした直前、イメツムが制止を呼びかけた。

 イメツムは誰も残っていないと思われたアジトの穴から、尋常ではない殺気を感じた。それは以前に相対した信長を彷彿とさせるほどの威圧感と殺意を孕んでおり、竦んだ身体が一時反応を鈍らせてしまった。

 ガリガリと洞窟内の壁を削り、ちょうどフィアナ達の乗るドローミが目の前に来たタイミングで烈風の刃が二人に襲いかかった。その刃にコルンが片目を裂かれ視界とバランスを失い崖下へと落ちていく。

「コルン! きゃぁっ!」

「姫様ぁ――――――ッ!!」

 ガドラフが振り返り絶叫する。

宙空へ投げ出されたフィアナに向かって、追撃をかけるように迫る烈風の刃。

「南無三ッ!」

 寸でのところでイメツムがフィアナを突き飛ばし避けたものの、二人の眼下には足場はなく、真っ逆さまに奈落の底へと落ちていった。

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