参の段
濡れた着物とふんどしを絞り、水気を切ったイメツムは再び忍装束に身を包む。
「とにかく……ガドラフ達は私が説得してみましょう」
フィアナの後に続いて森の中を歩きながら、初めて目にする異世界の動植物を見てイメツムは探究心をくすぐられていた。そんな好奇の目が面白かったのか、フィアナは木の枝から葉を一枚取りイメツムに見せた。
「この世界の万物にはルーンが宿っているのよ」
「『るーん』?」
ルーンとは、ここアーステアに存在する自然のエネルギーで魔力の源となるもの。
陽光に照らされ、薄らと視える葉脈の中を流れる蒼白い粒子。
ルーンは大地に恵みを与え、多い土地は人も緑も栄え、少ない土地は砂漠のように大地は渇き人が寄り付かず廃れていく。
「人も大地もルーンに生かされている。あなたのいた世界ではどうだったのかしら?」
「……自然のまま。呼び方と捉え方こそ違えど、空から降り注ぐ日の光と雨が地の恵みを育む点では同じだな。ただ――」
イメツムは柔らかな草を踏みしめるように立ち止まった。
「闇に生きる拙のような輩には、民草の営みなど縁遠いものだ」
「ふぅん、そのシノビって何だか辛気臭いわねぇ」
うんざりとした顔で溜め息をついたフィアナは言葉を続けた。
「それ暑くないわけ?」
フィアナはイメツムが顔を隠している頭巾を指差しながら尋ねた。
「忍はおいそれと素顔を晒すことはせぬ」
「ふぅん……」
身長は若干フィアナの方が高いにも関わらず、下から覗き込むようにして見つめられたイメツムは思わず視線を逸らした。
「あっ! あんなところに巨大な人喰いドラゴンがー!」
「ど、どぅらごん?!」
イメツムが上空に気をとられている一瞬、鋭く伸びた手が彼の背後から頭巾を剥ぎ取った。
「ぬぁ?!」
「えっ……」
短い真っ白な髪と、まだどこかあどけないその貌に、フィアナは思わず驚き声を漏らした。
「イ、 イメツム、あなた……まだ子供じゃない」
「失敬な、拙は一五だ」
「私より二つ下じゃない……、堅っ苦しいしゃべり方するものだからてっきり」
フィアナは未知の生物でも発見したかのように、イメツムの頬をつんつんと指で突いた。
(柔らかっ! ひょっとして私よりお肌ぷにぷになんじゃ……?)
「でもなんで髪白いの? 地毛?」
そう言いながら頭に触れようとした時、パンと乾いた音と同時にその手が払われた。
「――――気安く触るな」
凍りついた空気にフィアナは困惑した表情を浮かべ固まった。
「ご……ごめんなさい」
何が気に障ったのか分からないまま、とりあえず謝る。
(頬に触れた時は怒らなかったくせに、コンプレックスでもあるのかしら)
そしてそっぽを向いてしまったイメツムの背中を、訝しげに睨みつけている時だった。
『ゴルルルゥ……』
「む?」
「グ、グランドワーム?! なんでこんな所に!」
二人を見下ろすようにして巨大な影を落としていたのは、土色をした巨大な爬虫類だった。硬い瓦のような鱗に真紅の瞳が獲物を見定めている。
グランドワームと呼ばれる蛇竜の一種で、基本的には地底に巣があり滅多なことでは出てこない。ワームは蛇と鰐を足したような長い顔から、紫色をした太く長い舌を覗かせていた。
「ほう、これは見事な大蛇だ」
「なに呑気なこと言ってるの! 隙を見て逃げるのよ!」
イメツムはフィアナの肩を引き自分の後ろへ下げると、腕を組みながらワームの前に立ちふさがった。
「約束は約束だ。お主の命、その目的を達するまでは拙が守ろう」
「――イメツム」
年齢と体格以上に大きく見えた彼の後ろ姿にフィアナは息を呑んだ。
――天凪流雷遁術〝
瞬間、眩い輝きが前方を照らし、二人と一匹の影が大きく伸びる。
唐突な目くらましの術に自らの視界も奪われていたフィアナの手を取り、イメツムはワームの横をすり抜けるように走り出した。
「ちょっ! そういうのやるなら先に言いなさいよ!」
ガドラフ達が歩いていった方向へ全速力で走り出した二人の後方では、ワームが顔を振りながらまともに受けた光に悶えていた。しかし、それもほんの数秒のことだった。
ワームはすぐ土煙を上げ、木々を薙ぎ倒しながら距離を詰めて来た。目に頼ることなく熱感知によって獲物を捉えたワームは、一直線にイメツムたちの方へ向かってくる。
「追いつかれるわよ!」
「委細承知!」
フィアナの言葉に応えたイメツムが、懐から出した撒菱を後ろへ放り投げ、同時に片手で印を組んだ。
――天凪流錬金術〝
術の発動を合図にして放り投げられた撒菱が、そのサイズを大きく変えてワームを足止めする。
「……あなた何でも出来るのね」
「天凪流は戦国最強の忍術。あのような怪物とて屠ることは造作もないが、無益な殺生は好まぬ」
視力の戻ったフィアナはイメツムの手を離し、並走しながらワームを見やる。
撒菱はワームの柔らかな腹部に痛々しく刺さり血を流していた。
速度こそ落ちたものの、それでも執拗に追ってくる怪物。
「そのかんしゃく玉を奴に投げろ! 時間ぐらい稼げるはずだ!」
イメツムが横目で見ながら叫ぶ。
「か、かんしゃく玉!? それって何なの?」
フィアナは言葉の意味が理解できずに戸惑ったが、その視線の先が自身の胸元であることに気付いた。
「……ってこれは胸よ、胸! 馬鹿じゃないの!」
「な、なんと、そのような巨大な乳房があると申すか!? 乳牛か!?」
フィアナが顔を赤らめて腕で胸を隠しながら喚き立てる。
「誰が牛よ! 馬鹿! 変態!」
やがて獣道を抜けた二人は、その視界に開けた平原を捉える。そこにはガドラフと四人の騎士がおり、その傍に人間の五倍はあろうかという巨躯の狼が六頭。
それを確認したフィアナが走りながら叫ぶ。
「ガドラフ! ワームに追われている! 急いでここを離れるわ!」
「姫様ッ! 急がれよ!」
待機していたガドラフ達は、フィアナの言葉に驚きながらも手早く身支度を整えた。
狼にまたがり手綱を握ると、威勢のよい掛け声と共に走り出す。その後に続き、森を抜けたところの小さな段差から跳んだフィアナも狼にまたがり手を伸ばした。
「イメツム乗って!」
イメツムは急かすフィアナの手を掴みドローミに乗った。高級な絨毯のような柔らかな乗り心地を感じたのも束の間、上半身が反り返るほどの速さでドローミが駆けだした。
「一気にオウギュストの麓まで行くわ。コルン!」
フィアナは前傾姿勢で手綱を握り締め指示を出すと、コルンと呼ばれた狼はグルルっと低い唸り声を上げそれに答えた。
獲物を喰らい損ねたワームはその勢いのまま岩壁に激突しめり込む。その姿を尻目にフィアナとイメツムを乗せたコルンは、瞬く間にワームから遠ざかっていった。
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