肆ノ段

 平原を走り抜け、小高い丘を越えたところまで来ると、目の前には雲に天辺が届きそうなほどの高さで山々が聳え立っていた。その後、ドローミを休ませるためと、山越えの準備をするために山水の流れる川辺で小休止をとることになった。

 そしてガドラフがドローミから降りて開口一番。

「姫様! なぜあのような者を連れて……御自分の立場をお忘れですか!?」

「彼は優秀な戦士よ。少なくともあなたより強いもの」

 フィアナはガドラフと目を合わせずに言い放った。その様子は正に、お目付け役に対して鬱陶しく突き放す傲慢な姫君そのものだ。しかし、彼女の言葉にはガドラフという個人への怒りが込められているようにも思えた。そんな二人の険悪な様子に些かの興味も示さず、イメツムは腕を組み目を伏せている。

「この私があの小僧よりも劣ると? 森での一件を見ての御判断ならば、失礼ながらそれは姫様の目は曇っておいでですな」

「〝フェーデ〟を使えば勝てると言いたいのでしょう? それこそ読みが浅いのよ」

「――姫様がそこまでおっしゃられるならば、あの小僧についてはお任せします。ただし、私は警告致しました。責任は御自分で取られますよう、お願い致します」

「私はどんな手段を用いてもドレイクに辿り着かなければならない……。だから使える駒は使う。それだけのことよ」

(いつの世も、どこの世も忍の道は同じか)

 日が傾きかけ、夕日が山々を茜色に染め上げていた。フィアナとガドラフ達は夜を待って山中に入るようだ。その理由として、このオウギュストの山は夜になると獣たちの行動範囲が狭くなり、獣道さえ避けて進めばまず襲われる可能性が低い。それと日中、あるいは早朝に山を越える場合、次のアジダハカの森を夜通ることになってしまう。山よりも森の方が危険な獣、魔物の類が多く、急ぐ旅でもあり時間は無駄に出来ないとフィアナはイメツムに話した。

「相分かった」

 短く答えたイメツムは川の水を竹で出来た水筒へ汲む。

 イメツムはこのアーステアへ来て以降、見聞きするすべてが新鮮で刺激的なものだった。それは彼が物心ついた時にはもう忍の修行に明け暮れ、敵地への潜入工作、機密文書の運搬から暗殺以外することがなかったためだ。勿論、それ以外許されてもいなかった。

「一つ……聞いてもよいか?」

「なに?」

 イメツムが起こした焚き火を挟みながらフィアナに訊く。他の騎士達は周辺の哨戒へ出ているようで、ガドラフだけがドローミの側から二人を見張っている。

「ドレイク王国へは何をしに?」

 その問いに対し、フィアナは少し思いつめた表情で視線を地に落とした。

「別に無理に話さなくともいい。拙のすることはお主を守る……それだけだからな。ただ、そのなんだ――」

 頭をガシガシと掻き、ばつの悪そうな顔をして言葉を濁す。そんな気持ちを誤魔化すように焚き火に投げ入れた枯れ木が、バチっと音を立てて火花を散らす。そして火の粉が暗くなり始めた空に舞い上がった。

「ふふ、あなたでもそんな困った顔するのね」

 揺らめく炎の向こう側でフィアナが微笑んだ。

「ドレイクには同盟を結びにいくのよ」

「和睦か……」

「四つの国家はルーンの豊かな土地を奪い合い争い続けてきたの。これまではその均衡も何だかんだで取れていたわ」

 アーステアを統べる四つの国家。それらの国王はかつて大陸の救世主、有体に言うならば勇者たちであった。

 今は亡き幻の国家〝虚空連邦アーカーシャ〟から生まれた魔王を倒した彼ら勇者達は、手に入れた名声と栄誉を国家建設へと使った。それがおよそ一二〇年前の話である。

「でも、最近になってグノームとオンディーヌが同盟を結んだことで、その均衡も崩れてしまったわ。そのきっかけを与えたのが現ドレイク王オルバス・バレンスタイン……」

「どういうことだ?」

魔蒸機関ルーンエンジンを創り出したのよ。簡単に説明すると魔力と科学を融合させた兵器ね」

「ふむ……よく分からんが、その『えんじん』の力を恐れた二国が手を組んだ。故にお主の国も、対抗するべくドレイクと手を組まなければならなくなった、ということか」

「勿論、本意ではないわ。正直なところ私たちもどう立ち回るのが正解かわからないの。グノームとオンディーヌ側についてドレイクと事を構えるか、ドレイクについて表面上の均衡を保つのがいいのか……」

 魔蒸機関はアーステアの戦いそのものを根本的に覆す力。その力は、先刻フィアナとガドラフが話していたフェーデと呼ばれる、騎士及び魔導士が戦闘を行う際に使う特殊な結界魔法が意味を成さなくなるほどの代物である。その話を聞いていたイメツムは、かつて織田信長が戦に火縄銃を使用し、武田軍を殲滅せしめた長篠の戦いを想起した。

「それにしても、何故お主のような女人がわざわざドレイクへ出向く必要があるのだ?」

「……け、結婚するのよ。ドレイク王と」

「政略結婚というやつか」

「仕方ないでしょ。ラ・シルには他に出せるものがないのよ。私一人が犠牲になるだけで国が救えるなら安いものでしょう」

 フィアナは膝を抱えたまま焚き火の炎を見つめながら呟いた。辺りから聴こえる虫の声だけが耳に響き、その後二人は黙り込む。その静寂を切り、ガドラフがフィアナへ声を掛けた。

「そろそろ発ちましょう、姫様」

「えぇ……」

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